*この連載は seikanet(骨董通販サイト)の関連企画です


42 陶製筒花器





硬質に焼き締まった筒状の器、褐色の肌に流れるツヤのある灰釉。印象としては「釉の掛かった土管」ですが、内側には厚く丁寧に鉄釉が施されていますので、出来損ないの土管ではなく、意図して作られた土管(間違い、花器)であったことが分かります。前所有者の弁に依れば、下部に捺されている印は「バーナード・リーチである」と。「ホントかね」と半信半疑と云うか、はなから信じてはいないのですが、ホントだったら……とも時々思ったりして、取り出せば、土管には不釣り合いの小さな印ばかりを眺めています。

花は屋上の吾亦紅です。写真では育ち具合がわかりにくいでしょうが、丈は1メートルを超えて私の背ほどあります。夏には様々な夏草が競う様に伸びる屋上のプランター内で、それらの草花に負けぬ成長をみせてくれたのが今年の吾亦紅君、1等賞でした。




砂川さんのこと


福生の国道16号線(東京環状線)、米軍横田基地の脇を抜ける様に延びる幅広い車線を、八王子から川越方面へと向かう左手に、間口の広い骨董屋があり、店名「万里伊」の大きな看板が基地の向かい側に見えてきます。

万里伊(マリイ)は、名前のとおり伊万里ものを多く扱う店で、大きな米軍ハウスを改造したと云う、間口奥行き共に広い店内には、他にも、古民具からアンティーク家具、古陶、額に入った古そうな絵まで、ありとあらゆる品が雑然と(しかし明確に区分され)置いてありました。店主の名は砂川哲さん。「マリイさん」と店名で呼ぶ人はいません。皆、「砂川さん」と呼びます。もちろん私も……。

砂川さんは骨董界では私の大先輩にあたり、店での商いの他に業者間の交換会(市場)を主催し、さらに大きな露天市をも仕切っていました。私たちが見よう見まねで業者間の交換会(集芳会)をやり始めて間もなく、砂川さんも会に参加してくれるようになりました。何しろ交換会についてはまったくの素人だった私たちがやる会ですので、長くは続くまいと思われており、半ば冷やかしで参加する先輩業者も多くいましたので、時には「これはどうしたものか……」と云うトラブルも起こりました。

会の主催者として明確な解決策を示さないと当事者間にわだかまりを残すことになりかねませんが、会に慣れた先輩業者の無理強いにとまどってしまうこともしばしばでした。そんな折りに窮状を見かねてひと声かけてくれるのは、いつも砂川さんでした。無理強いにはその場で、「それはダメだよ」と我々に代わって断ってくれます。会の進行で怠慢があったり、始めたばかりの境遇に甘え、曖昧な対応でやり過ごしてしまった時には、後で「高木君」と呼ばれ、誰も居ぬ場で「あのやり方では……」と叱られながらも、アドバイスをもらい、何度も助けてもらってきました。それが集芳会を始めた頃の姿でした。

ある日のこと、かつてAD(アートディレクター)として勤めていた東急エージェンシーの上司から「相談したいことがある」と電話をもらいました。内容は、田園都市線たまプラーザ駅の駅前広場で骨董市を定期的に開催してもらえないか、という相談です。その頃、新興の住宅街として目覚ましい発展をとげ始めていた、たまプラーザ駅周辺の更なる発展(賑やかし)のために、駅前で昨今流行りの骨董市を開催したいとの趣旨で、「それなら」と、骨董屋になった私が適任と相談に来た訳です。

「それはおもしろい話ですね」と、私も大いに乗り気で、「では、具体的にどう進めるか企画して後日……」と上司に返答し別れました。構想の企画や進行はAD時代の専門ですので、あゆる場面で役立ちます。まずは骨董市経験者(実践者)に具体的な開催方法のアドバイスをもらうことにし、思い当たったのが砂川さんでした。

いつものように集芳会に出席してくれた砂川さんに、「あとで折り入って相談が……」と伝え、会が終わってから店まで来てもらいました。会の後ですので、お弟子さんを連れて来た砂川さんは、その日が初めての来店でした。間口も奥行きも広い店「万里伊」に比べたら、わずか3畳ほどの店頭で、飾ってある品もありません。「これが高木くんの店か〜」と云った様子で物珍しそうに店内を眺め、ようやく本題の相談が始まりました。

砂川さんからのアドバイスは「止めときなさい」でした。露天市で起こる様々なトラブルや、それへの対応等、想像もできなかった事例を次々と教えてくれ、「こんな時、高木君なら何とかできる?」と問われ、「私ではとてもムリ」と悟りました。

「はい、止めます」と返事をし、「そうしなさい」と和やかに相談事がまとまりました。それまで笑顔だった砂川さんが真顔になり、「こいつに何か見せてもらえないかな?」と言います。何も飾っていない店ですので、お弟子さんは手持ちぶさたに、ただ私たちの話の済むのを待っていました。ちょうど表具から上がってきたばかりの鎌倉時代の仏画がありましたので、それを床に掛けて見てもらいました。しばらくして、「では」と砂川さんは帰り支度を始めました。帰りがけ、お弟子さんに向かい、「今日見せてもらった品のことは分からなくて良いが、栗八さんがこの仏画を君に見せてくれたことを忘れるな」と語りかけていたことを今も覚えています。

万里伊はその後、砂川さんが海外旅行中に不幸な火災により全焼してしまい、その災難からようやく立ち直り、西荻窪に「骨董商砂川」を開店して間もなく、今度は不治の病が砂川さんを襲いました。闘病中も砂川さんは、お弟子さんに支えられながら集芳会に来てくれ、すっかり細く弱くなった声で、変わらず競りにも参加してくれていました。

集芳会で砂川さんの姿が見られなくなって数ヶ月、訃報が届きました。残されたお弟子さんたちは砂川さんのお店をしっかりと整理した後に独立し、今はそれぞれに新たな道を歩まれています。あの日、栗八に一緒に来たお弟子さんは、現在銀座で北欧家具のお店を経営する Luca Scandinavia(ルカスカンジナビア)の輿石さんです。

「あの日砂川さんに言われたこと覚えている?」と輿石さんに訊いてみたい気もするのですが、野暮ですね。



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