10 西洋カルタ




今回は『芸術新潮』が特集したアメリカの石油王ポール・ゲティの美術館について。坂田さんによればその蒐集の特徴は〈日本人の情緒的なモノサシなんぞは受け付けない、肉感的美女と超キン肉マン中心の、いわば科学的モノサシの世界〉ということになる。

〈肉感的美女と超キン肉マン〉と〈科学〉という取り合わせには19世紀における西洋近代文明との邂逅において日本が圧倒された西洋の「強さ」が投影されており、〈情緒的な〉日本(柳宗悦や坂田さんも含む)がそれに憧れと反撥を同時に抱いた/抱き続けている経緯についてはブログ第8回に書いた通りだ。西洋文明とその美術の強さは今も〈僕達日本人が学校で丸暗記させられ〉続けている。

一律に上から押し付けられる強い価値観を皆が唯々諾々と受け入れること、これほど坂田さんが嫌ったものはないだろう。坂田さんは『芸術新潮』が特集したゲティ・コレクションにそのような権威主義を感じ取り、同じ誌上に連載を持つものとしてアンチテーゼを表明したのだろう。採りあげられている3枚のトランプカード、最初のキングとクイーンはもちろん〈肉感的美女と超キン肉マン〉であるゲティとその取り巻きの女性を示している。それに対する坂田さんの切り札は〈さしずめ日の丸弁当〉というただの1の数札。しかし多くのゲームで1(エース)はキングやクイーンに勝るのだ(その根拠がフランス革命に由来するという説は面白い)。鮮やかな逆転! と思いきやカードの裏には借金の借用書、という皮肉なオチも効いている。

ではゲティ・コレクション、つまり西洋美術の王道に対して、〈僕んちくんだりでは作品が完璧すぎて、ハデすぎて、この分野のものは残欠やトルソーの状態じゃないとなかなか受け入れにくい〉と書く坂田さんが選ぶモノには具体的にどんな特徴があったのか? この機会に『ひとりよがりのものさし』に採りあげられたモノを見直してみたい。

i)窶れたモノ 
まず上記に書かれた残欠、トルソー。これは完璧な状態から何かが欠けた状態ということだろう。陶片などの割れたモノも含まれる。ではリネンフォールド(布を折りたたんだ襞を模した装飾)など家具の一部だったものはどうか? これについては本来あった全体の一部ではあっても、部分としては完璧に成立しており「欠けた」状態とはいい難い。もっと言えばただ一部が欠ける、ということより全体的な状態が虫食いや時代の窶れなどの結果、元の状態から何かが失われているということに着目されているのではないか。繕われているモノはどうだろう。金継ぎされた皿やツギハギが施された布はもちろん「古道具坂田」にあった。しかしそれは直しにフォーカスされたものというより、直しが必要なほど窶れたモノというニュアンスであったように思う。つまり窶れた状態、脆さ、儚さを感じさせることが選ばれる基準のようなのだ。01.ボロ布、05.ブリキのヒコーキ、08.李朝白磁とデルフト白釉、11.西アフリカの土偶、15.厨子、16.ヨーロッパのテーブルウェア、29.アフリカの面、38.灯火器、43.コプト裂、46.埴輪、49.パチンコ台あたりによく見ることができる。

ⅱ)稚拙なモノ、しかしひたむきさのあるモノ 
坂田さんはロマネスク美術が好きだった。ロマネスクではその前後のグレコ・ローマンやゴシックと異なり、解剖学や理想といった人間の外に設定された視線からではない、人間が思うままの、人間の内面にある世界の在り方が表現されている。そこでは子供の絵のように興味のある部分(例えば人の顔)は大きく、興味のない部分は小さく表現される。正確にはそれは稚拙さではないのだが、科学のレンズを覗いてしまった我々にとっては稚拙という以外の言い方を知らない。科学はその理念として不変であり普遍であり完全なものだ。そこに近づこうとするならば必要なのは分析と技巧であり、人の思い、情緒は後景に退く。坂田さんがロマネスクを好きだったのは、自分の思いのみを頼りに制作した人間の、〈科学のモノサシ〉で測れないそのひたむきさがそのままあらわされているからだろう。33.書、36.木彫聖者像で書かれたテキスト、特に前者に引用されているロダンの言葉には稚拙な、しかしひたむきなモノ、の核心が説かれている。

ⅲ)はっとするモノ 
坂田さんが最初の発見者ではないかもしれない(坂田さんと同時期に、あるいは先行して坂田的なモノを扱っていた業者はいっぱいいる)けれど、坂田さんによってあらためてその造形にはっとした、あるいは初めて気づかされたモノも多いのではないだろうか? はっとする、とは言葉以前の衝動のことだ。21.の脱穀機を前に、ああ、これは20世紀フランスの民具だな、と思って驚く人はいない。名づけられる前のモノ、分類される前のモノ、モノそのものの圧倒的な存在感に人は言葉を失う。モノそのものに対峙する、それこそが骨董の魅力、そして「古道具坂田」の魅力ではなかったかと僕は思う。02.ドゴン族の柱と扉、09.アフリカの通貨、13.樹皮布と楯、20.エチオピアの聖書、21.脱穀機と蜂集め籠、23.日本地図、32.李朝の漆工品など。

ⅳ)線を感じるモノ 
ⅲ)の驚きがそのモノとしての存在感であるのに対し、それを線に感じるモノ。よりグラフィカルなモノといえるかもしれない。12.うなぎ取りと針金、24.銅製経筒とブリキの茶缶、26.風見、39.螺旋階段用ガード、41.虫籠、47.板、48.供養塔など。

ⅴ)汚れたまたは濁った白いモノ 
ゲティや、西洋カルタと同じ名前のアメリカの大統領のような成り上がりはなぜ純白と金のインテリアを好むのだろう? 日焼けマシーンで灼いたそのドス黒い膚色が補色効果で映えるからだけではなく、金(カネ)以外は空っぽな彼らが文字通り色のない均質な空白に帰属することに大いなる安心を感じるからなのか。坂田さんは子供の頃、買い与えられた新品の白いズックをわざわざ汚して履いていたそうだ。それは上から与えられた換えのきく均質な製品(コモディティ=消費されるありふれたモノ)をかけがえのない唯一の自分のモノに変換する行為だったのだろう。汚れた白とは均質なことへの反抗、空白に帰属することへの拒否だ。いまや白いうつわはセレクトショップでも骨董でも人気の商品だが、それはどのような種類の白として受容されているのだろうか?

ⅵ)用途のなごりを感じさせるモノ 
i)が時間をくぐることによってまったく別のモノとして変成することにフォーカスされるのと異なり、むしろその時間の長さ、あるいは使われてきた歴史に思いを馳せるモノ。当然i)と重なるモノも多いし、そもそも骨董とはそういうモノなのだろうが、ではなぜ愛好家はモノに時間の流れを見たがるのか? 01.ボロ 布、04.花をいける、16.ヨーロッパのテーブルウェアなど。

ⅶ)独り佇むモノ 
『ひとりよがりのものさし』は坂田さんによる既成の価値観への反逆の書であるから、ことあるごとにその姿勢を示す「独りで立つ」モノが選ばれている。「立つ」より「佇む」という孤独が強調されるのは世界に対峙する人間は不安もまた引き受けなければならないからだろう。05.アフリカの石像、09.アフリカの通貨、14.ポルトガル人形と陶板像、21.脱穀機と蜂集め籠、38.灯火器など。

ⅷ)土のざらざらを感じるモノ 
坂田好みはあきらかにツルツルと光るものではなくザラザラしたテクスチャーにある。クリアーな質感はそれ自体完璧で完結しているということ。それはゴールであり、もはやどこにも向かわない。ざらっとしているということはツルツルの均質さに対して多様さと変化していくことを受け入れるということだ。その過程には弱さ、逡巡、失敗という負の要素も含まれている。03.平瓦、18.弥生とヨルダンの土器、42.現代陶芸、50.美術館 as it isなど。

ⅸ)その他 
その特徴が上記のどの分類にもしっくりとあてはまらないような気がするモノ。10.西洋カルタ、19.そば猪口、25.ダンボールの家 27.石皿 30.オランダ徳利と盃、31.時計、37.ウィンザーチェア、40.帽子、45.ティースプーン。

以上は恣意的な分類であって見落としや異論もあるかと思うが、こうして見直してみると従来の骨董業界の常識に当てはまらないモノが多いことに気づく。レギュラーな骨董屋が目の色を変えるのは08.の李朝中期の白磁瓶や28.ロシアイコン、37.ウィンザーチェアくらいではないだろうか? 一見錆びた筒でしかない経筒や鼻の取れた埴輪、ボロボロのコプト織よりもそば猪口を選ぶ業者さえいるかもしれない。雑巾や朽ちかけた車簞笥に至っては目もくれないだろう。今、坂田的なモノを業者が扱うのは、坂田さんが採りあげたことによってそれが有名になった、つまりカネになるから以上のなにものでもない。骨董業者にとって良いモノとは売れるモノ。そう考えると坂田さんが投じた一石も、少なくとも骨董業界にとってはただの流行の一つに過ぎなかったのかもしれない。

使えるモノが少ないのも特徴的だ。茶道具然り酒器然り皿然り、古物などという役立たずなモノを買うことへの言い訳なのかなんなのか、結局使えるモノが一番売りやすい筈なのだが『ひとりよがりのものさし』に紹介されているモノの中で使えそうなのはほとんどがⅸ)でその他とした例外的なモノだ。

こうしてみるとi)の窶れ、が坂田さんの扱ったモノに共通する一番大きな特徴と言えるのだろうか。ⅱ)ⅴ)ⅵ)ⅷ)もこのバリエーションといえるかもしれない。もちろん古物である事が前提であるからには当然のことと思われるかもしれないが、骨董品は今も昔も傷物よりは美品が評価される。いかに当時の状態を保っているかが珍重される骨董界の常識に対し、坂田さんは窶れていること自体にフォーカスしている。

ⅲ)ⅳ)のような誰もが気付かなかったモノの魅力を感覚的に捉えるのも坂田さんのモノ選びの魅力だ。ではなぜ他の誰もが気付かなかったのか? それは既存の評価ばかりを追っているからだ。では先に触れたように先行者がいた場合でもなぜそれが坂田さんの「発見」になったのか? それは『ひとりよがりのものさし』のような言葉、つまり思想を他の誰もが持ちえなかったからだ。ではなぜ他の誰もが思想を持ちえなかったのか? それは自らを問うことがなかったからだ。利休、柳、坂田さんはそれぞれが生きた時代において「日本とは何か?」という問いに向き合わざるを得なかった。それはすなわち「おのれとは何か?」という問いに向き合うことに他ならない。「おのれとは何か?」という問いはおのれとおのれを取り巻く世界を既知として安住する視点からは生まれない。ブログ第4回に書いたとおり、坂田さんはアウトサイダーとして骨董の世界に降り立ったのだった。アウトサイダーとして初めて人は世界を未知のものとして対峙する。世界とはモノの集積である。ゆえにアウトサイダーはモノを未知のものとして「発見」することができるのだ。またおのれ自身をも。おのれもまた未知であって既知ではない。坂田さんは(利休も柳も)「情緒」と「科学」のあいだを揺れ動き、葛藤し、問い続けたのだった。

『ひとりよがりのものさし』には全部で75点(雑巾など同種で複数あるモノは1点として計上)のモノが紹介されている。日本のモノは30点だがそのうち9点は坂田さんの私服や作品など現代のモノなので、骨董・古道具と言えるものは21点と全体の三分の一に満たない。これは何を意味するのだろう? 80年代に比べればそれほど支配的ではなかったにしても当時まだ日本よりも欧米のモノがお洒落という意識が強かったからだろうか? ヨーロッパ帰りの、かつ日本の業者市に出入りできなかった坂田さんにとってはむしろ仕入れがしやすかったから? 相場が固められた日本のモノよりも付加価値を付けやすかった? 今回の西洋カルタで書かれているように西洋の正統的美意識に対してそこから外れる西洋のモノを採り上げることで、利休、柳、坂田さんという日本の美意識の系譜を明らかにするためだった?

これと関連すると思うが、『ひとりよがりのものさし』に採りあげられたフィギュア、人をあらわしたモノに06.アフリカの石像、10.西洋カルタ、11.西アフリカの土偶、14.のポルトガル人形と陶板像、16.ヨーロッパのテーブルウェアの中のスプーンに付いた人物装飾、20.エチオピアの聖書、28.ロシアイコン、29.アフリカの面、34.イタリアの刺繍裂、35.イヌイットのお守り、36.木彫聖者像、46.埴輪の13点があるが、そのうち陶板像は望月通陽作の作品なので骨董としては埴輪を例外に日本のモノがない。これは何を意味するのか? 利休や柳、坂田さんはモノから〇〇作、〇〇時代、〇〇伝来などのあらゆる先入観を剝ぎ取り、裸のモノそのものとして見ることによって既存の美の権威をひっくり返し、更新したが、裸のモノそのものを見るということは情緒を排して科学的に見る、ということである。雑巾や蜂集め籠などの抽象的なモノに比べて、フィギュアは人間との「近さ」がモノを科学的に見る目を情緒で曇らせてしまうというむずかしさがあると思う(その意味でより情緒的に見てしまいやすい動物がモチーフになっているモノについていえば43.コプト裂の1点があるのみである)。こうした観点から日本人にはより近しい日本のフィギュアは採りあげにくかったのかもしれない。46.埴輪も、テキストを読んでみればそれはピアスや三つ編みという弥生人と今の日本人との「遠さ」がテーマになっている。逆説的に言えばフィギュアの選び方には、坂田さんの見方、モノへの対峙の仕方の特徴がより表れているといえるだろう。宗教性を感じるモノも多いフィギュアを採りあげた『ひとりよがりのものさし』のテキスト中、「祈り」という情緒的な言葉が一切使われていないことに注目すべきだ。34.イタリアの刺繍裂に〈宗教的な深い味わい〉とあるが、そこで焦点をあてられているのはあくまで味わい=テイスト、つまりモノそのものへの感覚であって祈りという不可知への逃げはない。14.ポルトガル人形と陶板像の〈職人が持っていた神への深い信仰心が、この人形を広い空間のなかで個人としてひとり立つことを可能にしている〉という文では〈深い信仰心〉を、何者かに帰依する、自らを委ねる行為ではなく、逆に〈ひとり立つこと〉に結び付けているところに、あくまでおのれのモノサシひとつを頼りにモノそのものに対峙しようとする姿勢が鮮明に浮かび上がる。しかし坂田さんが日本の人を象ったフィギュア、すなわち「日本人」があらわされたモノを採りあげなかったことには、それ以上の何かがあるのではないか。

「29.アフリカの面」で、〈多種多様な土俗面がある。日本こそ実はお面の王国なのだ〉と書き、ヨーロッパで「黒い」アフリカが高く評価されることについて日本における縄文のような〈濃くてドロドロとした文化〉の免疫がないからではないか、としながら紹介するのは〈濃くてドロドロ〉の対極にある〈アフリカ大陸の大迫力も既に風化し溶け去って、シンプルな形態だけ〉となった枯れた面であるのはどういうことなのだろうか。〈濃くてドロドロとした〉〈多種多様な土俗面〉に触れられるのはテキストのみでモノとして採りあげられることがない。ここであらわれる「土俗」という言葉がキーワードになるのではないか。坂田さんはモノをモノそのものとして見ようとした。「近い」モノよりも「遠い」モノのほうがそう見やすい。土俗とはまさに最も「近い」もの、ときに意識すらしないほど身に沁みついた近いものだ。ここで採りあげられたアフリカの面のように、坂田さんが扱ったモノに原始美術、プリミティブアートと呼ばれるモノは数多いが、原始といい、プリミティブといい、それは「文明国」である西洋や西洋化した日本からは「遠い」対象であることを意味している。坂田さんは黒いアフリカの面に対して〈自分達とは全く異なる(中略)感性をモロにぶつけられたショックで気が動転し〉ているヨーロッパ人が感じるのと同じ遠さを、枯れたシンプルなアフリカの面に感じているのだ。日本の土俗こそ坂田さん、そして利休や柳にとってあまりにも近すぎるがゆえに採りあげられなかったものだったのではないか。彼らが情緒を排してモノを見るために、日本人とは何か、おのれとは何かを問うために向き合ったのは西洋という鏡であり、そこで目にしたものは西洋文明に反射した、西洋の眼を通して見た日本であり自分の姿だった。『ひとりよがりのものさし』に坂田さんと中村好文氏の対談が付録として収められているが、そこで美術館の近所に住む農夫に〈ウチの納屋と一緒じゃねえか〉と言われたというエピソードは、かつて柳宗悦が日本民藝館を訪れた友人に、こんなモノうちの田舎にいっぱいあるよ、と言われたことに通じる。もちろん「再発見」にはアウトサイダーの視点がいる。しかし、果たして鏡に映る自分は本当は何者なのか? 坂田さんは最後まで自問し続けたに違いない。

西洋美術の価値観に対抗するのに西洋のカルタを挙げた坂田さんだが、『ひとりよがりのものさし』の最後に向かう5回分は全てが日本のモノだった。それは副葬品である埴輪に始まり、坂田さん亡き今も建ち続けている美術館 as it isで終わる。西洋のモノの最後の紹介である45.ティースプーンではヨーロッパへの仕入れ旅行を〈夢のような我が青春の一ページだった〉と回想し、48.供養塔では「遺書」を公開している。真っ暗な背景に佇む、かつてはせわしなく玉を回転させ、今は役目を終えた窶れた49.パチンコ台から死を連想するのは行き過ぎだろうか……。『ひとりよがりのものさし』という旅を通して、坂田さんは何を目にすることになったのだろう。

写真は「ひとりよがりのものさし」連載時(『芸術新潮』1999年1月号−2003年5月号)に撮影したフィルムです(筒口直弘撮影)。掲載図版とは別カットの場合もあります


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東京都新宿区矢来町71 新潮社倉庫soko内(神楽坂)


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