■骨董の価格
「その品」を欲しがる人がいて、現在価格を上回っても求める人が増えれば、「その品」の市場価格は大きく上昇します。現在の中国や日本に於ける、優れた工藝美術の価格上昇は、まさにその渦中と云えるでしょう。骨董の価格とはそのようなものだと実感しています。

「その品」の値上がりを見込んで買う方も、中にはいるでしょう。そのような蒐集も間違いとは思いません。値上がりするかどうかの判断と共に、長いスパンでの保管と投資、さらに時代を見抜く鋭い洞察力と知識、感性も必要でしょう。それらすべてを備えているつもりでいても、高いリスクはあると個人的には思いますが……。

唐津や美濃の桃山古陶は、今や陶片でさえも高価に取引きされる時代となりました。それは、市場から桃山古陶の絶対数が減少したためでしょうか。以前から伝世の桃山古陶には限りがありました。価格も現在以上に高価でした。発掘の陶片や酒器だけが急激に値上がりした感があります。

先に書きましたが、それを欲しがる人が多くいて、現在価格を気にせず集める人が現れれば、「その品」の市場価格は上昇します。骨董の価格とはそう云ったものと思います。誰しも自分の蒐集する品がどんどん値を下げるような事態(先回紹介させていただいた伊万里のような……)は望んでいないでしょう。また逆に、急激な値上がりが続けば、以降の蒐集は困難になります。

「相場」とよく云いますが、そのような均一化された価格は、実はほとんどの骨董品にありません(通用しません)。ある程度同様の品のある伊万里や明治ガラス、ブランドアンティーク等には少しの応用も可能でしょうが、私が専門とする古民藝や仏教美術、発掘考古品など、仕入れ価格は実に様々です。

土器類がまとめて幾ら、のこともあれば、逆に、小壺1個が数十万円のこともあります。それは、仕入れの場に「その品」を欲しがる人がいるかどうか、現状の価格を気にせず仕入れる人がいるかどうか、それだけのことで違ってきます。これは、おおよその骨董品に云えることです。

骨董の「価格(相場)」とは、実のところその程度のことなのです。高い、安い、に一喜一憂する気持は、私は業者ですので、たぶん皆さん以上に強いと思います。ですが、それが骨董蒐集の目的となっては、何とも寂しい選択眼となってしまうと思うのです。蒐集家にとって、骨董の「価値」と「価格」とは別の次元の話です。では骨董の「価値」とは何なのか、章を改めて書かせていただきます。

■骨董の価値
現在、日本各地の美術館に収まる(収蔵されている)優れたコレクションの多くは、先人の蒐集家たちが知識と情熱と財力を傾注して蒐めた、ある意味では蒐集家一代の血と汗と涙の結晶です。蒐集品に対する知識と経験を深め、金銭的にも継続を可能にする余裕(経済基盤)を築き、熱心に理想の骨董を追い求めた結果が、それらの収蔵品です。大蒐集家と云えども、価格を気にせずに購入を続けることなどできなかったでしょう。財力と情熱を傾けての骨董蒐集であったはずです。蒐集家にとって骨董の「価値」とは、そのような先人に負けぬ覚悟(知識と情熱)を持って蒐集を続けられるかどうか、と云うことではないでしょうか……。

何だか現実離れしたようなお話に聞こえるかも知れませんが、骨董の「価値」とは、使える金銭や蒐める質量に個人差はあっても、それ(自身の蒐集品に対する知識と情熱の傾け方)こそがすべてを決めると思うからです。

巷に数多くある骨董品の中から、自身にとって「価値」のある1点を選び、買う。「価値」は購入価格に宿るのでは無く、また購入価格の高低によって「価値」が決まるものでもないと思うのです。骨董の「価値」は、蒐集家の途切れぬ情熱と知識の深い傾注によって選ばれた品々の集積の中にこそ宿るもの、ではないでしょうか。

金に飽かせて数百万円、数千万円の名品を名店からいくつか買い、それらを自慢げに並べたとしても、優れた蒐集家とは誰も認めません(かつての某アパレル長者が好例です)。多くの皆さんが蒐集される骨董の金額は、数万~数十万円を超えることはほとんどないと思います。数百万~数千万円の品だけに「価値があり」、それ以下の品には「価値がない」と単純に思ってしまう方は、骨董屋のお得意様にはなれますが、優れた蒐集家となる資格は根本的に備わっていないと私は思います。

数千円、数万円の骨董と云えども、蒐集への知識と情熱を傾け、愛すべき(愛蔵すべき)品を探し出し、買い、慈しみ、楽しむ。その継続の先にこそ、価値あるコレクション(優れた蒐集)は生まれるものだと私は思います。ですから、数百万円、数千万円と云われても、臆する必要もないでしょう。ご自分にとって、慈しみ、楽しむだけの「価値」を見つけられぬ品であれば、いつもの極論ですが、ジャンボジェット機を買うようなものです。維持管理費どころか、操縦も出来ないジェット機では、楽しみ、慈しむどころの話ではないですよね。

■最後に
骨董は「価格」をともなって売買されます。どなたも「価格」を無視しての蒐集は不可能です。でも「価格」は骨董のすべてではありません。あなた自身が愛蔵したいと思うに足る「価値」を見出した品、その品を得るための代価が「価格」です。

骨董の蒐集とは、ご自身がその品に「価値」を見出せるかどうか、がすべてです。傍から見れば「何であんな品に……」と思われる場合もあるでしょう。骨董界には「おぼれ買い」と云う言葉があります。相場観を無視した価格で買う者を揶揄する言葉ですが、それが出来ぬようでは、蒐集のほんとうの醍醐味は分かりません。プロも愛好家にとっても、「おぼれ買い」したくなるような骨董に出会えた時こそが、何よりも胸躍る瞬間なのですから……。


桜皮砥石入 江戸時代 長22.5cm
時代漆絵箱 江戸時代 高17.5cm

「桜皮砥石入」は、剥いだ桜の皮を鞣して折り曲げ、麻紐で編んであります。似たものに檜皮(ひわだ)で編んだ鉈入や砥石入があります。素材をシンプルに活かした力強さがあり、時代工藝の美と呼べるでしょう。現在は落としが設えられ、掛け花入に仕立てられています。

「時代漆絵箱」は、東北の浄法寺塗でしょうか、素朴な松葉文は初見の意匠で、ユーモラスな味わいがあります。時代を感じさせる漆のウブな枯れ味も民藝好きには好ましいものです。本来は蓋があったものでしょうが、今は失われています。何に使えると云った骨董ではないのですが、出会えば、ほってはおけません、民藝好きの性ですね。

いずれの品も、かつて「古民藝展」をやっていた頃なら会場に並んだことでしょう。次回は、栗八「古民藝展」のお話です。



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