マンハッタン島のなかほどにあるヘラルドスクエア駅から南下し、原色やネオンカラーのバッグや靴がにぎやかにディスプレイされた韓国系の店が並ぶ一角、目立たないビルの一室に、「八布テキスタイル」の店はあった。つやつやと磨かれた金属製のドアのむこうに、突然懐かしい空気と色合いを持つ空間が現れる。床に置かれた籠や暗い色の棚に、静かな色の糸や布たちがゆったり並ぶ。奥への通路には、白い洗いざらしの麻のような暖簾が下がっている。

この店のオーナーは植木多香子さんという日本人の女性で、スタッフもすべて日本人だ。初めてお会いする植木さんは、彼女自身が織りあげる布に似た、ほっそりとして柔らかい雰囲気の、目の大きな女性だ。

植木さんは高校からアメリカに住み、ニューヨークの大学で版画を学んだ。1993年に大きなギャラリーに就職したが、ほどなく何かものを作りたくなり、手織りを始める。反復作業による織りの方法は、それまでに学んだ版画の制作と似ている部分があった。半工業用の大きな織り機を手に入れて、本格的に布を織りはじめた。織りを始めて一番惹かれたのが沖縄の布だった。芭蕉の繊維や芋麻(ラミー麻)糸、そこから織りあげられる薄くてはりのある、重さを感じさせない布を知り、そんな布が織れたら、というのが当初の思いだった。1999年、自ら織った布と日本の手織作家の生地を展示販売する店をオープンした。「八布テキスタイル」の名は、沖縄の蛇の「波布」の「波」を末広がりの「八」に替えたものだ。

しかし、彼女が織りたい布に合うような「細い糸」は、アメリカではなかなか見つからなかった。日本で探すうちに、個人相手に取引をしてくれる京都の糸屋に巡りあい、販売終了した生成りの生糸の残糸を譲ってもらった。アメリカに戻ってその糸で織った布を販売したところ、こちらの人たちが彼女の使う糸に目をつけた。この糸は編むのに使えないのか、ぜひ糸を譲ってほしい、という引き合いが殺到したのだという。

「すごく嫌だったんです、糸を扱うのは。小さい販売用の巻きやラベルを作ったり、糸ごとに色数を決めて管理したりと、細かくて大変な仕事だということがわかっていたので、うちは布を売るだけだからと言って、全部断っていました。でもね、みなさんもう本当に売ってくれ売ってくれと、すごかったんです。それで、じゃあちょっとだけと友達に売って……とやっていたら、それがふくらんでいって、結局こんなふうになって」

と、植木さんは困ったような微笑みで店内を指し示す。店内には布と糸が同居しつつ、八布の糸が商品の7割程度を占める。2001年ごろから少しずつ糸を置きはじめたところ、彼女の感覚では2002年あたりに編みものブームがやってきた。この店にあるユニークな糸は、新しいもの好きなニューヨークのニッターたちの注目を集めた。それは、アメリカのヤーンショップで通常目にする糸とははっきり異なっていた。

最初に気づくのは色味の違いだ。はっと目を奪われる鮮やかな色ではなく、かといって生成り、ブラウン、グレーなどの未加工の色でもなく、穏やかな、湿った日本の自然をそのまま、柔らかく染め出したような色。日本人には、むしろなじみのある「和」の色合いだ。もともと織るために探したもののため、その多くが普通の手編み糸よりはるかに細い。天然素材が中心で、コットン、シルク、さまざまな種類のリネンなど、繊維がしっかり撚られた糸らしい糸がある一方、藁束のような風合いの葛や樹木の繊維、和紙、芭蕉やパイナップルの繊維、極細のステンレススティールをシルクやウールで巻いたもの、あるいは銀そのものなど、それまで聞いたことのないような、かなりアヴァンギャルドな素材の糸がある。雰囲気は「和」だが、実際には日本のほか、インド、ラオス、ネパール、中国、フィリピンといった国から集まってきているアジアの糸だ。これを使って何が編めるだろうと、編み手の想像力をはたらかせ、創造力を誘うような独特な風合いの糸ばかり。それは、一般的な編み糸であるウールの、たっぷりと空気を含んだ暖かさや柔らかさとは、対照的な何かだ。珍しさも手伝って、編みものブログに「八布の糸を手に入れた」と自慢気なエントリーが書かれる形で、彼女の糸は広まっていった。




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