青花の会をはじめて3年がたちました。このたび、会員の方々の御協力をえて、白(10-11月)と青(11-12月)の展覧会を開催することができました。ジャンル、新古を問わず、手工芸と工業製品の別も問いません。いろいろな「白」にふれることで、工芸すなわち人にとって「白とはなにか」を考える機会にできたらと思います。


会期|10月26・27・28・29日(木金土日)
   11月2・3・4・5日(木金土日)
   11月9・10・11・12日(木金土日)
時間|12-19時
会場|工芸青花
   東京都新宿区横寺町31-13 一水寮101(神楽坂)
出品|内海徹(gallery uchiumi)
   大治将典(手工業デザイナー)
   大谷哲也(陶芸家)
   太田ゆかほ(月日荘)
   小林和人(Roundabout/OUTBOUND)
   小山剛(木工家)
   志村晃良(志村道具店)
   富井貴志(木工家)
   中澤希水(書道家)
   広瀬一郎(桃居)
   松本武明(うつわノート)
   三原佳子(日本刺繍作家)




白いうつわ  広瀬一郎


2000年代に入って間もないころ、「白いうつわ」ブームというものがありました。誰かが仕掛けたブームというよりも、ある種の集合的無意識が呼びだした必然だったのではないかと、いまはおもいます。80年代は世の中全体が軽い躁状態というかユーフォリア的な症状に包まれていました。強いもの、激しいもの、新しいものがつねに求められた時代でした。90年代初めバブル経済は崩れ去りましたが、その余燼と余熱は長く尾を引き、新奇と絢爛と過剰に親和する80年代風の傾きは90年代末まで残りました。世紀が変わったあたりから時代の風が変わります。暮らしのクールダウンを多くの人々が意識し始めました。あれもこれもから、最小限で生きることの豊かさへ。ものがない静かな空間に身をおくことの快適へ。「白いうつわ」が求められた背景には、微熱の時代から平熱の時代へという変化が読みとれます。

しかしあの時代なぜ「白いうつわ」が浮上したのでしょうか。素直に考えれば、白いごはんを毎日食べても飽きないように、白いシャツを毎日着つづけても嫌にならないように、白いうつわも「ふつう」や「きほん」に結びつくものとして登場したのでしょう。ただ、深読みすればそこに日本人独特の美意識に回帰したいという無意識の欲望を視ることも可能かもしれません。色や文様を排した白いうつわは、それ自体なにものももたないうつわともいえます。なにもないことのもつ豊穣さ、簡にして素なるものがはらむ無限性、そういった近世初めに成立した私たちの美意識のルーツに触れたいという欲望が白いうつわを召喚したといえるのかもしれません。

なにもかも失った焼け跡から出発した戦後ニッポンは、50年以上足し算と掛け算だけをくり返してある頂きに達しました。登りきった頂きから見える風景は荒涼としたものでした。「白いうつわ」には引き算と割り算で作られた私たちの美意識の原基に再接近したいという願望が隠されているのではないでしょうか。

「白いうつわ」ブームは去りましたが、白いうつわがなぜあれほどに必要とされたかというテーマはさまざまに読み解くことが可能な課題としていまも目の前にあります。そしてブームは終わっても、白いうつわは作りつづけられています。うつわに限らず、工業製品も含め、私たちの暮らしのなかに「白」は遍在し、増殖しています。

白はしかし、白という具体だけを指し示すものではありません。blank や emptinessもまた白です。空っぽなもの、ある不在性、そういった白も含めて今展の「白」は発想されました。空であるからこそそこに生まれる充実、空であるからこそ成立する多様性。それを発見することも今展の大きな愉しみです。参加者それぞれの眼をとおして、工芸が見つめる「白」の現在がさまざまに展開されることを予感しています。
















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