2 初期伊万里蓮葉文小皿




この皿は市場(骨董業者の交換会)で買ったものです。下見で手に取った時から気に入っていました。最近では(一部の著名な品を除いて)伊万里全体の値崩れが激しく、それは初期伊万里も例外ではありません。商いとしての伊万里の仕入れにはどうしても慎重になってしまいます。安いと思い仕入れた品が、それより安い値でしか売れぬと云うことも度々で、安易に「安さ」に飛びつけぬのが現状です。疵だから、甘手だから、絵柄が平凡だからと云った理由があっての安価ではなく、需要そのものが激減したのではと思える低迷が続いています。それでも尚、見かけると買わずにはいられない伊万里に出会うことがあります。この皿もそんな1枚でした。蓮の葉を描いた珍しい1枚で、似た意匠の皿をどこかで見た覚えがあるのですが、さてどこで見たのか……と、下見の間に記憶を辿っていて思い出しました。青山二郎旧蔵の古染付皿で、2006年に渋谷区立松濤美術館で開催された「骨董誕生」展で実物を見て感動した皿に似ている、と曖昧な記憶で思い出していました。そうなると俄然欲しくなります。青山旧蔵の皿は30センチほどの大皿でしたが、こちらは小皿です。ままよと市場で買い落とし、持ち帰った次第です。早速「骨董誕生」展図録を探し出し、比べてみました。似ていると云えば似ているし、違うと云えばだいぶ違いますが、古染付から採られた意匠なのかも知れません。

骨董を長く続けている中で、幾つかのジャンルで人気や価格の大転換に立ち会うことになりました。伊万里もそのひとつです。今回はそのお話を……。

私が骨董屋になった30年前(1990年代前半)、そば猪口人気は落ち着きを見せていましたが、入れ替わる様に伊万里の高騰が始まりました。私の郷里は新潟で、もともと伊万里の豊富な土地です。伊万里を扱う業者や買出し人も多く、私も毎月新潟へ帰っては、それらの店を廻り、目ぼしい(東京で売れそうな)品、買える品を手持ち資金の許す範囲で仕入れ、東京の市場で売っては何がしかの利益を得て暮らしていました。伊万里人気の高さは仕入れた品(伊万里)を売ってみれば分かります。作の良い伊万里を東京の市場で売った後、伊万里を専門とする業者が店にまでやってきて、まだ隠している在庫がないかと訊ねられることもありました。

ある日、馴染みの先輩業者と雑談する中で、「新潟でも、たこ唐草の壺が◯十万もしていた」と呆れて言うと、「それを買ってきてくれ」と頼まれました。驚いて「何で?」と訊けば、「お客さんに頼まれている」とのこと、必ず買うからと念を押すので、件の壺を翌月買って帰ってきました。今あの、たこ唐草壺が市場に出てきても10分の1の値でも売れるかどうか……。

当時の伊万里人気の底流には、佐賀県立九州陶磁文化館に寄贈された「柴田コレクション」の存在があったことは否めません。1990年に発刊された柴田コレクション図録は、初期から盛期、後期伊万里まで、おおよそ江戸時代全てを網羅した伊万里(古九谷様式を含む)の集大成とも云える内容で、以降も続編の刊行が続きました。「柴田コレクションにない伊万里はない」と云えるほどの充実ぶりで、この図録の発刊が伊万里の編年(時代検証)に大いに役立ち、それと同時に巷の伊万里蒐集熱にも火をつけた感があります。

「柴田コレクションにある(載っている)品」と同じだから売れる。高額な伊万里でも同図録に掲載されていれば、安心感からでしょう、多くの業者や蒐集家が欲しがりました。また、「柴田コレクションにない(載らぬ)品」にも人気の波は及びました。珍しい意匠、モダンな文様、変わった文様の伊万里は高値となって、次々と営業力、資金力のある業者や蒐集家に買い占められましたが、高騰の後、伊万里人気を一気に冷え込ませる出来事が起こります。長くなりそうです、急落の顚末は次回に……。



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*この連載は、高木孝さん監修、青花の会が運営する骨董通販サイト「seikanet」の関連企画です
https://store.kogei-seika.jp/

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