骨董を買ってもらわなければならない骨董屋が、処分(売却)する話ばかりで自分でも呆れるのですが、骨董は買ってお終いではなく、売ることもできるところに大きなメリットがあると思います。しかし、多くの蒐集家が実際には売却した経験もなく、売ると云う行為にも慣れておらず、不安に思うことでしょう。「骨董品を売る(処分する)」ことについて、今回はさらに詳しく……です。

他の趣味と骨董蒐集の大きな違いは、所蔵品を手放す(再びお金に換える)ことができる、と云うところにあります。と、前回書かせていただきました。そう、骨董品はお金に換えることが可能です。好みの品を見つけ、ひたすら買い続ける。そんな幸せな蒐集家人生を送れる人は稀ですし、さらに云えば、熱心な蒐集家であればあるほど、置き場所がいくらあっても足りなくなります。うずたかく積まれた品の下は、もう何があったのかさえわからない……。それを死蔵と云います。死蔵品も時が経てば活き返ってくれる場合もありますが、大概は死蔵されたまま、時の中に埋もれてしまいます。家人が顔をしかめるのも理に叶っている訳です。骨董品はお金に換えることが可能です。これから優れた蒐集家を目指す方は、是非この特性を活かしてください。

骨董品をお金に換える機会は、前回書かせていただいた、欲しい品があった時の下取りが何よりの好機ですが、他にも、買ってから数年経つのに箱から出したこともない品や、蒐集の経過と共に眼が肥えてきて、今となっては不要となった品などを、下取り以外の時に「どう売却するか……」です。

すでに骨董屋と信頼関係のある付き合いができていれば、そのお店に処分(換金)を相談すれば何の問題もなく解決すると思いますが、そこまで親しいお店を持っていない方の場合です。今の時代は、ご自身でヤフオク等に登録して売ってみることも可能ですが、写真撮影から解説、落札者とのやりとり等、ある程度ネット売買に慣れていないと苦労も多く、時間と手間を考えれば割に合わないかも知れません。

蒐集品のほとんどをネットや催事で購入されてきた方も多いでしょう。その様な方は、すでに卒業した品の処分は悩ましい問題ですね。催事等でいつも顔を合わせ、親しくしているお店があれば、電話やメール等で一度問い合わせてみても良いでしょう。催事中だと接客もあり、詳しい話は難しいでしょうから、連絡先を尋ね、催事の時以外の相談をお勧めします。

そこまで親しく話せるお店もなく、ネットからの購入も多い方は、青花ネットの出展者一覧をご覧になってください。そこに載っている、あなたの近郊の業者さんや、好みの品を出品している業者さんに、電話かメールで問い合わせてみてください。「蒐集品の処分を少し頼みたい。栗八のブログにそう書いてあった……」と伝えていただければ、皆さん親切に対応してくれるでしょう。中には買い取りや代理処分にまだ慣れていない業者さんもあると思いますが、それでも、「はい」と受けてもらえたら、お互いに相談しながら処分方法を決めて行けば良いと思います。私と甍堂の青井さんとの出会いがそうであったように、買い物だけではなく、売り物からでもお互いの信頼関係は築けると思いますから、それを機会に長く親しいお付き合いができれば理想ですね。

■飽きた品の処分
例えば古窯の壺です。数年前、あれほど心ときめき、始終飽かずに眺めていた壺ですが、それよりももっと好みの品に出合い、今では押し入れや箱に仕舞いっぱなし。あるいは壺だけをズラリと並べ、今やホコリだらけ……なんてことは、熱心な蒐集家のお宅なら大なり小なり生じている現象です。「困った時にはこれを売れば……」のひと言も、家人は聞き飽きた様子。と云うより、すでに「ずっと困った状態」なのです。

今ではもう眺めても、往時ほどのトキメキを感じなくなった骨董品、この際売却(処分)を考えてください。近ごろはまったく使っていない酒器や花器、皿鉢等、普段使いの古陶や古器も同様です。蒐集品の処分は単品よりも、ある程度の数が揃っていた方が、価格面でもリスク分散ができて有利です。数が揃うことで蒐集家の個性が出ますし、市場で売る(出品する)場合でも、個性の見える品揃えは、レベルの高低に関わらず、ウブさがあって歓迎されるものです。また、高く買っていたAがあまり売れなくとも、安く買っていたBが高く売れ、不足分を補ってくれることも多々あります。

あなた自身はもう往時ほどのトキメキを感じなくなった品でも、蒐集を始めたばかりの方には、あなたがその品を購入した時と同じように、出合いの喜びとトキメキが感じられる品であったりします。眼の進歩と共に不要となった骨董も、それらとの出合いを望む次世代の蒐集家が誕生しています。あなたが手放せば、次の世代にふたたびトキメキを与える骨董としての役割を果たしてくれます。

■贋作の処分
蒐集の中で紛れ込んでくる贋作。信頼のおける店での買い物ではまずないことですが、現在はヤフオク等、ネットでの売買も盛んになり、そのリスクが増しています。中には、あなた自身では真贋の判断に迷うグレーゾーンの品もあるでしょう。その様な品でも骨董の市場での売却は可能です。もちろん贋作は「ニセモノとしての値段」でしか売れませんが、処分はできます。

しかし中には、明らかに贋作とわかる品の売却(市場等への出品)を嫌がる(断る)業者もあります。これは、そのような品を市場へ持ち込むと、「あの様な品を扱う業者」との評価(偏見)を受けてしまう場合があるからです。特に、あまり市場等に馴染みのない業者さんの場合は、稀な売り物(出品)で贋作混じりでは、以降の評判にも関わりますので、慎重になってしまうのも当然ですね。

ご自身も贋作と分かっている(分かってしまった)品の売却依頼は、相手(業者)によっては嫌がられたり、断られたりする場合もあります。その際は潔くあきらめて、ご自身で処分されて(捨てて)ください。引き受けてもらえたら幸運、程度に思って売却を頼んだほうが良いでしょう。

他にも、骨董を売却する際に気をつけなければいけない注意点がいくつかあります。大事な約束事でもあり、長くなりそうです。それについては次回に……。


寿老人画賛 仙厓筆 江戸時代 紙本墨画 97.5×27cm

今回の仙厓さんは寿老人、何やら得意げに長寿秘伝の巻物をひらき、亀の背に乗りこちらへ歩み寄ってきます。一方、乗られた亀は、さっさと降りろ~的な、悲壮な高速感が感じられて笑えます。賛は「けふ明けて幾つになるか寿老人」と、分かり易くも目出度い内容。寿老人は長寿であった仙厓さんであり、揮毫(書画)を頼んだ人物その人であれと云う願いが込められているのでしょう。仙厓さんではなじみの風貌で、画も賛も自由自在、筆をとる仙厓さんの顔もまた、このような軽妙な顔であったことでしょう。前回見ていただいた、あんなに上手かった仙厓さんの絵や書が、なんでこんなにヘタになって(くだけて)しまったのか……。

聖福寺を辞し書画三昧の日々をおくっていた仙厓さん。最初の頃は聖福寺と縁のある檀家や武家、商家、庄屋から、頼まれれば描き与える程度であった書画の評判は、瞬く間に博多近在にまで届いていったと思われます。「近来稀」との評判を伝え聞いて、書画を所望に訪れる人がますます増えていったのでしょう。床の間があれば軸のひとつも掛けたくなるのが人情です。「俺の絵で良ければ……」と、所望される人々に描いては渡すのですが、近頃はどうも反応がイマイチなのです。訊けば「どうせ描いてくれるなら、恵比寿さまや大黒さまのほうがありがたい……」との応え。これをきいて「なるほど!」と仙厓さんは、自身が今日まで書画を描き続けてきた意味を悟ります。画僧(禅僧)としての知識や技量に頼らず、見る者にとって、目出たく、愉快で、やさしくあれ、をモットーとして、以来無法の画技に励みます。画法の束縛を解き放たれた「厓画無法」(仙厓絵)の誕生です。

「孫より下手だ」と呆れられたら、「何をいうか」と笑い合える。これがまた楽しい。もっと笑ってもらいたい、もっと楽しんでもらいたい。注文主の呆れ顔や苦笑い、感心顔を想像すると、もう描くのが楽しくて仕方がない……。そう云う絵ばかり描いていたいのだけれど、「竹の画賛を……」「観世音寺を……」と、いまだに時代遅れの注文もけっこう舞い込む。今更描きたくもないけれど浮世の義理で仕方なく描く。仕方なく描くから、もう本当に下手。描きながら自分自身も気が滅入る。でもまた舞い込む。天保3年7月、仙厓83歳、「もう、イヤ」と絶筆宣言とあいなった次第……。

と、これは私の想像です。何とも、中途半端な幕切れで……では、皆さん良いお年を。





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