ノラ・ゴーンとのアポイントが取れたことで、この日は朝からずっと緊張していた。が、黒いシックなサマーワンピース姿で現れたノラは、拍子抜けするほど気取らない笑顔で私たちを迎えてくれた。彼女を知る誰もが、「ノラに会うの? 素敵なひとよ」と微笑むわけがすぐにわかる。何十年もこの業界でプロのデザイナーとして結果を出しつづけ、あまたのニッターたちの熱狂と敬愛をうけてきたこの女性は、そのキャリアを誇示するような雰囲気がみじんもない、柔らかいエレガンスをまとった、ころころとよく笑う女性だった。めったに会えないけれどいつもやさしくてセンスのいい、親戚の中で一番好きな叔母、といった風情だ。一気に緊張が解ける。

「ようこそ、遠くからベロッコのために来てくれてありがとう」

手編み糸を売る会社は、自社糸を使って様々な衣類のデザインを製作し、デザインブックやパターンも販売する。編地の雰囲気やドレープの出方も含め、それぞれの糸の特質に適したデザインを提案するのだ。それは「同じものを編んでみたい」と思わせ、糸の販売を促進するための大切な方法でもある。だからこそ社内に専門の部門とデザインチームが存在するのだ。

ベロッコ社のオフィスの白い廊下の右側には、営業部門、デザインブックのアートディレクションなどの部屋があり、左手の広い空間にはデザイナーチームの席がある。糸、スワッチ、デザインスケッチがディスプレイされ、見本糸の詰まった籠、コーン巻きの糸、編み地見本、タグの下がるサンプルが、ぎっしりと空間を埋める。ここが、同社のデザインとクリエーションの中心地だ。奥の大きいデスクでPCに向かって座っている女性は、デザインのパターンをサイズ展開できるように、またパターンが正しく、わかりやすく、間違いのないようにリライトする「テックエディター」。デザインの過程から参加することもあるという。

突き当りのドアの向こうは倉庫になっていた。左手には大きなかせ繰りの機械が置かれ、カラフルな糸がかかっている。「ここでは糸の製造はしていなくて、ただ玉の形にしているの」と、ノラは糸玉を示す。女性が数名、玉巻きになった糸にラベルを装着し、袋に詰める作業をしている。

「ということは、あそこにあるコーンはすでに糸の完成品なのね?」「そう、コーンの形で届いた糸。玉巻きされて届くこともあるけど、そうでないものはここで巻くわけ」「その状態で輸入されたものだから?」「そう、いまは、アメリカ製のものは何も扱っていないの。過去にはあったのだけど、もう扱わなくなったのね」

ベロッコ社は、スタンリー・ベロッコ時代から輸入糸販売をしていた。1980年代から90年代にかけて、海外で仕上がった糸を輸入したほうが経済的で効率的な状況だったのだろう。仕入元はヨーロッパや南米の工場に広がった。そして2005年頃、ベロッコ社と取引のあった最後の国内工場が操業を停止したため、国内の糸の取り扱いがなくなったのだ。

サコ・リバー・ダイハウスの入っていた建物も、このベロッコ社のオフィスの外にあるのも、煉瓦造りの、かつては巨大な紡績工場だった建物だ。ニューイングランド地方にあった1000もの紡績工場は、80年代までに、わずか22まで減少してしまった。アメリカ最初の紡績工場ができたこの地も、今は建物だけが残っている。国内の糸を扱おうにも、仕入れ先自体が消えてしまったということか、と想像した。

オフィススペースに戻りながら、どのように仕入れる色を決めるのか尋ねてみる。同社は年に2回、イタリアのピッティ・フィラッティ糸見本市で、ヨーロッパ諸国やトルコ、ルーマニア、ブラジル、ペルーなど世界各地から集まる糸の中から選び出して買いつけている。それにはノラのほか、社長のウォレンが直々にかかわっている。

ノラは、白い大きな箱「カラー・ボックス」を抱えて出してきた。覗くと、小さな糸の塊がたくさん、赤系、青系、オレンジ系と色の系列で分類された袋の中に入っている。「糸の生産者は、見本市に色見本を持ってこない場合がある。これは色見本としてこれまでに少しずつ集められたもの。欲しい色をみつけるためのパレットのようなものね。次のシーズンのコンセプトに従ってここから色を探し出して、工場に依頼して染めてもらうこともある。だからチームは常に、色見本となる素材を集める訓練をしているの」とノラが微笑む。

ベロッコでのノラの仕事は、デザイン部門のディレクターとして同社で扱う糸の選定に関わるほか、ウェブサイトの確認やパターンのチェック、テックエディティングといったチーム全体の監督と、パターンブックの製作のほか、自分の名前でのデザインブックや雑誌との仕事もある。デザイン部門がマーケティングも担当するので、広告関連の仕事もある。ノラの仕事は多岐にわたっていて、大変な量だ。「でも、毎日違うことをやるのは楽しいものよ」






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