日本で最大の骨董マーケットはYahoo!のオークションサイト「ヤフオク」です。ネットに限らず他を圧倒する規模で、追随する存在は見当たりません。ネット通販が広く定着した現在、ヤフオクの骨董(アンティーク)部門もさらに成長を続けて行くでしょう。蒐集家にとってのヤフオクは、巨大ゆえの功罪も多々ありますが、無視できない存在であることには変わりありません。栗八は kurihati88 の名前で毎週ヤフオクに出品しています。日曜夜9時過ぎが締め切りで、毎回十数点、約20年間途切れることなく出品し続けています。

20年前、私がヤフオクに出品し始めた頃は、携帯電話を持つ人が増え始めた時代で、まだスマートフォンもなく、パソコンもようやく家庭に定着し始めた頃でした。今となっては隔世の感がありますが、栗八とヤフオクの関わりが、そのまま骨董のネット販売史とも重なっているように思いますので、しばらくは私の思い出話にお付き合いください。

■若者の来店
30年前に六本木に店を開いて以来、郷里新潟や関西、九州へと仕入れの旅を続け、東京では毎月、集芳会と云う、同業者十数名が集う小さな市場を、甍堂の青井さん、自在屋の勝見さんと共に続けてきました。他は年に1度、青山での「民藝展」がメインのイベントでしたが、それらの仕事だけでは店を維持する経費は出せませんので、他に、生活費を捻出するためにやっていたことがあります。

「不用品買い入れます」と云うチラシを作ってのポスティングです。アルバイトの学生たち(日本映画学校の生徒)に頼んで、目ぼしい家への投函をお願いしていました。月に1度くらいは、そのようなお宅からの問い合わせ電話がありました。ほとんどは本当の不用品で、市場で売れるような骨董品に巡りあう幸運は滅多になかったのですが、それでも年に1度程度、蒐集家や資産家のお宅からお声がかかる幸運がありました。

毎回、そんな期待をもって先方へ伺うのですが、出てくる(積まれている)品は、その多くが、使われなかった引き出物や海外旅行のお土産品などの山です。せっかく来たのだからと、その様な品を安価に引き取り、雑多な荷の集まる郊外の古道具市場へと持ち込んでは、まとめて売っていました。得られる利益は知れていましたが、年に1度の幸運を信じてのポスティングは続けていました。

その頃、「こちらで働かせてくれないか」と店を訪ねてきた若者がありました。訊けば『骨董屋という仕事』と云う青柳恵介氏の著書で栗八を知り、それを見て訪ねてきたとのことです。私は自分一人の食い扶持を稼ぐだけでも毎月必死です。とても若者を雇えるほどの余裕はありません。「鎌倉に甍堂さんと云うお店があり、そこなら雇ってもらえるかも知れない」と伝えると、「そこはもう伺って、今は求めていないと断られました」とのこと。せっかく訪ねてきてくれた若者を何とかしてあげたいのですが、私の力では何ともなりません。しばらく会話を交わし、若者は帰って行きました。

その後、青井さんと会った折に件の若者の話をすると、「あーきたよ」と。「栗八に行けって言ったの?」と訊くと、「それはない」。続けてこう言います。「雇ってみたらどうだ?」と、いとも簡単に。当時、青井さんはすでに数名の番頭さんを抱えて、精力的に活躍しており、業者間でも注目される若手でした。「人を使ってみれば変わることもあるし、大変なことばかりではないよ」と言います。その場では「うーん」と否定的に応えたのですが、数日後には件の若者に電話をしていました。青井さんの言った「変わること」の意味がどんなことを指すのか、想像もできませんでしたが、私自身、店を始めて8年ほど経ち、何らかの変化を求めていたのでしょう。

それから、若者との共同作業(仕事の分担)が始まりました。ちょうど「民藝展」の前で、その準備もあり、危惧していた共同作業も順調に進みましたが、「民藝展」を終えてしばらく経つと、店の掃除くらいで、あとはもうしてもらうことがありません。ほとんど毎日が手持ち無沙汰です。連れ立って他店を訪ねたり、博物館や展覧会に出かけたりしましたが、毎月の給料もあります。そうのんびり休んでばかりもいられません。

そんな時思いついたのが、Yahoo!のオークションサイトです。ちょうど知人宅から頼まれた引き出物のひと山がありました。いつもなら古道具市場へ持ち込み、換金しておしまいなのですが、この際、彼の仕事にもなることだし、パソコンにもトライしてみようと思ったのです。訊けば彼は少しパソコンの経験があるとのこと。では、とパソコンを買うことからスタートしたのですが、彼の「少し」は言葉通り「少し」で、キーボードで文字が打てる程度のことでした。その頃はそれでも、「少しは経験がある」と言えた時代でした。

そこから二人の猛勉強が始まります。私はWord、彼はExcelと、基本動作を覚える範囲を分担しての学習です。次に決めたのはそれぞれの担当です。撮影や解説の下書き、お客さまへの案内メールは私。彼の仕事は、商品写真をパソコンに取り込み、解説文を入れ、出品サイトにアップ、と、顧客データの整理と保管です。試しに件の引き出物(ブランドネクタイ等)十数点を出品してみました。売れました。業者の市場に持ち込めば全部で数千円のネクタイが、数万円。驚きました。まだ引き出物の山は残っています。ひと山を売り切った頃には、彼の給料以上の利益が出ていました。

しばらく後、遠方の骨董市場に向かう車中で、「鉱脈を見つけたかも知れない……」と彼に語ったことを今でも覚えています。彼(若者)の名前は渡邊将文君。すでに十数年前に独立し、今は青花ネットにも「渡邊美術店」の名で登録しています。

■後日談
あの時、「栗八に行ってみたら……」とは言っていない、と応えていた青井さんですが、渡邊君が独立後、「なぜ栗八に……」と同業に問われ、「甍堂の青井さんが栗八に行ってみたらと云うので……」と応えたと伝え聞いたことがあります。今さら青井さんや渡邊君に訊ねる事がらでもないので、真相はやぶの中です。


木彫欄間残欠(仔犬) 江戸時代 16.5×26.5cm
古銅猫水滴 江戸時代 3.5×3.8cm

かわいい骨董が人気です。特に猫や兎などの動物モノは熱心な蒐集家も増えています。昨年は府中市美術館で「ふしぎ・かわいい・へそまがり」のサブタイトルで「動物の絵」展も開かれました。人気の「かわいい系」ですが、骨董品では意外と数が少ないものです。動物モノに限らず、「かわいい骨董」となれば業者間(市場)での人気も高く、市場価格も高騰します。

今から30年以上前、出会った頃の勝見さん(自在屋)が、「骨董には、かわいらしさがないと……」と呟いたことを覚えています。その頃、私は仏教美術や考古モノを好んで買っており、「かわいらしさ」の意味がまったく理解できず、彼の言葉を意外に感じ、今でも忘れられずにいます。今や「かわいらしさ」は骨董ジャンルの確たる位置を占めるまでになっています。あの時、勝見さんが感じていた感覚は正しかった訳です。私もすっかり「かわいい骨董」ファンになってしまいました。





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