7 欧州の鉄製燭台




この鉄製燭台(18−19世紀)は、古道具坂田(坂田和實さん)の扱った品で、先月のノコギリや定規と同じく、私たちの主催する交換会(集芳会)に蒐集家の旧蔵品として出てきたものです。鉄の枯れ(荒れ)具合が好ましい頑丈な作りです。この燭台が似合いそうな場所は、石壁に囲まれたような冷たく暗い空間でしょうから、華やかさや麗しさとは対極ですが、本来、用に徹した美とは、そのようなものかも知れません。

さて、先月の宿題。「坂田さんが扱った品と、坂田さんが扱いそうな品とでは、今は価格に大きな差があります」と書きました。それはナゼなのか……についてです。

話は逸れますが、ここに状態のよい唐津の筒盃があったとします。値段は100万円、唐津専門の某は「この釉肌と高台の削りは疑問だ。本物であれば100万円では買えない。買ってはいけない」と云い、名品酒器蒐集で高名な某は、「これだけ状態のよい唐津の筒盃は滅多に出てこない。買わなければ一生後悔する。即買うべき」と。さて、あなたならどうしますか。

これだから骨董品は厄介、何を信じて買ったらよいか判らなくなる……ですね。その通りです。骨董についてまわるのがこの真贋問題です。ある特定の分野に於いて、そこ(真贋)をクリアした人が「眼利き」と呼ばれます。蒐集家の誰もが、そう簡単に眼利きになれるはずがありません。きっとお店を信用するか、自身の経験から「よい(真作)」と判断したものを買っていることでしょう。

しかし、自身が「よい」と信じて買った高価な品が、眼利きと云われる某に「ニセモノ」と批判されたりするのが骨董の世界です。骨董界は複雑怪奇なややこしいモノたちで溢れています。

前置きが長くなりました。坂田さんに戻ります。その常識(骨董とは複雑怪奇なややこしい世界に漂うモノたち)を覆したのが、古道具坂田(坂田和實さん)です。店主曰く「店から出ればタダのゴミ」は、今や伝説となった名言です。ゴミでは骨董の魑魅魍魎(ニセモノ)が入り込む余地もありません。つまり、坂田さんの扱う品(商品)には贋作がないのです。これは、骨董にとっては画期的なことで、骨董界ではよほどの骨董商でなければ「この扱う品に贋作はない」という信用を獲得することはできません。栗八の扱う品などは、この道何十年と経った今でも「どうなんだろうか……」と、半信半疑で見られています。真贋問題を気にせずに買えるレベルの骨董商の扱う品は、当然に高価です(高価な品だからこそ真贋についての鑑定眼もしっかりしていると云えます)。

さて、坂田さんです。「真贋を気にせずに買える品、しかしゴミ」では、今日の坂田人気を説明できません。古道具坂田の真骨頂と云うべき先進性はその先にあります。幾多ある(坂田さん曰く)ゴミの中から、坂田さんの眼が「これ」と選び、店頭に並べられた品に意味(価値)があります。その意味を皆さんに理解していただくのが今回の趣旨です。

もう一度、書きます。「古道具坂田に並ぶ品には贋作がない(ニセモノの入り込む余地がない)」まではご理解いただけたと思います。つまり、坂田さんの店では(巷の骨董屋とは違い)真贋云々を気にせずに並べられた品を見ることができたのです。普段骨董屋にあるはずの真贋の壁が、古道具坂田には初めからなかったのです。それは、古道具坂田の扱う品が、巷の骨董屋には並ばぬようなゴミ(と呼ばれるモノ)だったからか……その通りです。坂田さんは真贋の壁に遮られないモノを、無意識にせよ(結果的に)選んでいたのではと思います。ゴミと意識されている、それらの中から、「これ」と坂田さんが感じ、選び取った品が古道具坂田に並べられました。ある人は、その(坂田さんの選択)基準を「使い込まれた手ずれの美」と称しています。

幾多あるゴミの中から、坂田さんの眼が選び取り、古道具坂田に並べられた品にこそ意味(価値)があります。それが現在、坂田さんの扱った品と、扱いそうな品とでは、価格に雲泥の差が出ている所以です。

ここまで熱心に読んでいただいても、「何でそうなるのか、サッパリわからない」と思うかも知れません。「◯◯市場で、坂田さんの品が何百万円で売れた」との噂話を耳にすれば呆然とするのは当然です。現場(市場)に居る骨董屋でさえ、驚いている人が多いのですから……。

坂田さんの扱いそうな品の多くは、今でも「骨董」とは呼ばれません。でも、坂田さんの扱った品はすでに「骨董」となっています。屁理屈のように聞こえるでしょうが事実です。その応えは次回に。





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*この連載は、高木孝さん監修、青花の会が運営する骨董通販サイト「seikanet」の関連企画です
https://store.kogei-seika.jp/

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