『工芸批評』という本(以下URL)は、2019年秋、木工家の三谷龍二さん監修により松屋銀座デザインギャラリーで開催した同名の展示にさいして制作、刊行したものです。〈ただ「見よ」というばかりでは、せっかく興味を持った人がいたとしても、その壁をどのように越えればいいのか。工芸の世界もそろそろ語りにくいことを語る、そのような努力が必要になっているのではないでしょうか。もしもその言葉によって、誰かが工芸という新たな扉を開くことができたら、それは素晴らしいことではないでしょうか〉(三谷龍二『工芸批評』より)
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-hihyou.html

三谷さんのよびかけに応じた筆者6人とデザイナーひとり。当時、ずいぶん語りあいました。そして今年、『工芸批評』の増刷を機に、あらためてあつまることになりました。展示品は、それぞれが「工芸批評」について考えるうえでふさわしいと思うもの、です。自作他作、新古をとわず(販売もします)。言葉とともに、たのしみにしています。(菅野)


会期|2022年5月27日(金)-31日(火)
   *5月27日は青花会員と御同伴者1名のみ
時間|13-20時
会場|工芸青花
   東京都新宿区横寺町31-13 一水寮(神楽坂)
出品|井出幸亮(『Subsequence』編集長)
   鞍田崇(哲学者)
   沢山遼(美術批評家)
   菅野康晴(『工芸青花』編集長)
   高木崇雄(「工藝風向」代表)
   広瀬一郎(「桃居」店主)
   三谷龍二(木工家)
   米山菜津子(デザイナー)


講座|工芸と私59|沢山遼+米山菜津子|「生活工芸」を考える
日時|5月30日(月)18時半-20時半
会場|一水寮悠庵
   東京都新宿区横寺町31-13 (神楽坂)
定員|15名
会費|3500円
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=837





「”工芸”とは何か」と改めて考えると難しくて困ってしまうのですが、僕はとりあえず「人間が作り出したもの、中でもより人間の身体に近いもの」というくらいに、ざっくり広く捉えて使っています。人が手で作り出すものには、必ず文化的な背景があり、そこには歴史があります。時間を経て伝播と混淆を止めどなく繰り返す文化が、個人のユニークな身体、そして感性と切り結ぶようにしてものが生まれる、そのダイナミズムに惹かれています。(井出幸亮)


再びの「工芸批評」展に際し、これからの工芸の在りかを問うてみようと考えました。キーワードは「地方×民藝×福祉」です。この10年、気がつくと、地方に通い、民藝を論じ、福祉施設の立ちあげに関わっていました。それぞれバラバラの活動でしたが、近頃は、これらを重ねて考えることの意義を感じるように。そこで、今回は以下のふたつをご紹介しようと思います。
 ひとつは、『からむしを績む』。村のおばあさんが手がけた布から生まれた本です(企画・編集:渡し舟/写真:田村尚子/文:鞍田崇)。もうひとつは、「ムジナのブローチ」。就労支援施設で和気あいあいとつくられた木のブローチです(企画・制作:ムジナの庭/デザイン・木工指導:三谷龍二)。
 一見するとまるで関係なさそう。ですが、両者が呼応するところに、問われている工芸の所在を見出せるんじゃないか。そんなことを考えて取り合わせてみました。
 多くの方にご覧いただけたら嬉しいです。(鞍田崇)


2000年代の東京で、現代美術に倦み始めていた自分は、工芸や古物を熱心に見て回るようになった。そしていつしか、古いもののなかに、新しさを見出すことができるようになった。それは、自分の人生における最大の成果物の一つだった。(沢山遼)


前回の「工芸批評」展から2年以上が経ち、当時から変わったことといえばやはり、疫病がはじまり、まだ世界はその影響を受け続けている、ということでしょう。僕自身にとっては、疫病によって「工芸」という言葉、そしてこの言葉によって指し示されるさまざまの品々が果たすはたらきが変わったとはまったく思いません。ただ、これまでと違う価値のものさしとして「工芸」に期待する人が増えているようでもあります。今回の会が、疫病と戦争の時代の「工芸」そして「工芸批評」の可能性について、皆とあらためて言葉を交わす場になることを願います。(高木崇雄)


コロナ禍も2年以上が経過しました。外食が減り、自宅で過ごす時間が増えたことがきっかけとなったのでしょうか、良質な器の需要はコロナ禍前に比べても旺盛のようです。暮らしのとなりにある器は、コロナ禍のもとでも、あるいはコロナ禍ゆえにでしょうか、いっそう必要とされ、吟味されてきました。器屋をながく営んできた人間にとってはうれしいことです。
 今回の「工芸批評展」では、そんな状況をふまえて、桃居で長くおつきあいしてきた作家たちの普段使いの「平熱の器」を並べてみます。(広瀬一郎)


素材への理解や、道具を使うコツなど、実作の繰り返しによって判ることが工芸には多い。また、料理や器選びの経験も、その理解にはなくてはならないものだ。このように工芸は言葉にしにくい領域が多く、知識だけではなかなか「わかる」という具合にはいかないところがあるが、だからこそ、日々の暮らしのなかで感じる心の空白や、知識では埋められない「生の実感」のようなものを、人々は「工芸」や「手仕事」に求めているのではないだろうか。
 もしも「工芸批評」誌が今後も続くとすれば、勇ましいだけではない、知と非知のあいだに橋をかけるような、そんな言葉に出会いたいと思う。(三谷龍二)


送り手として、工芸の揺らぎ(許容性)、工業の定まり(画一性)のどちらが「よい」のか。使い手として、工芸の弱さ(脆さ)、工業の硬さ(丈夫さ)のどちらが「よい」のか。デザイナーとしてものを量産するための設計をし続けている自分は、その中間でいつも戸惑う。工芸的なものの輪郭を探る試みのひとつとして、その中間について考えてみたい。(米山菜津子)



『工芸批評』
井出幸亮+鞍田崇+沢山遼+菅野康晴+高木崇雄+広瀬一郎+三谷龍二著
久家靖秀撮影|米山菜津子装丁
A5判|並製本|112頁
2019年10月5日|新潮社青花の会刊

*御購入はこちらから
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=293








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