羊からヤーンショップまで、姿を変えていく毛糸を追うアメリカ東海岸の旅は終えたが、毛糸は実際に編まれることでかたちになる。ニッターにとって、何を編むかも大事だが、どこでどうやって編むかも実は重要なことだ。編みものがオンラインでブームになっても、ニッターたちは昔と変わらず、現実の世界で集まってともに編むことがやっぱり好きだ。ニューヨークでは、そんな場所のひとつに訪れた。

マンハッタンのミッドタウンにあるブライアント・パーク。敷地内にニューヨーク公共図書館があり、背の高い木々にぐるりと囲まれる公園だ。映画上映やヨガの講習など、公園で開催されるさまざまな企画のひとつに「ブライアント・パーク・ニッティング」がある。6月から8月の火曜日の午後、ニットのインストラクターの手ほどきが無料で受けられる。それを2011年からサポートしているのがマンハッタンのヤーンショップ「ニッティ・シティ」。私たちがニューヨークを訪れたときは折悪しく改装中だったが、オーナーのパール・チンの話をブライアント・パークで聞くことができた。

7月の暑い日、汗を拭きながら公園内の小さなメリーゴーラウンドの近くに向かうと、木陰のスチールチェアに腰かけてカラフルな糸と編み棒を動かしている人たちが目に入る。パールはノースリーブの涼しげな服装に帽子をかぶっていて、こちらに手を振ってくれた。アジア系のパールは、小柄でスリムな白髪まじりの女性だが、にこにことハッピーなエネルギーをあたりに放射している。フレンドリーでリラックスした女性だ。

ブライアント・パーク・ニッティングでは、インストラクターに教わりながら、用意された編み針と糸をつかって編むことができる。このイベントを訪れたとき、皆がここで編んでいたのは「スクエア」と呼ばれる20センチ四方くらいの四角い編み地だった。ここで編み上げたスクエアは持ち帰ることができない。回収され、夏の終わりに縫い合わされてブランケットになり、FEGSというユダヤ系コミュニティむけの医療サービスNGOの施設に寄付される。つまり、チャリティ・ニッティングなのだ。もちろん自分の編んでいるものを持ってきて、ただ一緒に編むこともできる。初めての参加で友達を作り、次の夏にこの場所に戻ってきたときには、いっぱしのニッターになっている人もいるそうだ。

「ここは公営の公園だから、私たちはものを売ったり、無料で何かをあげたりできないことになっている。スクエアは初心者に教えやすいし、チャリティなら編んだものを回収されても、みんな気にしないということがわかってきたので、このプロジェクトをはじめたの。初めて編むとなると、すごくナーバスになるんだけど、ほかの人のために編むなら硬くならないのね。だから、ただリラックスして編んでほしい、と教えるの」

このときの参加者は25人ほどだったが、いま(2017年)では毎回80人ほどが集まっているという。編むものがスクエアからマフラーに変わったが、スクエアと同様に編みあがると回収される。そして、マフラーは冬に公園周辺のあちこちに結びつけられ、寒い思いをしている人ならだれでも持っていける、というブライアント・パークによる「ファウンド・バット・ナット・ロスト」というプログラムに提供されている。チャリティであることは変わっていない。

パールの話を聞いていたときに、目を引くレモン色のサマーニットのトップスを着た女性が現れた。パールはすかさずそのトップスに目をつけて褒める。それは着ている本人、ナンシー・リッチの新作ニットだった。ナンシーはアムステルダムで経済学を学び、マーケティング関連の仕事をしていたが、結婚して渡米し、夫の仕事でアメリカ中を回っていたとき、夫の同僚に編みものを教わった。やがてオレゴン州ポートランドに落ち着き、町のヤーンショップで働きはじめる。ある日カフェで編んでいたら、周りの女性たちに「素敵なものを編んでいるわね。誰のデザイン?」と聞かれた。それは彼女自身のデザインだった。その後ニューヨークに移り、「ニッティ・シティ」で働きつつ、雑誌や糸メーカー向けのニットデザインなどを手掛けている。ニットデザイナーとしてのキャリアも広がりつつある最中だ。

ナンシーのデザイン画やスワッチを広げて見せてもらっていると、すぐ周りに人々が寄ってくる。「これは何の糸?」「素敵な色ね!」「この模様編み、すごくきれい」。いろいろな手が伸びて、スワッチを手に取ろうとする。ナンシーは話す。「かつてのニッターとデザイナーは雑誌に依存していた。雑誌の限られたページに場所がなくて振り落とされた才能がたくさんあったのよ。ラベリーやブログのようなソーシャルメディアがそれを変え、ニッター自身がそういうメディアの使い方を覚えていったの」

ブライアント・パーク・ニッティングのような「誰かと一緒に編む」イベントを、距離と時間を超えて参加できるようにしたのが、インターネットを通じた「ニットアロング(KAL)」だ。ウェブ上でルールや期日を設定して、参加者は世界各地から「みんなと一緒に」編めるようになった。オンラインでのKALが生まれた当初はブログ上で主催されることが多かったが、次第に編みもののSNS「ラベリー」の中のグループに場所を移していった。アメリカで始まり、やがて世界のニット界を決定的に変えたこの「ラベリー」が、どのように生まれ、グローバルに広がっていったのか、創始者のふたりに話を聞きにいくことにした。




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鳥古繰子 Tricoquelicot

ニットライター。多摩美術大学芸術学科卒業。外資系企業、国内手芸企業勤務を経て独立。『Peacework』や『Knitscene』など、アメリカの手芸雑誌でレポーターを務める。『毛糸だま』(日本ヴォーグ社)で海外の毛糸に関するコラムを連載中。
twitter:@tricoquelicot


1 はじまり 201605

2 バーブと羊たち 201606

3 シープ・シェア 201607

4 捨てられていたウール 201608

5 羊毛を糸にする 201609

6 染色工場 201610

7 染色工場2 201611

8 インディーダイヤー 201612

9 インディーダイヤー2 201701

10 ベロッコ社へ 201702

11 ノラ・ゴーンと 201703

12 ウェブのおかげ 201704

13 ニューヨークへ 201705

14 八布テキスタイル 201706

15 一緒に編む 201708

16 ラベリー1 201709

17 ラベリー2 201710

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