
タイの古陶磁コレクションでは世界有数の蒐集家である永田玄さん(1952年生れ)と、画家だったその父、永田力(1924-2014)の二人展。日本にはほとんど招来されていない北部タイの古陶20数点と、『小説新潮』挿画ほか、永田力晩年の画境をしめす優品40点余を紹介します(販売有)。
会期|2026年7月24日(金)-8月7日(金)
*7月24・25日は⻘花会員限定
休廊|7月31日
時間|12-18時
会場|青花室
東京都新宿区矢来町71 新潮社 soko3F(神楽坂)
講座|永田玄|父の絵とタイの古陶
日時|7月26日(日)18時半-20時
会場|青花室

永田力 NAGATA Riki
画家。1924年長崎県生れ。2014年歿。1948年復員し上京、マキノ映画に就職するが1年で退社。1950年より新聞雑誌等の挿画を手掛ける。1951年、自由美術展に出品、鶴岡政男を知る。1953年、風間完、太田大八、高井寛二、齋藤三郎、油野誠一、六浦光雄らと「エンピツの会」結成。1960年より南天子画廊で個展。1961年、水上勉の連載「飢餓海峡」挿画により講談社さし絵賞受賞。1995年、東方芸術思潮研究会設立。
永田玄 NAGATA Gen
編集者、プランナー、蒐集家。1952年東京都生れ。平凡出版株式会社(現マガジンハウス)で雑誌編集を手掛けたのち独立、広告、編集等の仕事に従事。一方で1980年代後半よりタイ文化に強い関心を抱き、タイ北部の古陶を中心に蒐集を続ける。父は長崎県出身の画家・永田力。現在は東京と長崎の2拠点で生活する。

今展によせて 永田玄
1960年ごろ中野坂上にあった父のアトリエの棚には一体の仏像があった。それを私は遺品として手にした。その仏像の由来を知ったのは父が亡くなった後のことであった。仏像は7匹のナーガを背負った13世紀アユタヤの木彫であった。
父は画家としておそらく長く「西洋」という美の世界と闘ってきて、70歳を過ぎた辺りで足元を亜細亜、日本に置いて筆を、ペンを持った。それが今回お見せする彼の最晩年の作品群だ。
一方で私は1980年代の後半から意味も分からずに北タイの古陶に魅かれて土中からの発掘物に30年近くも長く散財をした。仕舞いには長崎県美術館で展覧会まで開かせて頂いた。それが、このところ親父の絵と私の古陶を自宅の部屋で眺めていて思った。父の絵と北タイの古陶は「似合う」。この親和性、何故なのか? ずうっと考えてある日、らしき答えが見つかった。古陶を作った職人の手先にも、父の絵筆の先にも、あるものが無かった。それは「邪念」だ。父は画業50年を過ぎて、西洋からの自縛も解け、画家としての売名の意識からも解放され、ただ筆が躍った。古陶の職人はおそらくに、楽しそうに土を捏ね、釉薬を施していたのだろう。北タイの古窯は商いというほどの数でもなく、数少なく作られていたようだ。北タイの古陶研究の第一人者であるイギリス人J.C.Showは1989年出版の巻頭でこう綴っている。「北タイの古陶は南部のそれの劣った模倣品として扱うべきではない。私は確信している。北タイの陶器はおそらく東南アジアの中で最も優れたものと言えるだろう」と。
北タイに固執した私のコレクションの一部と、父の絵の同時展覧会。邪念から解き放たれた創作者のかけ離れた二つのパーツを繋ぎ合わせられる魔法にただ私の心が躍るのを禁じ得ない。
■永田力の画境
小さい頃、私はよく父のアトリエに呼ばれた。そこで彼の書きかけの絵に意見を求められた。挿絵について、油絵について。私はその都度生意気を吐いた。「絵が上手い」とは何を指し示しているのだろうか? 彼には描写力があった。線画であろうが、水彩であろうが......。その上、その場に漂う雰囲気というのか、空気感のようなものまで描けた。結果、出版界での成功をものにした。水上勉、吉行淳之介、小島信夫、開高健、野坂昭如......多くの作家との仕事を愉しんでいた。当然生活は満たされた。ただ、彼にとって満たされていなかったのが油絵での確実な成功であったかもしれない。深く、長く、友として画壇をともに歩いた絵描きがいた。鶴岡政男である。鶴岡はいつも極貧であった。しかし、彼の作品は売れずとも、孤高の世界に達していた。
戦後、画家だけでなく、作家も、知識人も、全てのインテリにとって「西洋」への憧憬とともに劣等感があり、その複雑な感情が創造の道を困難にしていた。事実、父も2度渡仏している。帰国後は「顔を描く画家」という謳い文句で個展を開いていた。売れた。しかし、想像するにその名声も、成功も彼にとっては歯がゆいものであったと想像される。
1995年、彼は「東方芸術思潮研究会」なる会を立ち上げ、過去を捨てて足元を東方においた芸術運動を始める。その会は20年、140回を重ねた。今回展示している作品は装画も含めて、彼にとっての終着点となる画境だ。色、線、重複、反応、展開、そして昇華。抽象でもなく、具象でもなく。これが一人の画家が70年掛けて到達した世界なのだ。
■北タイの古陶について
日本ではタイの古陶というと「宋胡録(すんころく)」を思い浮かべる人が多い。その昔、茶人が南蛮物として珍重したと言われてもいる。しかし、批判を怖れずに断言してしまえば、それらは大量生産品だった。輸出も盛んに行なわれていた。タイの中部スコータイ付近の歴史公園を訪ねてみると、遺跡として保存されている巨大な窯がまるで工場のように並んでいた。この窯の品は硬く、運搬にも向いていて、様式も確立されていた。つまりは「商品」。それがスコータイ、シーサッチャナラーイ、サンカロークなどの窯の品だ。技術指導したのは中国人だと想像される。
私が心惹かれて、30余年の長きに渡って蒐集し続けている古陶は、そこから北へ400キロほど北上した北部タイの窯の品々だ。今回お見せする古窯の作もほぼ全てが発掘物だ。サンカンペーン、カロン、そしてパヤオ。ついでにワンヌア、パーン......。サンカンペーンやパヤオの土中から発掘された窯を訪ねると、それらは呆れるほどに小さい。当然作られる量も少ない。何故か、これらの窯の古陶が私の心に沁みた。
この窯の職人たちはどのような心境でこれらの皿を作っていたのであろう。何故にこれほどに優しく、私の心に染み入ってくるのだろう。強引に結論づけてみた。職人達には「気儘」が許されていたのだ! 何故なら似た文様や、絵柄はあるものの、どれも多少違う。商売だから「売りたい」、窯の親方から「褒められたい」といった気持ちがなかったのだろう。ただ彼等はその日の筆の勢いに任せて......。この機に、これらの古陶を多くの方々に見て知って頂けることがただ嬉しい。












2|鉄絵唐草文鉢 タイ/カロン窯 14世紀
3|永田力 無題 1982-95年頃 水彩、紙 *『小説新潮』挿画
4|青磁双魚文鉢 タイ/サンカンペーン窯 14世紀
5|永田力 無題 1982-95年頃 グアッシュ、紙
6|青磁碗 タイ/カロン窯 14-15世紀
7|永田力 無題 1982-95年頃 グアッシュ、紙
8|白釉大皿 ビルマ 15-16世紀
9|永田力 無題 1982-95年頃 グアッシュ、紙
10|鉄絵葉文鉢 タイ/カロン窯 14世紀
11|永田力 無題 1982-95年頃 水彩、紙 *『小説新潮』挿画
12|同
13|同
14|『小説新潮』1996年9月号目次
15|『小説新潮』1996年9月号表紙
