あけましておめでとうございます。

骨董入門は年末に引き続き「骨董を売る」(後篇)です。厭きた品、不要になった品、失敗した品を売り払って、気持ちも新たに、次なる出会いを求めて勢い込む方や、売れ行きが思わしくなく、もう骨董なんて……と落ち込む方もおありでしょう。わかります。そんな方々へ、皆さんより骨董との付き合いが少々長い先輩から、老婆心ながらの助言です。

■売ったあと
お気に入りの骨董を買った時には、その品の作られた背景や歴史、味わいや飾り方、活かし方等、様々に学び、楽しまれたことでしょう。骨董を買うことによって得られる事がらは実に多彩、多様で、奥の深い楽しみでもあります。

ところが、骨董を売ってしまった後に残るものと云えば、置き場の空白と、得られたお金だけです。「あの品は安かった……」とか「あの品が思ったより高く売れた……」と云う、骨董を金銭に換算した思いばかりが残ります。それは至極当然のことで、否定するものではありませんが、実はその先に注意しなければならない落とし穴があります。聞いてください。

■売って学ぶこと
プロの集まる市場といっても実に様々です。また、市場の微妙な空気の違いによって売買価格に大きな開きが生まれることが日常的にあります。まったく同じ品のない骨董の「相場感」などあてにならないものですが、多くの人が「相場」という不確かな金銭感覚に頼ってしまいがちになります。買う折には「好み」を優先させ、それほど「相場」には拘らなかったはずなのですが、売る時になると大いに気になってしまうものです。不思議ですね。だいたいいくら……の相場感など当てにはなりません。それはプロも蒐集家も同じです。それだけに、売却の結果が想定内の価格であったのなら、それは大きな幸運ともいえます。

しかし多くの場合は、思いのほか高く売れたり、安かったりします。注意を要する落とし穴は、高く売れたり、安かったりする場合に生まれます。

まずは、思いのほか高く売れた場合です。これは、さらに幸運と思われがちですが、案外そうでもありません。骨董の世界では、金銭的な掘り出し(儲け)が人を不幸にする例が多くあります。思いのほか高く売れたという経験(高揚感)が忘れられなくなり、骨董を探す眼も、知らず知らずのうちに、その様な品(儲かりそうな品)を求めてしまい、以降はそんな品にばかりに食指が動くと云う悲しい現象が起きてしまうことがあるのです。儲かりそうな品を買うこと自体はけっして悪いことではありませんし、骨董を生業としている私たちにとっては、習得しなければ生活にかかわってしまう大前提でもあります。

が、蒐集家の場合は事情が少々(だいぶ)違ってきます。その様な品(儲かりそうな品)ばかりに眼が行き、そのような品を買っては売り、を繰り返す、いわばセミプロと呼ばれるような存在になってしまう蒐集家がいます。素人(蒐集家)がプロ(店や催事)から仕入れ、プロ(店や市場)に売り、利益を出せるのですから、眼利き以上の存在(才能)かも知れませんが、優れた蒐集家(大切なお客さま)として店主が接することはありません。骨董蒐集は金銭の深くかかわる難儀な道楽ですが、金銭(相場より安い、高い、売れる、売れない)と云う基準でしかモノが見られないとすれば、骨董の世界はずいぶんと色あせた(殺伐とした)ものになります。もし思いのほか高額で売れた品があったのなら、「たまたま高く売れただけ……」と思ってください。その品も、場所と時期が違えば買値の半分以下だったかも知れませんよ。

次は、思いのほかに安かった場合です。これは気落ちしますね、ほんとうに気の毒と思います。「まあ、仕方ないねえ」と言ってはみても、「こんなことなら持っていれば良かった……」と心の片隅では思ってしまいますね。処分した品への未練はきれいさっぱりと断ち切れるものではありません。当然です。あれだけ悩んで手放した品が、あの安さ(評価)とは……。「私の眼が間違っているのか……」とさえ思ってしまい、さらに落ち込んでしまうでしょう。しかし多くの場合、まったくの杞憂です。

欲で買ったニセモノの山なら別ですが、好きで買った愛着の品々を泣く泣く手放した方なら、あなたの眼が間違っているのではなく、市場(プロ)の眼(評価)が間違っているのです。その品を安価で買った相手はきっと喜んでいることでしょう。市場での売却なら、遠くから旅費を使って参加している業者が買ったのかも知れません。「これで、今回の旅費が出せる」と安堵し、飾る場所を思い浮かべ、「これを見せたら……」とお客さまの顔まで想い出していたのかも知れませんよ。

あなたが以前に感じていた想い(愛着)を引き継いでくれる方が、幸運な出会い、と喜んでくれるでしょう。あなたには金銭的につらい思いをさせてしまった骨董ですが、ふたたび蒐集家にとっての夢と希望の糧となってくれるのではと思います。

■最後に
長くなりました。お許しください。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。「骨董は資産」と云う言葉をきいたことがあります。ある意味、間違いではないのでしょうが、私には違和感があります。プロにとって骨董は売買する「商品」でもあるのですが、「商品」と云うとらえ方にも違和感があります。「甘いことを……」と叱られるかも知れませんが、骨董は、お金のことを忘れて楽しんでもらってこそ、本来の味わいを見せるのではと信じています。


観世音寺画賛 仙厓筆 江戸時代 88×23cm

年末に引き続き仙厓さんの紹介です。今回は、皆さんが知りたいであろう真贋について……です。良寛さん、白隠さんに並ぶ著名な江戸後期の禅僧書画家である仙厓さんですので、当然に贋作(ニセモノ)も世間には横行しています。白隠さんや良寛さんは市場に新たな品が出てきても、残念ながらその多くは贋作の場合が多いのですが、仙厓さんの場合は少し様子が違います。埋もれていた真作が数多く見つかっています。その理由のひとつが圧倒的な多作です。良寛さん白隠さんが遺した書画の比ではありません。仙厓さんが聖福寺住職を辞して書画三昧の日々を送り始めたのが60代の前半、それから88歳と云う、当時としては驚くべき長寿で、生涯に約1万点の書画を描き遺したと云われています。現在、図録や画集で知られている仙厓書画はせいぜい千数百点、驚異的に多作であった仙厓さんにしては少なすぎますね。まだまだ真作の見つかる余地のある、骨董書画の世界では数少ない作者の一人と云えます。

さて、肝心の真贋についてです。中には上手く真似て描いてある、真贋の判断に迷う巧みな作もありますが、巷に流布する贋作の多くは、とにかく下手です。敢えて仙厓風のヘロヘロな線で描かれている場合がほとんどで、印も粗雑な模作印が捺されていますので、贋作との判断は慣れてくれば容易です。前にも紹介したとおり、仙厓さんの書画の根本は禅僧の余技レベルではなく、画僧並みに完成度の高い道釈人物画です。つまり仙厓さんが「厓画無法」とヘロヘロに描いても、本来持つ禅画の本質を失うことは決してなかったのです。

仙厓書画研究の第一人者である福岡市美術館の学芸員中山喜一朗氏は、図録の解説で〈仙厓画は完全に技巧の衣を脱ぎ去る。七十歳代後半の戯画には、三十年間の研鑽によって獲得された確かな描写力が、略画を数多く描くことによって、より卓抜な技術へと高まっていく傾向も見られた。それはいわば「厓画無法」の標榜とはうらはらな一面であって、法の無い絵、人を笑わせる作品を描きながら、並の絵師よりも優れた技術が身についていくという矛盾をはらんだ道のりであった〉と評しています。ヘタウマと云われる晩年多作の仙厓画の本質を的確に表している名文です。無法とは云え、絵(画題)本来の意味を決して失わぬ表現を可能としている画法、それこそが、軽妙洒脱な絵(画題)を描いても仙厓さんが失わなかった本質なのです。

書画一般で真贋のひとつの基準となる落款(サイン)は、仙厓さんの場合、書画の遺る中年期より様々に変わり、厄介です。また、印章(判子)に関しては、明らかに後世に捺されたと思われる真作の例も数多く見られ、これまた厄介です。では、真贋判断のポイントは……。

いつもの極論です。あなたが良い(楽しい)と思った仙厓さんを買えば良いのです。その仙厓画を愛で、楽しんでもらえることこそが仙厓さんの書画の本質そのものですから……。仙厓さんに見せたなら、「まさにホンモノ」と笑顔で応えるでしょう。

掲出の画賛は仙厓さんの「観世音寺軸」。人物画は好き(得意)ですが、竹とか山水とかは本来苦手な仙厓さんです。でも、「竹画賛を」「あの観世音寺を」と頼まれれば、「イヤだ」と断れないのも仙厓さんです。イヤイヤながら描きますから、もう絵に嫌々が出ています。ヘロヘロの贋作仙厓よりいっそう下手で、ここまでくると判りやすいですね。

長くなりました。最後に、仙厓さんの弟子を自ら名乗り、晩年「仙厓論」を完成させた鈴木大拙の「仙厓への序章」の一部を引用します。〈仙厓は職業画家ではなく、人間生活を風刺的に滑稽に描くことに傾いた人間生活の批評家でもなかった。彼は人間を愛し、地上に平和と幸福を広めることを常に望んだ最初で最後の禅僧であり、教師であった。(略)彼は周囲の人々に共感し、苦しみを分けあったが、自分を見失うことはなかった。彼の内部には、禅が彼に与えたウイットとユーモアという力があったからだ。(略)彼の布袋はこの(禅が与えた)笑いを笑うし、彼の寒山拾得もまたこの笑いを笑う。その笑いはすがすがしいそよ風のように、全宇宙を洗い流す〉



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