撮影|森岡督行(2点とも)

10月3日(木)

午後、銀座へ。G8にて有山達也さんの「音のかたち」展を拝見する。レコードコレクションとヴィンテージオーディオ。拡大したレコード針とレコードの溝の写真のかなたに音のかたちをさぐる体験。オリジナルのTシャツを購入。ウエストにて珈琲を飲む。


10月4日(金)

19時、諏訪敦さんと猿山修さんと芸術新潮編集部を訪ねる。「静物画探検隊」(仮)の打ち合わせを行う。


10月9日(水)

夜、銀座松屋にて『工芸批評』のトークイベントに参加する。


10月10日(木)

13時、ひねりやにて来年の5月に銀座SIXのエントランスで写真展が可能かどうかの打合わせを行う。その後、ひねりやにのこり、昨夜、『工芸批評』の打ち上げの席でなされた「『生活工芸』とは何か」の話題について、さまざまふりかえり自分なりに書いてみる。

いまから20年ほど前、中野五叉路付近にあった昭和初期築のアパート、中野ハウスに住むことがなかったら、私は、いまのように「工芸」に関わることはなかったかもしれない。中野ハウスにはお風呂がなかったため、また水泳好きということもあり、中野駅近くにある、スポーツクラブに通っていた。「工芸」とスポーツクラブ、あまり接点はないような感じだが、そこのお風呂で私は、あるカメラマンから「古道具坂田」のうわさを聞いた。当時はすでに古本屋で働いていたし、骨董市に出かけることが好きだったので、話題になった。その後、はじめて「古道具坂田」を訪れた時、私は、デルフトの白い四角いタイルを買った。

「古道具坂田」に足繁く通ったわけではないが、ある日、何かを購入して、坂田さんと話をしていると、うしろから、大きな本を数冊、畳の上にドサッと積んで、さっと店から出ていった人がいた。古本屋にとっては馴染みのある『民藝大鑑』だった。この人が、当時『芸術新潮』の編集をしていた菅野晴康さんだったと知ったのは、ずっと後になってからだった。『芸術新潮』誌上で、坂田さんが『民藝大鑑』からさらにものを選ぶという企画の資料だった。

自分の人生のなかで、最も本を読んでいたのも中野ハウスに住んでいたこの頃だった。夏目漱石の『草枕』も手に取っていたはずだが、当時はピンときていなかった。あとになって彫刻家の中谷ミチコさんにすすめられて読み直した。有名だが、出だしの文章に私も惹かれた。

〈山路を登りながら、こう考えた。/智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。/住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る〉。そして少しおいて、〈越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい〉。

もし「工芸とは何か」と訊かれたなら、私は、最後の芸術のところを工芸に置き換えて考えるだろう。或いは、本文を以下のように言い換えたくもなる。「智に働けば理論が立つ。情に棹させば機微を知る。人の世は慈愛にも満ちている。その素晴らしさをより引き延ばすため、詩が生まれて、画が出来る」

ここから次のような考え方を導くことができるだろう。私たちはそう簡単に悟りには至らず、美醜や善悪のある世の中で生きている。だからこそ、この世の明るい方を見て行きたい。そうでないと単純に損をしているような気もする。良い生活をさらに良く、というとき「工芸」は本領を発揮する。

ただ、そこに好みがあるのは確かなことだ。自分の場合は「シンプル」「ふつう」といった言葉がそれに対応する。それは、美術、工芸、雑貨、または、音楽、衣服、建築、家具、グラフィックデザインなどの領域にまたがっている。私は、多くの場合、その特徴を有するものをセレクトして、生活に取り入れてきた。縦軸の分類のなかから、横軸のセンスで選んでいた、と換言できるかもしれない。そして、そのときの基準が何かといえば、もしかしたら、あの時、古道具坂田でデルフトのタイルに魅せられた気持ちに等しいと思う。

また、この傾向は、工芸のなかでも、ここ20年くらいで脚光を浴びた「生活工芸」に知らず知らずのうちに影響を受けた結果でもあろう。近年「生活工芸」との関わり合いが深くなり、そう考えるようになった。「生活工芸」は「シンプル」「ふつう」「使える」「手仕事」を特徴としたと思う。どこか遠くへ行くのではなく、近くの生活を豊かにすることを目指した。道具を使う時間が豊かになれば、人生はその連続だから、人生そのものが変わるだろうと思った。器に作り手や伝え手の顔が見えたりもした。「生活工芸」のムーブメントがはじまって20年ほど経ち、いまでは世界の都市で、少ないかもしれないが確実にこのような考えが受容されている。私は、これからもっと広がる気配を感じている。最近は、経年変化やその後のあり方に視点が移ってきて、使い手の思い出などが付されることにより、道具であるだけでなく、何か大事なものになっていく、という考え方が顕在化してもいる。

「生活工芸」を論じると、個人ごとに、多様な意見が出てくる。このことをどう考えればいいのか。かつて建築史家の井上章一さんが以下のようなことを述べてた。「桂離宮を評して、さまざまな建築家、評論家がこの建築について書いたが、桂離宮のことを書いて実はおのれの建築理論を語った」。同じことが、「生活工芸」についてもあてはまるのではないだろうか。私もいま「生活工芸」のことを述べて、その内実、自分の世界観を語っている気がする。


10月12日(土)

台風19号の影響が心配されるが朝の新幹線で山形へ向かう。山形の名建築を巡るガイドブックの市民編集会議を行う。途中、各参加者のスマホが緊急避難警報を何度か伝える。山形の雨も激しさを増してきた。会議終了後、宮本さんと、編集の鈴木さん、デザイナーの梅木さんとで、大丈夫だろうかと思いつつも、喫茶店にて本の詳細をつめる。


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