*この連載は seikanet(骨董通販サイト)の関連企画です

6 神馬





全日本プロレスに、かつて夏になると来日するミル・マスカラスというメキシコの覆面レスラーがいました。この人は、リングコールのときに2枚かぶっているマスクの上の1枚を脱いで、観客席に放り投げるというパフォーマンスをするのですが、そのマスクの行方をテレビカメラがパンして追っかける。するとそれを摑もうと殺到する観客の手の中にマスクが消えてゆく。その光景が子供心に羨ましくて仕方がありませんでした。自分にとって、面というものに所有欲をおぼえた最初であったかもしれません。マスカラスの覆面があまりに欲しすぎた自分は、キンカ堂でフェルト生地を買ってきて、顔のサイズに合わせて裁断し縫い合わせ即席の覆面を作り上げ、それをかぶって部屋の中をうろつくだけでは飽き足らず、外に飛び出して近所を自転車で疾走したのでした。だから面という道具が、かぶる人を不可解な酩酊状態に陥らせるものであることを、自分は経験から何となく知ってはいるのです。偉そうに語るほどのことではありませんが。

面をかぶって何者かに成り代わるという文化は、南極を除く五大陸に存在するようで、そうなると人類に生得的に刷り込まれた表象行為であるとしか思えません。素顔を隠して違う何かに生成しようという営為は、子どもがお祭りの屋台に並ぶお面をむやみに欲しがる欲望と通底しているのかもしれません。ホイジンガとかカイヨワなどを読んでみれば、半可通なことは言えそうですが、知力と根気の著しい欠如によって今は無理です。なんであれ、変身願望を誘発する不可解な力が、面が人を惹きつける理由の一つではあるのでしょう。

小松少年の度肝を抜いたこれらの面を蒐集所有していた空想の森美術館館長高見乾司という人。小松さんから話を聞くまで、うかつにもその名を大脳皮質から引き出せずにいたのですが、洲之内徹が興味を感じて会いに行くほどの傑物だったらしい。などと聞けば遠い伝説上の人物を思い浮かべますが、ネットを探れば今も更新が続く氏のブログを読むことができます。結構な頻度でアップされていて、読めば伝説どころではない、今なお現在進行形で活動している方であることがうかがえます。美術館を建てる前には、喫茶店や骨董屋を経営していたこともあるそうで、察するに好きなことを引き寄せて没入できる人のようです。こういう度量を持つ者にこそすごい物が手元にやってくるのだと思い込むぐらい、個人的には感化されました。

空想の森美術館の沿革を見ると、中学生だった小松さんがここを訪れたのは、たぶん開館して間もない時期でしょう。壁を埋め尽くしていたという面の他に、木彫の神馬が飾ってあったのが強く印象に残ったそうです。これらワケの分からぬ物たちが放つ力がいったい何であったのか、少年の時分に言葉にできずにいたもの、それはある種の死生観のようなものではないか。最近ようやくそんなことに思い至った、と小松さんは言いました。古物を扱っている中でこういう視座を持つ人がどれくらいの割合でいるのか分かりませんが、小松さんの言葉のはしばしには、物と自分との出会いの端緒を探ろうという気構えを感じます。骨董・古美術の界隈で面というのは、実に周縁のマイナーで奇特なジャンルであるかもしれませんが、だからこそ、そこにはいっそう小松さんの精神性が色濃く反映されているようでもあります。どういう話の流れであったか、「何をどう扱うか……好きにやっていいんだ。坂田さんにはそれを教わった」とふいにぽつりと漏らしたのが印象的でした。

ところで上記の神馬、今は小松さんのお店にあるのです。少年の頃に目にした得体の知れぬ物が時空を超えて手元にやってくる。そういう機縁はこの業界ではまま起こりうる話なのかもしれませんが、事実として目の当たりすると不思議な引きの強さを感じて、たしかに世界には見えない力の法則が働いているのだ、と根拠もなく思い込んでしまうのでした。



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