編みもの熱がアメリカで高まった2000年代、ブームを牽引したメディアのひとつが『インターウィーブ・ニッツ(IK)』誌だ。当時編集長を務めていたパム・アレンは、その後、メイン州ポートランドの市街地にあるヤーン・カンパニー「クインス&カンパニー」のオーナーとなった。多忙な彼女を捕まえるのは難しいと聞いていたが、幸運にも当日になって会えることがわかり、緊張する暇もないままオフィスを訪ねることになった。

パム・アレンはIK誌の編集長として多くの才能あるデザイナーを紹介し、話題の特集やいくつかの書籍を手掛けてきた。そのパムに2007年、アメリカではよく知られた手編み糸のディストリビューター「クラシック・エリート」からオファーがあり、同社のクリエイティブ・ディレクターに就任する。これまでのキャリアに加えて、糸の成り立ちについてもっと学びたいと思ったからという。彼女の仕事は、世界中の紡績工場でつくられる糸からふさわしい糸を選び出し、カラーパレットを決定し、その糸を使ったデザインコレクションをほかのデザイナーたちとともにつくり、デザインブックを制作することだった。つまりベロッコ社でノラ・ゴーン(第11回)がやっていた仕事だ。手編み糸の流通と販売といった業界内部のことを学ぶ過程で、アメリカの手編み糸市場で販売される素材が、イタリアや南米など海外からやってくるものばかりであることを知った。それが何を意味しているのかを、彼女は次第に考えるようになる。

パムは2009年の終わりに退職し、翌年7月、古い紡績工場を所有するボブ・ライス、写真家・スタイリスト・ニットデザイナーでもあるキャリー・ボスティック・ホッジとともに、手編み糸の会社を始めた。「クインス&カンパニー」の「クインス」とは、マルメロという、花梨に似た実をつける木のこと。

パムは、かりっとスリムで、眼の大きい、柔らかな物腰の女性だった。こちらと同じところまでひょいと下りてきて、目をまっすぐ見つめてくれるオープンな雰囲気をもっている。右手にパムのオフィスらしき部屋があり、壁沿いに置かれた長机の下には美しいチャコールグレイの斑犬がこちらをうかがっていた。左手の広めの部屋では、スタッフが仕事をしている。

「1830年から1900年代の初めごろのニューイングランド地方は、巨大な紡績工場の建物が川沿いに何マイルも続いていた。あちこちで響く機械の音がとてもうるさくて、たくさんの人がひしめき合っている場所だったの。今は〝見捨てられた北部〟と呼ばれ、かつてのエネルギーと、その繁栄を可能にしていた能力を失ったことに対する、この地方特有の悲しみのようなものがある」

共同経営者のボブ・ライスは、少し離れたビドフォードで1830年ごろに建った紡績工場を買い取っていた。ボブと知り合ったことが、パムがクラシック・エリート社を離れるきっかけとなったという。

「ボブは、もともと紡績機械をつくる仕事をしていた。ある日、彼が集めた機械のパーツを見せてくれて『これは手編み糸を紡績するためのものだ』と言ったの。そして古い機械を改造し、糸を紡績しはじめた。『彼はここで、この地域で新たに糸をつくっている!』って、私はすごく興奮したの。それで、手編み糸の会社を始めたいと考えるようになった。それも、ほかの会社のやり方とは違うことをやってみたかった。つまり、ファイバーをできるだけアメリカ国内で調達して、国内で紡績し、国内で染めるという方法ね」

クインスの糸には鳥の名前が付けられている。最初にできたのは「アメリカコガラ Chickadee」「ヒバリ Lark」「ミサゴ Osprey」「ツノメドリ Puffin」という、ウェイトの違う4種類。37色ものソリッドカラー(単色)のバリエーションは、今では64色に増えた。ベーシックなウールの良さを発揮した、発色と手触りの良い、落ち着きのある糸ばかりだ。堅実でシンプルな、丁寧につくられたものの良さが自然と伝わってくる。

使用するウールは、羊の飼育頭数の多い西部の州の大手のブローカーから買いつけている。大手の農場では一般に、刈り取ったフリースをまとめて加工販売しているため、ファイバーのミクロンカウント、羊毛の房の長さ、縮れ、白さで分類されるウールの等級に従って調達する。そのため品種の特定はされていないブレンデッド・ウールだが、おもにランブイエ、ターギー、コロンビアといった品種と、その交配種だ。それらのファイバーは、前述のビドフォードの紡績所を中心に、国内各地の紡績所に送られる。染色は、同じビドフォードのサコ・リバー・ダイハウス(第6−7回)で一手に行なう。その後、アルパカやシルクとのブレンド糸やさまざまなウェイトの糸、夏糸などが追加され、糸のラインナップは13種類に増えた。

現在、アメリカ国内で材料を調達し、紡績・染色を行なうコストは、輸入するよりもよほど高くつく。しかし、パムが目指した糸は高価なデザイナーヤーンではなく、普通のニッターが無理なく買うことのできる手ごろな値段の国産糸だった。そのために、流通経路を最短にするという販売方法を採用する。オンラインサイトでの直販だ。

「この国では最近、国産製品に人々の関心が集まってきている。さまざまな分野でものづくりを海外に依存するようになり、製造という仕事の歴史や技術を失ってきていることと関係があるの。この小さな会社がビジネスとして対抗できる唯一のやり方は、できあがった糸をニッターに直接供給することだと考えた。すでにニッターたちはオンラインで糸を買うようになっていたから、まずオンラインで販売することにしたの」

小売に卸すのではなく、まず直販というやり方は、これまで業界の内部から新世代のニッターたちを見てきた経験から導きだされた。IK誌2010年冬号のクインスの特集記事で、パム自身がこのように語っている。〈この10年を通じて、ニッターの世代はどんどん若返っていった。彼らは手編み糸に色の美しさと触り心地だけでない、さらなる価値を求めている。小規模な生産や、地元での農業の実践、毒性のない染料、リサイクルできる素材といったもの、そういう価値を反映した糸を欲しがっている〉。そして彼女は、このような新世代のニッターたちを、潜在的な自らの顧客として位置づけた。〈彼らが私のすることを見ている、私の糸を買ってくれるひとたちだということは明らかだった。だから、彼らに直接売るというのが正しいことだと思ったの〉

その後、その糸と価格の関係を理解したうえでパムの作る糸を扱うヤーンショップもあらわれた。クインスの希望を尊重してくれるショップは、今では国境を超えて海外まで広がっている。




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鳥古繰子 Tricoquelicot

ニットライター。多摩美術大学芸術学科卒業。外資系企業、国内手芸企業勤務を経て独立。『Peacework』や『Knitscene』など、アメリカの手芸雑誌でレポーターを務める。『毛糸だま』(日本ヴォーグ社)で海外の毛糸に関するコラムを連載中。
twitter:@tricoquelicot


1 はじまり 201605

2 バーブと羊たち 201606

3 シープ・シェア 201607

4 捨てられていたウール 201608

5 羊毛を糸にする 201609

6 染色工場 201610

7 染色工場2 201611

8 インディーダイヤー 201612

9 インディーダイヤー2 201701

10 ベロッコ社へ 201702

11 ノラ・ゴーンと 201703

12 ウェブのおかげ 201704

13 ニューヨークへ 201705

14 八布テキスタイル 201706

15 一緒に編む 201708

16 ラベリー1 201709

17 ラベリー2 201710

18 ハンナ・Fと 201711

19 パム・アレンと 201712

20 パム・アレンと2 201801

21 クララと 201802

22 クララと 2 201803

23 クララと 3 201804

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