良寛、一茶、漱石ほかの句歌
2018年|紙本墨書|10×15cm(台紙寸法/葉書大)

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路花さんの書   坂田和實(骨董商)


25年前に初めて書を買った。路花さんの書だった。それまで書を見てこなかったわけではない。しかし買うことは無かった。これ見よがしの技巧を誇り、表具に凝り、意味がなさそうな肩書を作品に付ける、いつまでたっても変りそうもないこの業界の保守的な眼に幻滅し、足はおのずと遠のいていた。
 文字は意味を内包し、思いを伝え、残す。書の作品とは、用途を持ち、自由に加工するには不便とも思える文字を、心の内側にとらえ、咀嚼し、これに、これまで積み重ね、又、捨てさってきた技量や経験をぶつけ、自らの裸を曝し生み出すものだ。書きに書き続け、自分を捨て、練り、絞り、表現する過酷な世界、単なるテクニックなんてものは通用しない。そして、ここまでくると、その書は型や枠から抜け切って自由を獲得し、無我の世界と繋がる。幼児の書や酒場の落書き、市場の値段札、拙とか只とか素といわれている世界と重なっている。
 路花さんの書はこの世界に限りなく近い。
──『工芸青花』15号特集「書と古道具 坂田和實と日置路花」より



日置路花さんは1936年東京生れ。中学1年のとき結核にかかり、十代はほぼ寝たきりですごした。はたちのころ生活のため和文タイプをならったが、体にきつく、習字教室のほうが負担がすくないかもしれないと、教えるために手習いをはじめた。そのころ近所の人の紹介で上野松坂屋の販売員の職につく。当時の百貨店には揮毫方という職があり、熨斗やチラシを書く人たちがいた。休憩室の奥に揮毫方の部屋があり、壁にかかった書をみていると、なかのひとりに声をかけられた。書家の岡部蒼風で、後日研究会にさそわれた(新井狼子とはそこで出会った)。戦後の書道界は前衛書をはじめ革新運動がさかんであり、蒼風もまた渦中の書家だった。
 松坂屋には3年いてやめ、和光市の自宅で子どもたちに書を教えはじめた。1980年、蒼狼社(岡部蒼風が設立した結社)をでて、狼子たちと無限会をはじめる。初個展は1981年、京橋の画廊で、井上有一の紹介だった。蒼狼社時代は漢字の一字書をよくし、受賞歴もある。(略)路花さんはむかしもいまもとにかく大量に書きつづける。墨か紙がなくなる まで、もしくはなにか約束の時間がくるまでやめない。坂田さんはアトリエに山とつまれた書のなかから、あっというまに数十枚をえらんでいった。as it is 展の書はそのときのものだ。
──菅野康晴「拙をめぐって」(同)


「日置路花の書」展(於工芸青花)
2018年
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20180902.html
2020年
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20200901.html

『工芸青花』15号
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-seika015.html










上から
よしあしのなにはの事はさもあらばあれ共につくさむ一杯の酒 良寛
山に雪降るとて耳の鳴りにけり 小林一茶
はらわたもなくてさびしや唐辛子 正岡子規
いまよりはなにヽたのまむかたもなしおしへてたまへのちのよのこと 良寛
老の身は日の長いにも泪かな 小林一茶
かたまるや散るや螢の河の上 夏目漱石
長けれどなんのへちまとさがりけり 夏目漱石
はらはらとせう事なしに萩の露 夏目漱石
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