撮影|森岡督行(2点とも)

5月2日(木) 晴のち曇

夜、鈴木ビルの2階にて「うぐいすと穀雨」の鈴木奈々さん主宰のトークイベントを開催する。『MOON』のmika takahashiさんと『新しい日常料理』の藤原さんをお迎えして、女性としての働き方生き方について。終了後、ある方から、神田付近で坂本龍一さんの蔵書を閲覧する会員制スペースをつくる計画が立ち上がっていると聞く。もしまだまとまっていなければ、鈴木ビルの4階の空き部屋が場所としてよりふさわしいのではないかと思い、石黒浩也さんの伝言が可能かどうかを尋ねてみる。


5月3日(金) 晴

朝の新幹線で新倉敷へ家族旅行。倉敷のホテルにチェックインして、美観地区へ徒歩で向かう。林先十郎商店にて、イイダ傘店のイイダさんの展示を拝見し、とうもろこしのバッチを購入する。レジ裏の書棚にヨゼフ・スデクやロベール・ドアノーの貴重な写真集が入っているのを目にする。その後、倉敷アイビースクエアにて陶芸体験に参加。小皿とカップをつくる。ある民芸店の暖簾がカタカナの「ヲ」になっていて、書肆サイコロのサイトヲヒデユキさんを思い出しながら歩く。大原美術館前の「エル・グレコ」にてコーヒーをいただく。


5月4日(土) 晴

朝、大原美術館を訪ねる。館内をめぐって思ったことは、近代絵画の歴史の流れを追うことができたという点だ。蒐集したのは、大原孫三郎の意を受けた児玉虎次郎。児玉虎次郎は、1910年代のパリのギャラリーでピカソやゴーギャンらの絵画を買い付けているが、おそらく、それを起点として、その源流となったアフリカンアート、及び、そこからの展開としての現代アートを、体系的に蒐集していったのではないだろうか。それは網羅的ではないが、核となるような作品をしぼって蒐集し、そのことがかえって流れをはっきり辿れるような構成になっているように感じられた。続いて、倉敷民芸館へ。倉敷民芸館の看板には、「生活工藝」と書かれていると聞いていたので、まずはそのことを確認。確かに書いてあった。「民芸館の役目は、誰でも何時でもできる『美しい生活』をひろめることである」というおそらく柳宗悦の言葉が玄関の軸の中に書いてある。午後、フェリーで小豆島へ。瀬戸内海に夕日が映える。


5月5日(日) 晴

バスに乗って『二十四の瞳』映画村へ。山口瞳文学館で山口瞳の生涯をまとめたドラマを家族で見る。海岸で次女が竹馬をしていると、四国新聞の記者の方が歩み寄ってきて、今日はこどもの日ということで、取材をしたいと言う。私もこどもの時以来の竹馬にチャレンジする。もしかしたら乗れないかもしれないと思ったが、やはり乗ることができなかった。


5月6日(月) 晴

朝、フェリーで岡山へ。岡山城を訪ねたあと、禁酒会館へ向かう。ここでコーヒーを飲みたかったが休業日。新幹線に乗って東京駅へ。その後私は銀座に向かい、蕪木祐介さんと店舗にて合流。『珈琲の表現』出版記念展の搬入と飾り付けを行う。


5月7日(火) 曇のち雨

朝、次女と河北病院へ。風邪の診察。待合室で「もし、先生に、いらっしゃいませ珈琲にしますか紅茶にしますかと聞かれたらどうしよう」と意味のないことを話してみる。診察室に入ると、次女は、ある医療機器に貼ってあった「レーザー」というテープの文字を見ている。恐らく、この機械からレーザーが出て、自分に照射されるのではないかと怖れているのだろう。14時30分、銀座松屋裏のスターバックスコーヒーにて、成澤みずきさんと会い、原稿の確認。18時、玄光社の岡さんご来店。ひねりやにて出版記念展の相談。


5月8日(水) 晴

午後、麹町のトリニティへ。来月コクヨの本社で行う講演会の打ち合わせ。16時、銀座のシャネルへ。9月にシャネルのギャラリーで開催されるマハバーラタの写真展の企画の相談。その後、店舗に戻り、蕪木さんのコーヒー豆を購入。その後、白金台の杉本博司さん、小柳敦子さんのご自宅へ。途中のスーパーでお土産に魚沼産の米を求める。渡辺康太郎、朝吹真理子夫妻とドミニク・チェンさんと合流。杉本さんの靖国コレクションを拝見する。私は自分がコレクションしていた日本対外宣伝誌を持参。杉本さんの栗林中将が持っていた硫黄島の地図や防毒マスクなど多数のコレクションを拝見する。もしかしたら、杉本さんは太平洋戦争がなぜ始まったのかを自分なりに理解するためにこれだけのものに対し、時間とお金を使ったのではないだろうか。そう思って質問してみると、お互い話が止まらない。


5月10日(金) 晴

13時、銀座ブロッサムの食堂にて伊藤昊さんの銀座の写真についての打ち合わせ。14時、銀座シックスのwe workにて、徳武さん菅家さんと合流し、アガタ竹澤ビル1階の打ち合わせ。夕方、蕪木さんのトークイベントを、井川直子さんをお迎えして鈴木ビル2階で行う。


5月11日(土) 晴

午前、次女の宿題。時計の問題を教えていると、「本当に合ってるんだろうね」。午後、四ツ谷駅で降りて迎賓館へ。森岡書店総合研究所のメンバーと、迎賓館を視察する。かつて食堂だった部屋の天井には、鹿やうさぎなどの彫刻がある。この部屋でジビエを出していたそうだ。屋根に鎧兜の彫像があったとは。大正天皇の住まいとして最初は建造されたそう。


5月12日(日) 晴

午前8時、数寄屋橋のTHE GATE HOTELへ。朝食を摂りながら、午後の会議の打ち合わせ。徒歩で丸の内の外国人記者クラブへ。会議にてピエール・ジャンヌレがチャンディガールでデザインした椅子、テーブルを使ったカフェを作ることを提案する。終了後、丸の内の和久傳にて「果椒」を求める。


5月13日(月) 晴

12時、東野翠れんさんと岡野隆司さんがご来店。搬入飾り付けを行う。16時、ひねりやにて所沢の図書館に納品する写真集のセレクトを行う。


5月14日(火)

午後、江戸川橋駅へ。遠山さんと森住さんと合流し、嘉瑞工房へ。嘉瑞工房の高岡さんからタイポグラフィの蔵書についてお話をお聞きする。夕方、服部みれいさんをお迎えして東野翠れんさんの写真についてのトークショーを開催する。


5月16日(木)

午後、青山のダンスコにてダンスコの靴を求める。銀座に移動して、佐藤卓さんの事務所へ。葛西薫さん、久保田啓子さん、森谷健久さんと合流。群言堂の松場忠さん、藤井保さんを交えて、『遅日の記』の展覧会を島根の群言堂で開催する打ち合わせをする。その後MUJIホテルに移動しライブラリーを見学。MUJIホテルから外に出ると、くるみの木の石村由起子さんと遭遇。手を取り合って記念撮影。


5月18日(土) 晴

東野翠れんさんのギャラリートークを行う。翠れんさんの写真の特徴は、写真の背後に友人や家族との記憶が結びついていることにある。写真集のなかにマンハッタンの遠景の写真があった。マンハッタンにはすでに1920年代には高層ビルが建っていた。もしかしたら迫害されたり、様々な理由があって海を渡った移民が、長い船旅の末、マンハッタンに建ち並ぶビルを見たとき、その高揚感はいかほどだったろう。翠れんさんのお母さんはイスラエル出身でもある。写真を通して、そのときの人々の気持ちが表れているように見える。安堵や希望といった。


5月19日(日) 晴

東野翠れんさん、岡野隆司さんと店番をしていると、外にいた堤純一さんが「坂本龍一さん」という。外に出ると、近所の音響ハウスの前で、坂本龍一さんがいままさにハイヤーに乗車しようとしている。先日、石黒さんにご伝言を頼んだことを思い出し、歩み寄る。しかし、ハイヤーは出発。坂本龍一さんの後姿が見える。その後、店舗で店番をしていると、さっきのハイヤーが前に止まった。坂本龍一さんが降りた。「あなたのことを知っている」と坂本龍一さんは言った。石黒さんがマネージャーの方に伝えてくださっていたのだ。名刺をいただき、写真も一緒に撮ってもらう。


5月22日(水) 晴

午後、神楽坂のAKOMEYA TOKYO in la kaguにて、諏訪敦さんと合流し企画の相談をする。


5月23日(木) 晴

午前、丸ノ内線にて新宿へ。東急ハンズにて手提げ袋を求める。新宿駅で松本までの乗車券を購入するが発車まで50分ほどあるので、虎屋カフェにてコッペパンと珈琲をいただく。今年で4回目の松本「六九クラフトストリート」に参加するため松本へ。例年通りギャラリーAに到着。奥の喫茶店で三谷龍二さんと珈琲を飲みながら、「お皿やスプーンなど、具体的な役割があるもののなかに、抽象的なものを並べると、しっくりくるのはどうしてだろう」という話をする。そう言われると、確かに、いくつかのバランスの取れた風景が思い浮かんでくる。古道具坂田やOUTBOUNDの店内もそうかもしれない。ギャラリーAに戻り、『Subsequence』と、それに掲載されている石川昌浩さんがつくる作品、服とタイポグラフ、nakabanさんの絵画を飾り付ける。準備のあとは会食。山本忠臣さんが「生活工芸」について話す。広い意味での「生活工芸」を視野に入れているという点で意見が一致する。ホテルに戻り、ふと坂本龍一さんと三谷龍二さんは同い年なのではないかと思い、調べてみるとお二人とも1952年の1月生まれだった。同じ龍。辰年。


5月24日(金) 晴

朝、ギャラリーAに向かいお店を開ける。今日は「服とタイポグラフ」の阿部粋己さんアンさん夫妻が在店してくださる。開店と同時にお客様が『Subsequence』を手に取ってくださり、お昼過ぎには持参した在庫の半分を販売する。夜のトークイベントで販売する分を確保する。トークイベントの会場は信毎メディアガーデン。伊東豊雄さんの建築。登壇者は、第1部が小林和人さん、山本忠臣さん、竹俣勇壱さん、菅野康晴さん、三谷龍二さん、第2部が井出幸亮さん、猿山修さん、皆川明さん、森岡。200人以上のお客様が参加してくださる。会場で蕪木祐介さんと挨拶。壇上で皆川さんからいただいた「生活工芸について何か変わったことはありますか」という問いに、自分は以下のようなことを述べた。「『生活工芸とその時代』で、編集された菅野さんが狭義の生活工芸、広義の生活工芸、という考え方を示したが、いま自分は、作り手半分、使い手半分、という観点に共感するところが大きく、より広義の生活工芸を視野に入れるようになった」。降壇して席に戻ると菅野さんが「今後、生活工芸という言葉は使わないようにしたい」という内容のことを言った。私は一瞬、時間がとまったように感じられた。第3部がはじまり、全員が壇上に着席する。そこでも菅野さんは同じ意見を述べた。自分(森岡)は生活工芸美術館(仮)を提唱しているが、以前、菅野さんから、いわゆる「生活工芸」の「ストライクゾーンの狭さ」をアドバイスしてもらったことがあった。いまの私の考え方だと、ここ20年ほどで見えてきた、もの選びの基準が反故になることを懸念されてのことだろう。私もそのことは理解できる。極端な話、もし百円ショップで販売されているようなファンシーなカップでも、そこに家族の思い出などが入り込み、個人にとってかけがえのないものになったなら、それは「生活工芸」に入るという意見が確かに成り立つ。しかし同時に「生活工芸」が特定の作家にかぎるものでないことも大切だと思っている。そんなことを考えながら座っていた。


5月25日(土) 晴

井出幸亮さんと昨夜のトークイベントの内容をふり返りながら店番。「10㎝」の裏手で信州大学の分藤大翼先生からトークイベントの感想をお聞きする。guild Bekkanを訪ねて中島孝介さんと会い、その後、犬飼眼鏡枠にて犬飼厚仁さんと会う。山勢でうなぎをいただいていると立花文穂さんと植村晴彦さんと一緒になり、山勢のご主人と植村さんと私が、同じような髪型だということで、立花さんが記念写真を撮ってくださる。栞日で菊地徹さんと会い「アウト・オブ・民藝」展を拝見。街中から、雪解け残る松本の山々を遠くに見て、ふと、このイメージには見覚えがある、と思う。山々の稜線が、自宅で見ている小駒眞弓さんの陶板作品の刻みの模様と重なって見えた。小駒さんの作品を自宅で見るときも、やや視線が遠くなっているのではないかと思う。考えてみれば、スマホの台頭があり、私たちは、他のどんな時代を生きた人々より、近くを見ている。松本駅からあずさに乗った私は、近くあるものと遠くにあるものの関係を考えた。遠くを見ることが、思考に何か良い影響を及ぼすのではないだろうか。何も根拠はないが、そう考えて、小駒さんの作品を見るわけが分かったような気がした。あずさに乗る前に松本駅構内で菅野さんと会い、短い時間だったが、話をする。





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