『工芸批評』
井出幸亮/鞍田崇/沢山遼/菅野康晴/
高木崇雄/広瀬一郎/三谷龍二著
久家靖秀撮影|米山菜津子装丁
A5判|並製本|112頁
2019年10月5日|新潮社青花の会刊
2,700円+税

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〈本書『工芸批評』は、同名の小さな展覧会をきっかけに、その図録的なものとして作られました〉〈展覧会名を「工芸批評」としたのは、「デザイン批評」や「広告批評」があるのに、どうして「工芸批評」がないのだろう、という思いからでした〉〈ただ「見よ」というばかりでは、せっかく興味を持った人がいたとしても、その壁をどのように越えればいいのか。工芸の世界もそろそろ語りにくいことを語る、そのような努力が必要になっているのではないでしょうか。もしもその言葉によって、誰かが工芸という新たな扉を開くことができたら、それは素晴らしいことではないでしょうか〉(三谷龍二「はじめに」より)

松屋銀座デザインギャラリー開催の「工芸批評」展(2019年10月9日-11月6日。三谷龍二監修。井出幸亮、鞍田崇、菅野康晴、高木崇雄、広瀬一郎出展)にさいして刊行。監修者、出展者および美術批評家の現代工芸論を収録。また各人の工芸観を体現する25作品を掲載、解説。後半は工芸本25冊の書評と、ブックリスト(工芸について考えるための100冊)も附す。




目次
はじめに 三谷龍二
1|批評
・工芸は存在しない、 高木崇雄
・近代工芸の終焉 広瀬一郎
・雑貨化とシュンカンシ 井出幸亮
・物のうるおい 鞍田崇
・無頭人の連鎖 沢山遼
・古道具坂田と生活工芸派 菅野康晴
2|工芸
3|書評




著者
井出幸亮|Kosuke Ide|『Subsequence』編集長|1975年生れ
鞍田崇|Takashi Kurata|哲学者|1970年生れ
沢山遼|Ryo Sawayama|美術批評家|1982年生れ
菅野康晴|Yasuharu Sugano|『工芸青花』編集長|1968年生れ
高木崇雄|Takao Takaki|「工藝風向」代表|1974年生れ
広瀬一郎|Ichiro Hirose|「桃居」店主|1948年生れ
三谷龍二|Ryuji Mitani|木工家|1952年生れ




本書より
〈生活工芸はそれからしばらく後の九〇年代、バブル崩壊以降に始まったといいます。非日常から日常へという流れは、景気悪化でさらにはっきりと姿を現した。大きな物語が終わり、人々はさまざまな矢印の方向へと向かい、それぞれの小さな物語を生きるようになりました。ポストモダン現象としてよく取り上げられる「オタク」は、ゲームやコミックを自室に持ち込み、そこに籠もりました。それとは違うもう一つの流れとして、「暮らし系」があったのだと思います〉(三谷龍二)

〈現在、ジャンルとして「工芸」と呼ばれるものは、ほぼすべて美術の残りものに過ぎず、ゆえに、多くの「なんとか工芸」は、頂点とされる「美術」に対するコンプレックスから解放されているとは言い難い。けっきょくのところ、近代日本において、 ‟Fine Arts” という概念が輸入され、「美術」という言葉の誕生とともに、未分化であったこの国のものづくりが階層化していくなかで、「美術≒男性的」ならざるもの、つまりは「女子供」扱いされてできたのが、「工芸」だったのではないでしょうか〉(高木崇雄)

〈一九六〇年代、七〇年代、八〇年代は、この工芸史的な秩序が定着した時代、その余熱のなかにあった時代でした。この相対的な安定期──制度としての工芸が機能した時代を、私は「五派分立の時代」と定義しています。五派に分立した様式がそれぞれの居場所を確保し、棲み分けた時代でした。五派とは伝統工芸派、民藝派、日展派、クラフト派、前衛オブジェ派です。この五派はそれぞれに日本的工芸美を追求したのですが、その背後にはなにがしかの「西洋の影」が見え隠れしています〉(広瀬一郎)

〈しかし、最も見逃してはならないのは、こうしたメディアを舞台に活躍を始めた八〇年代の雑貨黎明期のスタイリストが、単に消費を煽動する商業主義的な動機のみによって駆動していたのではないという点である。そこには明らかに、「自分の部屋や自分の仕事を持ち、自分の好きなものを選び取る」という、新しい時代を生きる女性たちに対する生活の提案があったと言える〉(井出幸亮)




〈しかし、一見恒久性を獲得したかの感を呈する人工物もまた、有限であることに変わりはありません。この数十年にかぎっても、たびたび甚大な災害を経てきた僕たちは、現代社会がきわめて脆弱なもので、その安全も「神話」でしかないことを痛感してきたはずです。強さではなく、弱さ。リアリティとはそういうものではないでしょうか。強さを志向した二〇世紀は、人間らしさからの乖離はもとより、リアリティそのものからも遊離してきてしまったのではないでしょうか〉(鞍田崇)

〈北大路魯山人は「食器は料理のきもの」であるといいましたが、彼女たちは、自らが身につける衣服を選ぶような審美眼と厳しさで食器を選んでいた。それらが、あくまで前時代的な工芸「作品」として選ばれたのであれば、そこで作者や作品の自律的な領分が尊重されもするのでしょうが、むしろ生活工芸の仕事は、食器という道具として、服や靴などと同列となる場に積極的に身を投じ、ほかの商品と同じようなまなざしの厳しさで選ばれることを選択したようにみえます。そこが分岐点となった。その流れのなかで、作り手と使い手が相互に影響を与え、たがいの領分を開拓しあうような双方向的な緊張関係があったことはまちがいありません〉(沢山遼)

〈生活工芸派の器の特色のひとつは「ゆらぎ/手仕事性」の最小化です(つまり手工芸的価値をみずから減じていることになります)。それはおそらく、現代日本における(ふだんづかいの)手工芸の不合理性を自覚していた彼らの「含羞」のスタイルであり(としてはじまり)、そうした決してわかりやすくはない繊細さを享受しうる人々(おもに女性)があらわれ、ひろがったのが、いわゆる「生活工芸の時代」(一九九〇年代―二〇一〇年代)だったのだろうと思います〉(菅野康晴)





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