撮影|森岡督行(2点とも)

6月1日(月)

本日から森岡書店の営業を、伊藤昊写真集出版記念をかわきりに、再開する。今月はこの写真集のみ販売する。午前、店内に写真を搬入。ランチに、銀座7丁目のライオンにて、ナポリタンをいただく。大きなホールにお客は私を含めて5人のみ。木製の古いイスを写真に写す。その後、ライターのKさんから電話がある。一昨日のインタビューで私は、1993年11月15日発売の『BRUTUS』「独創空間に住みたい」を山形の実家で読んだと答えたが、Kさんいわく、この年、私はすでに上京しているとのこと。自分の記憶のなかで混乱が生じる。確かに山形の家で読んだような気がするのだが、実際はそうでない。27年前の記憶。午後、銀行にてAさんに100万円を返金する。


6月2日(火)

あかね書房の榎さんとイラストレーターの山口さんに絵本『ライオンごうのたび』のテキスト試案を送る。


6月3日(水)

Aさんが車に乗って現れる。千葉の有機農園で収穫した人参を差し入れてくださる。それを手渡すとすぐにまた車に乗って去っていく。夕方、SDGs/気候アクションに関する取材を受けて自分の生活を考えてみる。食事の回数と量を適切にすることを心がけているが、これはフードロスを無くす観点につながっているだろうか。服や食器など、長く使えるものを選んでいるという点は、ゴミを少なくすることになるか。タンブラーは持参している。ささいなことだが、できる範囲で取り入れていることを述べる。


6月4日(木)

午後、店内にて、某写真家が40年ほど前に撮影した坂東玉三郎さんの写真を拝見する。オンラインではなくリアルで見ようとなった。その写真に写った玉三郎さんは、より艶とはりがあり、別の世界に生きるひとのようだ。フラットな光のあたり方が、より浮世絵のなかの役者のようにしている。写真集にして出版したくなるが、そのためには、まず伊藤昊の写真集を売り切って、資金を回収する必要がある。某写真家のご家族と出版のことを相談するが、内心ではそう思っている。


6月5日(金)

18日にオープンする銀座3丁目のUNIQLO TOKYO にて、古い銀座の写真計16枚を拝見する。1953年(昭和28年)に撮影された銀座全線座。ここではアメリカ映画などが上映されていたという。現在は銀座国際ホテル。この写真を見ると、目の前に船着き場があったことがわかる。1957年(昭和32年)の活気あふれる銀座通り小松ストアーの写真。この年を調べてみると、『鉄腕アトム』の連載が始まったらしい。空を越えて、鉄腕アトムが飛んで来そうな勢いがイメージの彼方に感じられる。古い写真に触れることのよろこびを実感しながら、この写真を、UNIQLO TOKYOの店内に展示する。


6月7日(日)

午後、発酵文学研究会。オンラインにて朝吹真理子さんの発表で深沢七郎『笛吹川』を読む会が開催されるが自分は参加できず。甲州の言葉からたちあがる空間。ただただ6代にわたって人が死んでいく。無意味な人生と、無意味な生死が連綿と続く。救いのない小説。


6月10日(水)

午前、SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERSへ。同社の福井さんと電通のKさんと企画の相談。リアルで。企画の相談といっても何をするのかは決まっていない。コロナを受けてどんなことがいま求められているかという観点から、以下のような会話をする。夢をかたちにすることが人間の喜びの一つだろう。夢をかなえるための方法を学ぶ学校はどうだろうか。例えば、妄想大学という名前で、妄想を実現する大学をつくる。でも大学ならシブヤ大学など大学の名称がつく新規の事例がいくつかある。それならその前段階の高校はどうだろう。高校時代に何を考えたかの時間も大切だ。そうすると、妄想大学附属高校、妄大附とか。場所が中野だったとしたら妄想大学附属中野、妄大中野。やはりビジネスは大切だということになれば、妄想実業、妄実。野球も強そう。それなら妄大三高。名前からはじまる何事かもあるだろうと意気込む。


6月12日(金)

午前、銀座4丁目のもとじさんにて、玉手箱の発送作業を行う。私はダンボールを組み立てて梱包する。神保町の古本屋時代に覚えたガムテープさばきを思い出す。12時、Zoomにて、山形県寒河江市の鏡畳店の鏡芳昭さんと神戸在住の建築家の光嶋裕介さんと会議を行う。山形県寒河江市は地元であるが、そこに鏡畳店のあたらしい店舗としてのホテルをつくれないかを検討する。ホテルが畳店。畳店のホテル。考えていると繫がることもある。


6月13日(土)

午後、東大宮の諏訪敦さんのアトリエに向かう。猿山修さん、山本千夏さん、伊熊泰子さんと。諏訪さんが描いた静物画を今日はじめて見る。もともとは、200年前のガラスのうつわと、猿山さんがデザインした現行ガラスのうつわの違いを描きわける、というテーマだった。しかし、完成した静物画を見ると、諏訪さんにとって、違いを描きわけるのは問題でなかったのではないだろうか。このように企画化したのは、描く理由を探していたのではないだろうか。あらためてそう思う。諏訪さんは、諏訪さんの目の中に映る光をキャンバスに描いていた。すなわち、諏訪さんは、自身の目のなかを描いていた。眼前の対象ではなく身体を描く。この違いは大きいと思う。


6月14日(日)

『ライオンごうのたび』のテキストの再考を行い、山口さんの意見を確認しつつ、修正を加える。朗読したりしながら終日検証する。


6月18日(木)

『AERA』編集部のOさんと、伊藤昊の写真をもとに銀座を歩く。1963年の銀座の住宅地図と対応させながら。それを『AERA』の誌面で紹介するという企画。当時20歳くらいの伊藤昊には、写真家になりたいという野心があったのだろうか。「見てもらわなくても全然いいんです。勝手に撮ってるだけなんで」とでも言っているような姿が街角に浮かび上がる。実際に人目に触れることはなかったのだから。15時ころOさんと別れて、一人でランブルに入る。お客は私だけ。珈琲を飲む。


6月19日(金)

午前、神保町へ。小学館の斉藤さんと対面で打ち合わせ。『荒野の古本屋』の文庫化が決まる。午後、銀座に移動して月光荘の「月のはなれ」へ。7月7日に予定しているトークイベントの打ち合わせ。壹番館洋服店の渡辺新さんに、銀座の老舗は、空襲やバブル期など、これまでの危機をどう乗り切ってきたのかを尋ねる。月光荘画材店の地下で古い絵の具を見る。


6月23日(火)

午後、Zoomにて今後の森岡書店の運営について相談を行う。コロナ禍でのリアル店舗の先行きを考え、8月末までの経営状況を見て、閉めるか、続けるか、を決めることを確認する。夜、銀座3丁目の「はち巻岡田」にて会食。鮎の塩焼きと田楽。稚鮎の唐揚げもいただく。食で季節を感じられるのは幸せです。


6月24日(水)

午後、検温をして、消毒液で手を消毒してDOVER STREET MARKET GINZAに。プレスの渡邉さんから店内に展示されているドレスや現代アートについて解説してもらう。時代に関係のない普遍的なことって何でしょうか、などと渡邉さんと話しながら。渡邉さんはサンタ・マリア・ノべッラのパチューリの薫りが好きだということで、裏手のサンタ・マリア・ノべッラにて、パチューリの固形石鹸を求める。


6月28日(日)

青山のJUNYA WATANABE COMME des GARÇONSにて企画の打ち合わせを行う。


6月30日(火)

通勤途中にきれいに咲く紫陽花の花を目にすることがあったが、今日は、銀座にはいったい紫陽花が何株植えられているのかを調査する。銀座8丁目の昭和通りからカウントを開始、柳通り、松屋通り、交詢社通り、花椿通り、と横道に入り、中央通り、並木通り、外堀通り、と縦の道をカウントしていく。ウエストにて休憩。ゴルゴンゾーラチーズのシュークリームをお土産に買う。





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