53 欧州の革製筆筒





紫陽花の季節です。公園等の植栽にある、もっこりと丸い紫陽花は、投げ入れの花には難しそうですし、ボリュームのある花もあまり好きにはなれないのですが、雨に濡れた葉裏にカタツムリを見つけた時などは、ちょっと健気な様子で、愛おしく感じてしまいます。欧州の古い革製筆筒にいけた紫陽花は、山道等で見かける山紫陽花です。こちらは花も葉も小さく可愛いもので、まるで水の精が花ひらいた様で、好きな花です。儚げに見える小さく淡い花ですが、案外丈夫で落花もせず、このまま、冬にはドライフラワーになっています。ドライフラワーとなった山紫陽花も、色褪せた古い写真を見る様で好きです。この筆筒には、冬の山紫陽花の方が似合いそうです。花器として選んだ時に、冬の様子が脳裏にあったのかも知れません。




コマちゃんのこと その2


日本デザインセンター(以下センター)のデザイナー斎藤誠(以下マコト)の呼びかけで集まった7人のデザイナーとカメラマン、年齢は皆2、3歳違いの同世代でした。

年長は電通のデザイナー栁澤光二。彼はニッカウヰスキーの広告で、若くして広告業界最高の栄誉と云えるADC賞を前年に受賞していました。60年代のドゥーワップ (Doo-wop)が聴こえてきそうな斬新な広告シリーズで、私も大好きでした。集まったメンバーの中で名の知れていたのは彼だけでした。

最年少は駒形克己(以下コマちゃん)。マコトと同じくセンターのデザイナーでしたが、上司は戸田正寿ではなく森島紘史。氏は訴求力のある明快な表現(平面構成)で広く知られたデザイナーでした。マコトが社内からライバルとも云えるデザイナーを1名選んだカタチですので、彼に興味が湧きました。

旭通のデザイナー修田潤吾はマコトとは旧知の仲。土屋直久はK-2のデザイナー。K-2は黒田征太郎と長友啓典と云う売れっ子クリエイターが設立したデザイン事務所です。彼はそこで広告から編集まで、実に様々な仕事を手掛けていました。

残る一人はセンターのカメラマン杉山守。カメラマンは異質でしたが、杉山君の存在が、後々このメンバーの衝突を和らげる緩衝材として働いてくれました。

「まずグループの名前を決めましょう。7時半に集まったので、pm7:30(しちじはん)はどうでしょう」とマコトが発言し、誰にも異論はなく、初回の打ち合わせはあっさりと終わりました。「また来月○日、7時半に集まりましょう」と約束して、初回の顔合わせは終わりました。

翌月、約束の7時半、7人のメンバーが揃いました。もう面接会場のぎこちなさはなく、それぞれがフレンドリーに言葉を交わしています。「pm7:30(しちじはん)で何をやりましょうか」、喧々囂々、和気藹々の提案の後に、pm7:30を知らせる冊子を作ろう、半年後に大々的なグループ展をやろうと決まりました。

盛り上がった打ち合わせが済み、高揚感の中で「遊びに行こう」と誰かが言い出し、7人で歩き出しましたが、行く宛も目的の場所もありません。栁澤さんが「会社に置いてきたバックを取ってきたい」と言うので、電通まで皆で付き合うことになりました。

センターから電通まで銀座の裏通り(繁華街)を歩いていると、途中にディスコが数件ありました。土屋さんがそのひとつを指して「ここは前に行ったとがある」と言います。真面目で冷静沈着に見えた土屋さんの言葉に一同驚きましたが、「高木クン、新潟でバンドしてたんだろう」とマコトが言います。「うん、こう云う場所でやってた」と伝えると、「高いの?」と誰かが訊くので、「ワンドリンク付きの入場料だけだと思う」と応えます。今夜の行き先が決まりました。



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