いまの骨董(の概念)は秦秀雄(1898-1980)によってつくられたものでは、と、記事のあと思うようになりました。

〈福井三国、浄土真宗の古刹に生れ、大学進学で上京、卒業後は国語教師のかたわら美術雑誌『茶わん』の編集を手伝い、柳宗悦、北大路魯山人、青山二郎らを知ります。その後魯山人(1883-1955)の料亭「星岡茶寮」支配人となり、戦後はみずから千駄ヶ谷に「梅の茶屋」という料理屋をひらき、青山や小林秀雄、白洲正子ら文士のたまり場となりました。珍品堂(秦秀雄をモデルにした井伏鱒二の小説『珍品堂主人』)以後は骨董工芸随筆の書き手として知られ、雑誌『銀花』や『小さな蕾』創刊の立役者でもありました。「ただ一つ言えることは、人がいいと言ったからこれはいい物だ、と見方を毒されないことです。自分の目ですなおに見てゆくと、ほこりをかぶった物の中に佳品があるのを見つけることができます」(秦秀雄『骨董一期一会』)〉(『工芸青花』7号「秦秀雄と私」より)

甍堂の青井義夫さんや古道具坂田の坂田和實さんはじめ、多くの骨董商がいまも敬愛する秦ですが、今回、そのひとりである勝見充男さんの御協力をえて、秦秀雄がなくなるまで手もとにのこしていた〈佳品〉約80点を、はじめて展示販売します。


会期|9月21日(金)16-19時
   9月22日(土)13-19時
   9月23日(日)13-19時
   *21日は青花会員と御同伴者1名のみ
   *23日に展示替あり
会場|工芸青花
   東京都新宿区横寺町31-13 一水寮101(神楽坂)
監修|勝見充男(骨董商)







秦好み   勝見充男


珍品堂、秦秀雄好みの骨董の影響力は、多くの収集家を輩出し、業者をも育て続けてきた。それは、折々の時代の波に “自分好み” を投影し、老若男女、貧富の差もなく、絶えず世の中に発信し続けた成果によるものだろう。その “秦好み” とは、氏が「かなうはよし。かないたがるは悪しし。」と語るように、かなわない物は国宝であっても否定して見向きもせず、かなうものは、まだ発掘の土がこびりついている陶片さえも、身辺に置き眺め愛した。

秦秀雄が鬼籍に入ったのは一九八〇年。今から四十年近くも前の事だ。没後、様々な人物が秦家を訪れ、あらゆる品物を所望され続け、対応出来ぬ御家族は一切の品物を封印し、秘蔵とした。

時は流れて、一昨年、工芸青花が “秦秀雄と私” を特集し、その号は発売間もなく完売して、今、この時代に秦秀雄の世界観が世に求められている事を知った。また、隔世遺伝の如く、三、四十歳代の次世代に信奉者が増えつつある動向は、骨董界の行く末に、新たな光が見えてくる思いがするのである。

ここに、三十八年間、閉ざされていた秦家の蔵の扉を開ける。

そして、身辺で楽しめる品物を中心に、生前まで秦秀雄が愛した道具を展示即売する。所載品もさる事ながら、かたすみに置かれている物まで、“秦好み” を感じていただき、ご高覧いただければ幸いである。



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