*この連載は seikanet(骨董通販サイト)の関連企画です

9 牛王宝印





「我々は自分の趣味に合うものを褒める。つまり我々が何かを褒めるとき、自分の趣味を褒めているのだ」とニーチェが言っています。なんか当たり前のことを言ってる気もしますが、ニーチェの言葉だと思えば、含蓄に富んでいるようでもあります。趣味という響きが、余暇のホビーのような軽い意味に聞こえますが、実際はその人の全歴史が形成してきた心性であることを思えば、「好き嫌い」というのはかなり根深い問題です。よほどの批評的射程をそなえてないと、趣味に合わないものを褒めるのは難しいことで、たいてい好悪の判断は感性の枠から外に出ることはありません。今回はそんなニーチェ的命題をひっさげて、読売ランドまで行ってまいりました。というのはハッタリで、本当はさっき思いつきました。骨董こそまさしく趣味の問題を濃厚に孕んでいると思いつつ。

honograのドアを開けると、一枚板のテーブルには黒々とした木の塊が並べてあり、それを前に小松さんが、何かを考え込むような謎の表情をうかべて座っていました。黒い木の塊は牛王宝印の版木です。自分などはそんなのを見ると、乱舞はしないまでも狂喜に近い感情が押し寄せてくる者ですが、人様の店でわあわあ騒ぐのもはしたないので、これまたすごいものばかり集めたものですね、などと努めて平静をよそおい、その黒い物体を撫でさすったり持ち上げてみたりするのでした。

牛王宝印は「ごおうほういん」と読みます。社寺で刷って正月に参拝者に配った災厄除けの護符です。護符の配布がいつまで遡れるものなのか、学術的な詳細を述べるのは任にあらずですが、日本の中世古文書集成である東寺百合文書には、正安4年(1302)の牛王宝印料紙が最古のものとして残っています。市場で見かける護符はたいてい江戸時代のものですが、少なくとも鎌倉時代にはそういう紙を配る習慣が存在していたわけです。門口に貼ったり身につけることで災厄除けの札として機能するという点では、前回の年画と同じですね。牛王ってなんだという話ですが、これは諸説あって決定打はありません。が、通説としては牛頭天王に由来するだろうということです。牛頭天王は素戔嗚尊が姿を変えて現れた祇園社の祭神であると言われていて、この荒ぶる神の強い霊威にあやかって護符のアイコンとして定着したのでしょう。熊野神社、高野山、八坂神社、山王、白山、熱田などで出される牛王宝印ですが、名高いのはなんといっても熊野のものです。八咫烏を図案化したデザインのアートワークとしての達成度の高さは、ちょっと目を見張る仕事です。その熊野の版木がhonograの棚に飾ってありました[上]。他のものよりずっと分厚くブロックのような形状です。木版の型とは思えない量感は用途の利便性を度外視していて、これ自体に何かが宿っていると思わせる力を秘めています。社寺や公共機関の所有する古い版木を見ると、制作年代の推定は1500年代の室町時代。これも同じ頃のものかと思われます。

骨董には、業者とわずかなコレクターの間でのみ妙にもてはやされるアイテムというのが少なからずあって、今回見せてもらった版木などはその手の物のひとつでしょう。右から左に売れるわけでもないはずなのに、市場に出ると好きな業者どうしが競り合っていやに高くなるという。売れもしない物を好む骨董屋の「趣味」とはいったい何なのか。世の大半が理解しえぬものに目が行き届いているという優越感、というのはありそうな話ですが、小松さんを見るかぎりだと、どうもそういうメンタリティとは無縁です。「こういうものにしっかり言葉を添えて、世の中の人に知ってほしい」というようなことを彼は言うのです。皮肉ではなしに、ときおり少年マンガの主人公のごとき愚直さをのぞかせる小松さんに驚かされることがあります。売れそうもない物ばかり店に置いている業者を見ると、同業者は「ほんとに好きなんですねー」と、畏敬と軽い嘲弄の念を交えて言うことがありますが、その手の業界用語にともなう文脈をはねかえす強さが小松さんにはあると思っています。きっとそんなこと言われたら、「そう、大好きなんですよ! みんなにもこの良さを知ってほしいですねえ」と答えてから、また謎の表情をうかべそうな気がするのです。



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