撮影|菅野康晴/工芸青花
「1月と7月」は、パリ6 区・サンジェルマン地区にあるうつわの店。日本で集めた古い物と、日本の現代作家が作った食器をフランス人に紹介する傍ら、年に数回日本に戻り、フランスで買い付けたアンティークを骨董市などに出品、オンラインでも販売している。店主の多治見武昭(たじみ・たけあき)さんは1981年生まれ。高校卒業後、漫画専門古書店に勤務ののち、立ち上げた出版社が軌道にのると34歳で単身パリに渡り、うつわの店を持った。突然2足のわらじを履くことになったきっかけは、当時頻繁に通っていたある古道具店主人のひとことだった。「多治見さん、パリで店をやってみたらどうですか?」
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──きっかけは「古道具坂田」だったそうですね。
多治見 「古道具坂田」に行くきっかけは、「魯山」(西荻窪にあったうつわ店)です。高校を卒業して一人暮らしを始め数年、仕事にも慣れ料理をする時間が増えたので、手始めに『高山なおみの料理』という本を買いました。高山さんのレシピはスーパーにある食材で誰でもおいしく作れるので楽しいです。うつわ使いもおおらかで(スタイリングは高橋みどりさん)、「食器、買ってみようかな」と。高校時代に読んだ『Pen』の特集にちょっと変わったお店が載っていたことを思い出しました。その号を古本屋で探しあて、たどり着いたのが「魯山」でした。

──「変わった店」というのは?
多治見 内装はコンクリートむき出しで、店主(大嶌文彦さん)はちょっとだけ偏屈そう。だけど「面白そうだな、行ってみよう」と思わせる、なんだか気になるお店でした。最初に買ったのはたぶん… 掛江祐造さんの小鉢です。その後もときどき通い、少しずつ好きな食器を増やしていきました。当時、雑誌や本の影響もあって「魯山」を知ったら誰もが自然と「古道具坂田」も知ったと思います。

──古道具より先にうつわへの興味があったんですね。
多治見 母が古唐津や古伊万里をふだん使いしていました。古伊万里の四方皿にあじの干物を盛るような渋めの食卓で、子供の頃は「なんだか古そうな皿だなあ… かあちゃんは良い物と言っているが、はたして」なんて思っていましたが、今の自分も、同じような食器を使っています。

──古いものへの興味は「古道具坂田」がきっかけですか。
多治見 そうですね。「古道具坂田」と、あと、「tamiser」がきっかけです。どちらも出版社として独立をする少し前から通うようになりました。「古道具坂田」を初めて訪れた日のことはとてもよく覚えています。まずは何か日々使える身近なものをと、韓国のスッカラと日本の琺瑯のレンゲを買いました。100年以上前のものだという質屋の紙に包んでくださったのですが、坂田さん、お会計を間違われたのです笑。おつりがすこしだけ少なかった。びっくりしましたが、「お! きっとあの質屋さんの紙の代金が含まれているのだな」と、なんだか不思議にじーんとしてしまい、紙、どこに飾ろうかなと、楽しい気分で帰りました。面白い店だなあとすっかり虜になってしまい、1ヶ月もしないうちにまた足を運びました。すると「ああ、よく来てくれました」と覚えていてくださって、いつも坂田さんが座られている畳の間、左側の壁に貼ってあった茶封筒から、あの時のおつりを出してくれました。封筒の表には坂田さんの字で「若い方、渡し」と書かれていました。今でも坂田さんはわざとお会計を間違えたのではないかと思っています笑。

──なぜ「古道具坂田」と「tamiser」に特にひかれたのでしょう?
多治見 白い皿や銀のスプーン、古布といった多くの人が選ぶものであっても、ひと目で「これは坂田さんの」「これは吉田昌太郎さん(tamiser 店主)の」と分かる。いくつか品物が並べば、「ああこの雰囲気はあのお店でしょう」となるのですが、品物ひとつだけでというのはとても難しいと思います。自由に使えるおこづかいは無限にあるわけではないので、せっかくならお二人から買いたいと思うようになりました。実際いつ行っても、いいな、欲しいなというものがありました。

──パリに店を開いたいきさつは?
多治見 坂田さんがパリにお店を出そうとしていたというお話は、何度か伺っていたんです。場所も内装もすでに腹案があったようなのですが、千葉に美術館「as it is」を建てる話が出て「両方は出来なかったので美術館を選んでしまったんですよね」と繰り返しおっしゃっていました。どうお答えするべきなのかと迷っていたのですが、いまでも坂田さんはきっかけを待っているのかもしれない、と思い、ある時「いまからでもパリでお店をされてはいかがですか?」「やはり第一人者が行かれるべきだと思います」ということをお伝えしてみました。すると「いやいや僕には日本での暮らしもあるし、もう歳ですし、全然無理ですよ。多治見さんが、やってみたらどうですか」というご返答に、びっくり。もちろん最初は冗談だと思い「えー、あははは… いえいえ」などとまごまごしていたのですが、いつもニコニコとお話される坂田さんが、この時はあんまり笑わず真面目な顔をされていたので「あれ? これはそんなには冗談ではないのか…? ちゃんと考えてお答えせねばならないやつだ」と察しました。ただ、海外にはどこも行ったことがなかったので、「まずは来週いちどパリに行ってみます!」とお伝えしました。とりあえずやってみるのが強みです笑。当時出版社を立ち上げていましたが、社員は自分ひとりで日本でなくても仕事ができます。坂田さんはそのあたりのこともご存知の上で、お声がけしてくださったのかなと思います。もちろん、同じような状況の他の方にも似た話をされていたと思います(し、そのように伺っています)。

──本当にその翌週に渡仏したのですか?
多治見 はい。坂田さんがお店を出すつもりだったというサンジェルマン地区に宿をとりました。空港からパリまでタクシーを使えば良かったのですが、治安の悪い場所を通る電車(各駅停車)に乗ってしまい……怖そうな方がずらずらと乗ってきて、もうずっと帰りたかったです笑。なんとかホテル(今でも覚えている6区セーヌ川沿いのシタディーンです)に到着し、最初の夜、ホテルを出て真っ先に歩いたのが、偶然にも、いまお店があるGrands Augustins(グラン・オーギュスタン)通りでした。次に歩いた Buci(ビュシ)通りは夜、ブラスバンドが出ており「これぞパリ!」という雰囲気で、一気にパリの魔法にかかってしまいました。10日間滞在して歩きまわるうちに「お店を開いたら楽しそうだなあ」とフワフワした気持ちになり、帰国してまもなく「サンジェルマンとてもいい雰囲気でした。お店の物件を探してみようと思います」と坂田さんにお伝えしました。坂田さんはいつも通りの様子で「ホウホウそうですか。いい物件がみつかるといいですね」という感じだったと思います。2014年のことです。早速物件探しを始めたのですが、翌年パリでテロが起きた影響で、思った以上に時間が掛かり、オープンは2016年の6月になりました。

──お店があるのはサンジェルマン地区のいい雰囲気の路地です。
多治見 ルーブル方面からポンヌフを渡り、サンジェルマン大通りにつながる小道(先ほど登場したグラン・オーギュスタン通り)に入るとピカソがゲルニカを描いたアパートがあります。その2軒隣、1600年代の建物の1階です。人通りの多くない裏通りですが、著名なホテルやレストランの近くということもあり、ふらっと入ってきてくださる方もそこそこいらっしゃいます。

──最初から、古道具と現代作家のうつわを取り扱ったのですか?
多治見 はい。自宅の食器棚にある食器を全部並べてみて、数の多い作家さんから声をおかけしました。二階堂明弘さん、渡辺隆之さん、廣谷ゆかりさん、芳賀龍一さんなどです。

──フランス人の反応は?
多治見 フランスでは、SNSの情報に頼る人があまり多くありません。散歩中に見つけたので立ち寄ってみたという方や、口コミで訪ねてくださる方のほうが圧倒的に多いです。また、自宅で使ってみる、という方が多いことに驚きました。お店を開く前はてっきりみなさん飾って使わないのかな? と思っていたので。大勢の友人知人を呼びディナーする文化があるため、まとめて同じものを10個欲しい、とリクエストを頂くこともあります。そういった方の家で話の種になっているのかなと思うと、なんだか嬉しいです。とはいえ大きな反応、ムーブメントのようなものはありません。とてもニッチなものです。「もっと日本の陶芸作品をアートピースのように扱い、メッセージやストーリーとともに紹介したほうがフランスの人に伝わりやすいのではないか」というアドバイスを頂くこともあるのですが、高価な茶陶や壺、オブジェを取り扱うギャラリーはパリにもありますし、「ふつうの日本の食器屋さん」がパリに存在する方が、かえって面白いかなと思っています。

──多治見さんにとって食器屋とギャラリーの違いは?
多治見 「食器屋さん:お手頃・商品たくさん」「ギャラリー:だいぶお高い・ポンポン置き」どっちもよいものがあります。で、よいのではないでしょうか。そういえば以前、魯山の大嶌さんが「たかが食器なんだからさ」とおっしゃっていたことが印象に残っています。それには続きがあって「でもされど食器なんだよ、だからいいのになあ」と。

──古物の時代や伝来、製法など背景について詳しく調べるほうですか。
多治見 ある程度は調べますが、古いものを扱うみなさまおっしゃる通り「うんちくで買って」しまいそうになることも多く、特に私はぶらんぶらん揺れてしまう方なので、気を付けています。

──古物についてコレクター気質はありますか。
多治見 あります。気に入ったものは手元に残したくなるので、買い付けたものはすべて手放すというルールを設けています。自宅で使っている食器や古物は、すべてお店や作家の販売会で購入したものです。

──出版業との両立はどのように?
多治見 出版業も食器屋さんも、どちらもすごい人を見つけてきて「こんな面白い人がいますよ」と紹介する仕事、という点で似ているな、と思っています。

──今後はどんな風にしていきたいですか。
多治見 大きな野望のようなものがあればよいのかもしれませんが、あまりありません。規模を大きくせずにこのまま長く続けられたらいいなと思っています。
(構成・文/衣奈彩子)






写真|1月と7月
1月と7月
11 Rue des Grands Augustins 75006 Paris
https://1to7.fr


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