18 檜皮鉈入ほか







■檜皮鉈入 江戸−明治時代
掛け花入れに見立てた、檜皮(ひわだ)で作られた鉈入れです。鉈入れは通常は丈夫な蔦(あけび等)で編んでいますが、時々檜皮製も見かけます。檜皮は伸縮性には難があり、曲げれば容易に折れてしまいますので、加工は楽でしょうが、耐性と云う点から見れば劣ります。破れたら捨てて、また作ると云うスタンスで使われてきたものでしょう。この鉈入れは、破れたまま捨てられもせず時を経た様子です。劣化(脆さ)も相当に進んでいます。「拾いあげる」と云う視点が骨董数寄者の行為とすれば、この鉈入れも「拾いあげられたもの」と云えますね。





■アラバスター筒容器 アケメネス朝ペルシャ(前6−前4世紀)
アラバスターと呼ばれる、半透明で美しい縞模様を持つ石で作られた筒容器です。アラバスター容器は、紀元前の古代中東で誕生し、広く好まれたと資料本には書かれています。シンプルな造形の石製ですが、重厚さはなくやわらかな肌あいです。何処となく気品も感じられ、好ましいものです。

■冬の小さな赤い実
屋上で育てる草花の多くは、冬の到来と共に葉を枯らし、枯れ草を取り終えれば、プランターだけが整然と並ぶ寂しさとなります。栗八での冬の花は椿と山茶花がもっぱらとなりますが、墓地脇や路地裏に小さな赤い実が目につく様になります。今回はそんな赤い実を使わせてもらいました。

鉈入れの赤い実は、よく行く中華屋さん(香妃園)への道すがら、板塀の外に垂れ下がっていたものを頂戴してきました。ヘクソカズラでしょうか。アラバスター筒容器の赤い実は、墓地脇の植え込みから頂戴したもの。ピラカンサでしょうか、小鳥が来て啄んでいきます。


水丸さんのこと その1


つげ義春や白土三平の漫画が載る『ガロ』と云う、ちょっとマイナーな月刊誌がありました。その『ガロ』に、セリフのほとんどない情景画風漫画が時々載っており、私はファンでした。作者は安西水丸。今回は、水丸さんとの出会いのお話です。

東急エージェンシーに入って間もなく、五島美術館の仕事をやれる機会があるかも知れない、と云うことで、杉瀬さんから東急グループ全体の広告(東急広報委員会)を担当させてもらいました(結果から云えば、五島美術館の広告は一度も依頼されることはありませんでした)。東急広報委員会の広告は、グループ全体の広報と云った取りとめのない内容で、年に数回、関係紙に載る程度の地味な仕事でした。

東急グループは渋谷が本拠地ですが、当時の渋谷は西武百貨店とパルコの全盛期、渋谷にやってきた若者は公園通りへと向かい、東急ストアも文化会館も百貨店も素通りしていました。もちろん私もその一人です。東急は本拠地渋谷の危機的時期に109をオープンさせましたが、東急各店へ人の流れを変えるほどの訴求力は、ザンネンながら生まれてはくれませんでした。渋谷駅から、ストア、文化会館、109、百貨店へと続く「東急ライン」(動線)を何とか知らしめたいと云う東急グループ(広報委員会)の要請に、東急エージェンシーから提案したのが、渋谷の東急施設を周るスタンプラリーでした。

スタンプラリーですからそれは周るでしょう。と云うことで、東急広報委員会(広告)の担当となった私がその制作を任されました。スタンプラリー「ウォーキング渋谷」は、私の担当する前に1回、地味に行なわれていました。私が依頼を受けた第2回は、尖った表現で当時売り出し中のイラストレーター、西哲を使った広告を提案してみました。

東急なのに西哲……これはウケを狙った駄洒落の様な案で、西哲自身も大阪出身と云うノリでしたので、広報委員会の面々には当然「社風に合わぬ」と却下されると思っていたのですが、これがすんなりと採用されてしまいました……。



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