2018年に日置路花さん(1936年生れ)の展示をおこなったとき、古道具坂田の坂田和實さん(1945-2022)に、以下の文をよせていただきました。時代をかえた眼利きとして知られる坂田さんが、おそらく唯一評価していた(共感していた、と書くべきかもしれません)書家が路花さんでした。今展の出品作は、「同志」をなくした路花さんによる追悼の書です。
*掲載した写真は、2019年に坂田さんの個人美術館 as it is でおこなわれた日置路花展に取材した『工芸青花』15号「書と古道具−坂田和實と日置路花」特集より(今展出品作ではありません)。


会期|2023年3月31日(金)-4月4日(火)
   *3月31日は青花会員と御同伴者1名のみ
時間|13-20時
会場|工芸青花
   東京都新宿区横寺町31-13 一水寮(神楽坂)





路花さんの書   坂田和實(骨董商)


25年前に初めて書を買った。路花さんの書だった。それまで書を見てこなかったわけではない。しかし買うことは無かった。これ見よがしの技巧を誇り、表具に凝り、意味がなさそうな肩書を作品に付ける、いつまでたっても変りそうもないこの業界の保守的な眼に幻滅し、足はおのずと遠のいていた。
 文字は意味を内包し、思いを伝え、残す。書の作品とは、用途を持ち、自由に加工するには不便とも思える文字を、心の内側にとらえ、咀嚼し、これに、これまで積み重ね、又、捨てさってきた技量や経験をぶつけ、自らの裸を曝し生み出すものだ。書きに書き続け、自分を捨て、練り、絞り、表現する過酷な世界、単なるテクニックなんてものは通用しない。そして、ここまでくると、その書は型や枠から抜け切って自由を獲得し、無我の世界と繋がる。幼児の書や酒場の落書き、市場の値段札、拙とか只とか素といわれている世界と重なっている。
 路花さんの書はこの世界に限りなく近い。





拙をめぐって(抜粋)   菅野康晴(工芸青花)


日置路花さんは1936年東京生れ。中学1年のとき結核にかかり、十代はほぼ寝たきりですごした。はたちのころ生活のため和文タイプをならったが、体にきつく、習字教室のほうが負担がすくないかもしれないと、教えるために手習いをはじめた。そのころ近所の人の紹介で上野松坂屋の販売員の職につく。当時の百貨店には揮毫方という職があり、熨斗やチラシを書く人たちがいた。休憩室の奥に揮毫方の部屋があり、壁にかかった書をみていると、なかのひとりに声をかけられた。書家の岡部蒼風で、後日研究会にさそわれた(新井狼子とはそこで出会った)。戦後の書道界は前衛書をはじめ革新運動がさかんであり、蒼風もまた渦中の書家だった。
 松坂屋には3年いてやめ、和光市の自宅で子どもたちに書を教えはじめた。1980年、蒼狼社(岡部蒼風が設立した結社)をでて、狼子たちと無限会をはじめる。初個展は1981年、京橋の画廊で、井上有一の紹介だった。蒼狼社時代は漢字の一字書をよくし、受賞歴もある。(略)路花さんはむかしもいまもとにかく大量に書きつづける。墨か紙がなくなるまで、もしくはなにか約束の時間がくるまでやめない。坂田さんはアトリエに山とつまれた書のなかから、あっというまに数十枚をえらんでいった。as it is 展の書はそのときのものだ。(『工芸青花』15号「書と古道具−坂田和實と日置路花」特集より)



トップへ戻る ▲