会期|2024年4月26日(金)−4月30日(火)
   *4月26日は青花会員と御同伴者1名のみ
時間|13時−20時
会場|工芸青花
   東京都新宿区横寺町31 一水寮(神楽坂)
監修|日野明子


講座|日野明子+柴原孝|産地問屋と考える産地
日時|4月26日(金)18時−20時
会場|悠庵
   東京都新宿区横寺町31 一水寮(神楽坂)
https://store.kogei-seika.jp/products/lecture-kogei-75







日野明子 HINO Akiko
1967年神奈川県生れ。共立女子大学家政学部生活美術科に入学したところ、工業デザイナーの秋岡芳夫先生に出会う幸運を得る。大学時代は旅行中に各地の民藝館の魅力に取り憑かれたが、クラフトも捨てがたく、就職はクラフトが強かった松屋の子会社「松屋商事」に入社。最初の配属はクラフトマインドを持ったフィンランドのガラスメーカー「iittala」。営業7年。休みの日は産地を巡っていた。1998年に会社が解散。1999年に見切り発車で、“ひとり問屋”スタジオ木瓜を立ち上げる。現在は、展覧会企画、産地アドバイザーなど。季刊誌『住む。』(泰文館)連載「作り手の家を訪ねる」。アクシス web magazine 連載「宝玉混沌パズル」(以下)。
https://www.axismag.jp/posts/serial/hinoakiko-puzzle


今展によせて  日野明子


昔は野暮ったく感じられた“地場”とか“産地”という言葉が、いつの間にか、“なんとなくカッコいい”ワードになって久しい。これらの言葉が流行りのように使われることに、違和感を感じてしまいます。もしくは「後継者とかどんどん減るでしょう」と悲観を押し付けられるのもなんとなく納得いきません。
 都会でしか暮らしたことがない人間が何を偉そうに、と言われそうですが、数だけはそこそここなしているのでお許しいただきたい。色々な作り手に会ってきましたが、そのバックグラウンドに産地があることで、ものづくりの強さがグッと増すことに気づき、その度ごとに産地の底力を感じます。
 産地には何があるか。歴史、土地、素材、そしてそこに根付く人。これらが絡み合い、ものづくりをより骨太にしています。実際、産地を訪ね、作り手同士の何気ない会話を聞いていると、他の産地ではなかなか手に入らない材料や道具を何苦労なく手に入れたり、土地に受け継がれた作業手順があったり、困った時に聞けば教えてくれる先達がいたり、と、その層の厚みに驚かされます。
 今回は、産地との関わりを持つ5人の作り手に声をかけ、それぞれの関わりをご覧いただき、産地に根付いた骨太なものづくりをご覧いただきたいと思っております。

佐藤暁子
出会った時は東京で編集者として活躍されていた佐藤暁子さんが、岩手県岩泉町に引っ越した、と聞いた時は驚きました。その土地の知恵を後世に残すため、地域おこし協力隊のフリー枠としての移転。どんなふうに日々暮らしているか、と尋ねてみると、「稲作以前」の雑穀や木の実食文化を残す山間地域の暮らしぶりを財産として理解し、見聞し、実践し、記録に残しています。東京時代から編組品の収集をしていた佐藤さんは、岩手にとどまらず、自由な時間があれば、他県にも足を運び、情報収集に余念がありません。今回、出品されるのは、彼女の独創と古い技術が相まった作品です。

素素(加子由子)
素素の屋号で活動する加子由子さんが作る楮の和紙の凛とした美しさ。その秘訣はなんと言っても、「根気強い塵取り」。自然物である楮を原料にする限り、塵が入ることは当然と言えば当然。ですが、加子さんは自分の追い求める紙の質感のために、他の作り手が呆れるほどの塵取りを続けます。すべての作業時間が値段に反映されたら、とても手に届かない金額になることは想像に難くないですが、それでも加子さんは塵を取り、冬の1ヶ月、集中して紙を漉きます。加子さんが産地にいる時間はわずかですが、惚れ込んだ那須楮を茨城から技術を身につけた美濃に運び、美しい紙を漉き続けています。人に見られると桁の中の水の動きが乱れてしまうそうで、「一人の空間で水の音を確認しながら作業をしている」そうです。鶴の恩返しのつうの織る布のように出来上がる美しい和紙が、一水寮の美しい空間でどのように映るか、楽しみです。

皐月窯
愛媛県砥部焼の産地で作品作りに勤しんでいる「皐月窯」の中田太郎さん、千晴さん夫妻。砥部と言えば、白い素地の印象がありますが、それは原土を精製して出来上がったもので、砥部焼の始まりはもっと土感がありました。夫妻は砥部の原土の強さに惹かれ、今、新しい一歩を歩もうとしています。そこには原料を供給してくれる同世代の採掘業者・伊予鉱業所の存在も大きいです。地元の土への敬意を感じる作品をお楽しみください。

中山木工
“木漆工とけし”として、漆器を作る時は、木地を弘幸さんが、塗りを妻の愛さんが担当します。「木地屋としての工房」の屋号が中山木工で、中山は工場の地名です。渡慶次さんは沖縄の訓練校で木工に触れたのち、指物の技術習得のために輪島に移り住みます。分業の街・輪島で、木地屋である輪島キリモトに就職。「工房で親方や先輩から技術を習得する意義」を感じます。沖縄には琉球漆器はありますが、従事者は年々減るばかり。どうにか職人を育てたい、と奔走しましたが、現実は甘くありません。今回、出品の箱は「弟子ができたら、修行中の彼らに作ってもらいたい」品です。人を雇っても、育て上げるまで、雇い主はお金がかかります。彼らが一人前になるための品物も考えながら、渡慶次さんは将来の職人志望の若者を待っています。

山一
株式会社山一の柴原さんは、通勤のように東京から木曽までを月に何往復もします。“地場問屋”の立場の柴原さんは、常に産地の動きを把握すべく、こまめに作り手を回っています。問屋や業者の中には、クオリティよりも、儲けるだけのために職人に仕事を発注する人もいます。言い値で不当な安値で発注をする輩もいます。ですが、柴原さんは、正しく作り手を理解し、適材適所、この仕事にはこの人、と仕事を出しています。産地の高齢化が叫ばれますが、今回は、木曽での技術を誇りに思う若い作り手3人を紹介して頂きます。インターネットを使えば、職人が直接、誰にでも販売できる世の中で「作り手が問屋に託す意味」も併せて考えたいです。






上から
佐藤暁子 すず竹の籠
皐月窯 ホルダー(載るものは陶石)
中山木工 カッティングボード
素素 和紙
中山木工 工房風景
写真提供|日野明子

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