12 懸仏(鎌倉時代)




平安時代に、仏教と神道の融和を目的として唱えられた「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」という思想。日本古来の神々は、本来、様々な仏が姿を変えて我が国(本地)に降臨(垂迹)したものであったという、神と仏は同一という理論で、瞬く間に国中に浸透、定着していきました。神社の境内に寺が建てられたり、寺の一角に社が祀られるようになり、日本中で寺院と神社(仏と神)の一体化が図られました。

それにつれて、神仏に求める役割も多様化していきます。豊作、大漁、家内安全、商売繁盛、病気平癒、安産、極楽往生、縁結び、縁切り、厄除け等、人々が生きていく中で抱え込む様々な悩み(訴え)を聞き届ける存在としての神や仏、その役割が、神仏習合の浸透とともに細分化、明確化されていきました。「◯◯寺(神社)は、◯◯の霊験あらたか、ご利益がある」という、今に続く信仰ですね。

さて、ようやく「本地仏」についてです。神仏習合が定着すると、かつて国の護り(鎮護国家)を担ってきた仏さまや神さまにも、様々な役割(ご利益、霊験)が求められるようになりました。これは私の想像ですが、神さまの場合は素戔嗚(スサノオ)や伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)といった名前だけでは、ご利益(祈る対象としての実態)がわかりづらいのですが、仏さまの場合は薬師如来、観音菩薩、文殊菩薩、地蔵菩薩と、名前からもご利益(役割分担)が想像でき、さらに経典による儀軌もありますから、祈るほうとしては便利です。そこで、本地垂迹(元々は神さまの本籍は仏さま)の定義を利用(?)して、難しい名前の神さまに、仏さまの名前を分配することになりました。

例えば素戔嗚(スサノオ)の場合は、祇園精舎(インド)の守護神・牛頭天王(ごずてんのう)あるいは薬師如来が本地仏(本来の姿)であると唱えられ、イザナギの場合は薬師如来や阿弥陀如来、十一面観音。イザナミには十一面観音や千手観音、といった具合です。こうして日本国中の神々に仏教諸仏のキャスティングが行なわれました。これが本地仏です。

圧倒的な人気が観音だったでしょう。顔は優しく、祈る対象(霊験)もオールマイティ。神仏習合を求められた神社側も「ウチの神さまも、元(本地)は観音さまで……」となるのも当然ですね。こうして、日本各地の社寺に観音像が祀られるようになり、一気に広がりをみせます。観音信仰のルーツ(源流)を辿ると、案外、古代より信仰されてきた氏神に辿り着くのではと、個人的には思っています。

さて、掲出の「懸仏」についてです。薄く鍍金の残る鎌倉時代の懸仏で、両手を失っていますが、十一面観音でしょう。この懸仏も本来は背盤を伴って社殿(神社)に奉納されていた本地仏です。明治初期の廃仏毀釈(神仏分離令)の折に、社殿から外されたものでしょう。





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*この連載は、高木孝さん監修、青花の会が運営する骨董通販サイト「seikanet」の関連企画です
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