良寛、一茶ほかの、晩秋から冬の句歌23作
2018年|紙本墨書|10×15cm(台紙寸法/葉書大)
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路花さんの書   坂田和實(骨董商)


25年前に初めて書を買った。路花さんの書だった。それまで書を見てこなかったわけではない。しかし買うことは無かった。これ見よがしの技巧を誇り、表具に凝り、意味がなさそうな肩書を作品に付ける、いつまでたっても変りそうもないこの業界の保守的な眼に幻滅し、足はおのずと遠のいていた。
文字は意味を内包し、思いを伝え、残す。書の作品とは、用途を持ち、自由に加工するには不便とも思える文字を、心の内側にとらえ、咀嚼し、これに、これまで積み重ね、又、捨てさってきた技量や経験をぶつけ、自らの裸を曝し生み出すものだ。書きに書き続け、自分を捨て、練り、絞り、表現する過酷な世界、単なるテクニックなんてものは通用しない。そして、ここまでくると、その書は型や枠から抜け切って自由を獲得し、無我の世界と繋がる。幼児の書や酒場の落書き、市場の値段札、拙とか只とか素といわれている世界と重なっている。
路花さんの書はこの世界に限りなく近い。
──『工芸青花』15号特集「書と古道具 坂田和實と日置路花」より



日置路花さんは1936年東京生れ。中学1年のとき結核にかかり、十代はほぼ寝たきりですごした。はたちのころ生活のため和文タイプをならったが、体にきつく、習字教室のほうが負担がすくないかもしれないと、教えるために手習いをはじめた。そのころ近所の人の紹介で上野松坂屋の販売員の職につく。当時の百貨店には揮毫方という職があり、熨斗やチラシを書く人たちがいた。休憩室の奥に揮毫方の部屋があり、壁にかかった書をみていると、なかのひとりに声をかけられた。書家の岡部蒼風で、後日研究会にさそわれた(新井狼子とはそこで出会った)。戦後の書道界は前衛書をはじめ革新運動がさかんであり、蒼風もまた渦中の書家だった。
松坂屋には3年いてやめ、和光市の自宅で子どもたちに書を教えはじめた。1980年、蒼狼社(岡部蒼風が設立した結社)をでて、狼子たちと無限会をはじめる。初個展は1981年、京橋の画廊で、井上有一の紹介だった。蒼狼社時代は漢字の一字書をよくし、受賞歴もある。(略)路花さんはむかしもいまもとにかく大量に書きつづける。墨か紙がなくなる まで、もしくはなにか約束の時間がくるまでやめない。坂田さんはアトリエに山とつまれた書のなかから、あっというまに数十枚をえらんでいった。as it is 展の書はそのときのものだ。
──菅野康晴「拙をめぐって」(同)


「日置路花の書」展(於工芸青花)
2018年
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20180902.html
2019年
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20200901.html

『工芸青花』15号
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-seika015.html




上から
あすよりの後のよすがはいざしらずけふの一日は酔ひにけらしも 良寛
みそさざいちっというても日の暮るる 一茶
水音、冬がきている 顕信
やり水のこのごろ音の聞えぬは山のもみじの散りつもるらし 良寛
山に雪降るとて耳の鳴りにけり 一茶
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