高木さんの祖父が撮影した物部村
こどもの頃、夏休みや春休みになるとすぐ、母方の祖父母が住む高知に帰るのが常でした。地元の日曜市に自作の田舎寿司を出す曾祖母の手伝いをしてお小遣いをもらったり、近くの川で泳いだり祖父と鮎釣りをしたりして、毎日のんびり遊んでいました。近くの川は物部川(ものべがわ)という大きな川で、徳島との県境近くまでずっと遡ってゆけます。そしてその上流、物部村(現在は高知県香美市物部町)は森林面積が95%を超える山深い土地であり、なによりも山林の売り買いを生業とした祖父母が生まれ育った、つまり、僕自身にとっても源流となる土地です。

当時祖父母はすでに山を降り、町で暮らしていましたが、時折なにか用事があるらしく、親戚や昔なじみの方々を訪ねることがあり、そんなときには僕も物部村に連れて行かれました。神母ノ木(いげのき)から美良布(びらふ)を経て、どんどん山深くに入り、大栃(おおどち)という目的地に着きますが、周囲もまた別役(べっちゃく)、熊押(くもおす、山が雲を押すぐらい高いところだから「くもおす」なんだと言っていましたが本当かどうか)、市宇(いちう)といった独特の地名ばかりで、まるで別世界に来たような心地になりました。そんな折には、小さな棚田がへばりつくように僅かな耕作可能地を覆う、村のあちらこちらを祖父に連れて行かれて、かつての山での仕事や、山にすむ生きものたちのことなど教えてもらったものです。

祖父と歩いていると、紙を切って作られた人形(ひとがた)や御幣が竹に差されて立てられ、塩やお酒など供えて拝んでいる人たちがいるのに出会っては、氏神様でもお祀りしてるのかな、祖母が「何々があるき、太夫(たゆう)さんに頼まないかんちや……」などと話しているのを聞いては、神主さんのことを太夫さんと呼ぶんだなと、ぼんやり思っていました。それがそうではないことを知ったのは、ずいぶん後のことになります。

ある日、書店の店先に『土佐・物部村 神々のかたち』(INAX出版)という本がならんでいるのをたまたま見つけ、物部村って久しく行ってないあの物部村かな、と思い手に取ると、なじみのある風景、見覚えのある人形が紹介されていました。そして物部村で行われている祭祀が、文化人類学者たちに「いざなぎ流」と呼ばれていることをはじめて知ったのです。「いざなぎ流」は平安末期から中世にかけて、神道と仏教、修験道と陰陽道などが入り交じって一つの手法とテキストを作り上げた、この地域独自の民間信仰です。紙を小刀で切り、御幣や人型を作って依代とし、長いまじないのような文を唱え、祭祀を行う。長い間「いざなぎ流」を調査してきた小松和彦、そして梅野光興はその概要と信仰の対象を次のように紹介しています。

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『土佐・物部村 神々のかたち』(INAX出版)より

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