「ひとり問屋」の日野明子さんにお願いして、各地の「産地」の工芸を展示販売する会をひらきます。あらゆる意味で、いま、日野さんほど産地のことをふかく知る人はいないのではないかと思います(御本人は「ふかすぎてまだまだ......」とおっしゃっていますが)。青花ではふだん個人の工芸家を取材することが多いですが、それは現代の工芸のかぎられた一面です。たとえば素材、道具、技術など、いわば工芸のインフラ(基盤)は産地あればこそのものです。

〈昔はこういう仕事をする地域にはそれを纏める問屋がいた。うまい人もうまくない人もいたけれど、そこは問屋がうまく仕事を分担させて、下手なりに育ててた。それだけの余力が問屋にもあった。今は違う。みんな作家になった。工藝家になった。(略)僕らだよ、僕ら工藝店が問屋を滅ぼして、結果こういう仕事を滅ぼしてるんだ。今はいろんな人が産地に口を出してるけどね、問屋のような「配り手」になれないなら、はじめからやらない方がいいと僕は思うね〉(高木崇雄「注連縄と『配り手』」よりKさんの言)。

希望はあります。よき「配り手」日野さんがいるからです(以下は高木さんが日野さんについて書いた文章)。
http://www.kogei-seika.jp/blog/takaki/015.html


会期|4月26・27・28・29日(木金土日)
   5月3・4・5・6日(木金土日)
   5月10・11・12・13日(木金土日)
時間|13-19時
会場|工芸青花
   東京都新宿区横寺町31-13 一水寮101(神楽坂)
監修|日野明子


講座|日野明子|産地のいまとこれから
日時|4月28日(土)15−17時
会場|一水寮悠庵
   東京都新宿区横寺町31-13(神楽坂)
定員|25名
会費|3500円
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=226




産地ー土地・素材・人・もの   日野明子


小さい時から、人の働く姿を見るのが好きだった。少し大きくなってからはものが好きになった。一人で旅行に行くようになり、日本には、土地それぞれの歴史があり、風土があり、そこに息づく、それぞれのもの作りがあることを知った。

産地に行くことが仕事となり、それぞれの場所ならでのストーリーを知ることが面白くて仕方ない。外から覗く、あくまでも部外者の視点だが、部外者だからの俯瞰、そして、方々回っているから比較ができる。

今、地方のものづくりが注目されているが、流行りとは無縁のつくり手のものづくりを紹介することで、産地の奥深さを紐解きたい。






産地とはなにか   日野明子


「産地とはなにか」という、お題を頂きました。産地の数だけ、語れることがありますが、今回は、4つの産地の4人の作り手にスポットを当てることにより読み解きます。

産地は、土地、人、材料、地形、歴史などが相まって出来上がります。それが産地たる所以であり、利点であり、他との差別化につながりますが、ときには足かせになることもあります。以下、「産地」に関して、思いつくまま書きました。産地ならではの構造を、面白いと思っていただければ、と思います。

■分業

産地の中で、重要なキーワードに「分業」が、あります。例えば、伝統的な輪島塗ならば、

・木地を乾燥させて大雑把な形に用意しておく“荒型屋”
・木地を作る“木地師”
・下地を塗る“下地師”
・中塗りを塗る“中塗り師”
・漆は何回も塗り重ねますが、次の塗りの食いつきを良くするために研ぎの作業をする“研ぎ師”
・最後の仕上げの塗りを塗る“上塗り師”
・そのあと、上塗りをピカピカにする“呂色師”
・蒔絵や沈金などの装飾を施す“加飾師”(蒔絵師などと呼ばれる)
・さらに刷毛などの道具を作る人、も加わります

ここまでで商品はできましたが、それを束ねて、消費地に売る「問屋」が欠かせません。多くの産地は、作る人と売る人は別でした。

その仕事に従事した職人は、その仕事だけで十分忙しく、暮らせたわけで、餅屋は餅屋、ということで、それぞれが、自分の担当を全うしていたのです(情報も、今ほど多様でなく、忙しくする必要もなかったこともありますが)。

■産地の崩壊と、今

産地の崩壊、と言われることがありますが、それは、

・素材が多様になり、安価に作れるものも出てきたので、売高が減った(購買の選択肢が増えて、一個の工場からの出荷額が減ることも、ままある)
・機械化され、分業の一部が不要になった
・職業の選択肢が増えた(産地の仕事は往々にして、単純労働だが、それ以外の仕事を選べるようになった)
・昔ながらの〈思い込みの金額〉の呪縛から、継続を断念する(手間の割に値段を安くつけていたものを、手間相当の値段につけることができずにいる産地は多い)*ただし、自分の技術もないのに、安易に値段を上げるのは、言語道断。手間と使う価値が見合って、初めて人は「買おう」と思うものです。価値には「品質」「希少性」なども加わるので、値段のつけ方の正当性は、いつも、考えさせられます。
・就業の年齢が上がることで、技を習得するのに時間がかかるようになった(時間はかかるが、年は取っているので、賃金は高くなる)
・技の習得までの時間が耐えられなく、辞める者も多く、人が育たない

などがあります。悪いことばかりのようですが、この情報化で、良くなったこともあります。それは、問屋に頼らずとも、自分で発信できることになったのです。以前は、問屋を飛ばして商売をすると、注文が止まる(干される)などと、言われましたが、今は、ネットなどにより、自身で発信して、販路を広げる人も多いです。

「産地」がかっこいい、という流れもあり、以前はほとんど見られなかった職人の仕事場を、最近は公開するところも増えてきました。見せることで、どんなに手間がかかっているかを知ってもらい、値段の正当性などを解ってもらい、働く人間も使う人の顔が見えて、仕事にハリが出るようになったようです。

■産地の利点

さて、そもそも、なぜ、それぞれは「産地」になったのでしょうか。今回、取り上げた、美濃焼の丸直製陶所さんは、

・原料が採れる
・流通がある(海が近い、海外への販売に有利)
・工場がたくさんあるので、分業で、様々な技法が作れる
・工場があると、数が作れ、輸出などにも対応ができる

などが挙げられると思います。取り上げた丸直製陶所さんは、創業当時から輸出用のカップアンドソーサーを作っている工場です。ヨーロッパに販売路を持つ問屋は、種類の多いディナーセットを作るために、美濃だけでなく、瀬戸の工場にも発注していました。

瀬戸では、ポット、クリーマー、シュガーポットなどを、製法が違う(鋳込みという技法になります)ものを、発注していたようです。工場、それぞれの技術を見ながら、商品を考えていくのは問屋の役割でした。

また、工場は、問屋さんに任せれば、“梱包”を考えずに済みました。実は、数が多くなってくると、梱包材の用意(パッキン材、箱)と、それを包む手間は、馬鹿にはできません。梱包は検品も兼ねていますし、箱の使用によって、商品価値も変わります。工場は責任を持ってモノを作り、問屋さんはそれを、きちんと納めるべきところに納める、ということです。

さらに重要なのは、お金の回収です。工場は知った顔の問屋から集金すれば済みますが、問屋は多くの小売店(または、消費地問屋)に小分けして売るので、多くの場所から、代金を回収しなくてはいけません。この代金回収も、仕事においては、とても重要なのです。工場の中には、小売の手間(箱の管理、個人の細かい要望に対する対応、お金の回収)はできない、と、作ることに集中する人もまだまだ多いです。

■考えなければいけない問題

最近、各地で聞くのは「材料が採れなくなった」という話です。商品は付加価値をつけやすいですが、材料は労力に比して、お金に換算しにくいものです。また、その素材のために作られた「道具」を作る人がいなくなった、ということも聞きます。例えば、西陣織の杼(ひ:シャトル、機に糸を通す時に使う道具)や、漆を採る漆掻きの使う刃物など。この対策として、行政は人件費などを補助できますが、所詮は人間です。教える人と教わる人との相性。それぞれの忍耐強さ、適正などが伴わないと、技術は習得できません。また、その道具を使う人が減っていけば、売上にならないので、その技術だけでは生活ができないのです。

ただ、〈なくなる、困った〉ではなく、〈その人(原料や材料を採る、作り人や道具を作る人)が生きていけるかどうか〉も考えなければならないのです。

消費地では解らない、「材料と道具」の問題。頭に留めておいてください。












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