35 古銅水盤





金味(かなあじ)の良い、時代を経た古銅の水盤です。似たものは時々市場にも登場し、新羅や高麗の盤、明や室町の古銅仏器と、金味や雰囲気によって様々に称されるのですが、実のところ、時代も国もよく分かりません。何に使ったものかも分かりません。花器でこの形(水盤)はありますが、本来の用途は違う気がします。かつて寺院で使われていた(今でも使うのか……)、「布薩盥(ふさつたらい)」と云う、似た形の漆器があります。僧侶が儀式の際に、浄瓶から注がれる水で手を清め、その水を受ける盥として使われたそうです。この水盤も、水との相性が良いので、小ぶりですが、案外その様な用途であったのかも知れません。

水盤に浮かせた花は、屋上で驚くほどに咲いたオダマキとヒメウツギです。枝は手折らず、花をちぎって水を張った水盤に入れてみました。仏に供える華籠に盛られた花(華)も、本来この様なものであったのかも知れないと想いました。ちぎったあとのオダマキやヒメウツギには、もう新たな蕾がふくらんでいました。




吉村公三郎監督のこと その1


「日本映画の発見」第3回で、今井正監督のキャッチコピー(惹句)に「日本映画の暖流」と使ったからではないでしょうが、第4回はその『暖流』の吉村公三郎監督に決まりました。年に1回テアトル新宿で行なわれていたこの企画の人選(監督の選択)は、今村昌平さん(以下、今平さん)が独断で決定していましたので、日本映画学校のスタッフも広告担当の私も、その人選に従うだけです。吉村公三郎監督の起用は、今平さんなりのウイットなのか、そこまで深読みをする必要もないのか……。まあ、分かりませんが、決まった以上、私はまた頼まれた仕事(ポスターのデザインや告知)を粛々とこなすだけでした。

困ったことに、私はそれまで吉村公三郎監督の映画を1本も観たことがありませんでした。だからこそ「暖流」なんて惹句を今井正監督の際に使ってしまっている訳です。さて本物の『暖流』監督の登場となり、イチバン弱ったのは私です。吉村公三郎監督作品の中でも名作と名高い(あとで知ったことですが……)『暖流』はすでに使ってしまっています。つくづく困りました……。

困っていても先には進めないので、まず、手始めに吉村公三郎監督作品を片っ端からビデオにダビングしてもらい、観ることから始めました。この監督を知らないのは当然と思いました。戦前前後に撮られた作品のほとんどが男女の愛憎を描いた、いわゆるメロドラマで、それらは日本映画の重要な要素(主要なテーマ)だったのでしょうが、チャンバラ・アクション映画以外、男女のメロドラマなどまったく興味のなかった私ですから、観る機会もなかった訳です。

驚いたのは、作品に登場する男優、女優がまことに豪華絢爛です。『暖流』の佐分利信、水戸光子、『安城家の舞踏会』の滝沢修、原節子、『我が生涯のかがやける日』の森雅之、山口淑子、『偽れる盛装』の京マチ子、小林桂樹、『源氏物語』の長谷川一夫、木暮美千代、『足摺岬』の木村功、津島恵子、『夜の河』の山本富士子、上原謙、『四十八歳の抵抗』の若尾文子、山村聰、『大阪物語』の市川雷蔵、香川京子、『女の坂』の岡田茉莉子、佐田啓二……。ざっとこんな感じで、当時の銀幕を賑わせた大スターがことごとく吉村公三郎作品に出演しています。

ここまで当時の大スターを起用できた監督はたぶん他にはいません。それこそが吉村公三郎監督が巨匠と呼ばれた所以なのかも知れません。ヒット作を連発していた監督であることは分かりましたが、単なるヒットメーカーを、今平さんが「日本映画の発見」に起用する訳がありません。何か根拠があるのでしょうが、それが何なのか……。映画を観ても私には分かりません。何も思いつかぬまま、吉村公三郎監督に、ポスター案の「これ一本」を提示する日が刻々と近づいてきましたが、何も思いつきません。ギブアップです。



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