6 時代火薬入 江戸時代





煤味が魅力の火薬入れで、花は遅咲きの朝顔です。蔓や葉は盛りを過ぎて弱々しさを見せていますが、花はまだ、一つ二つと咲いてくれます。この花の上端にも小さな蕾がついています。切ってしまったので、もう水を揚げる勢いはないでしょう。蕾には酷なことをしました。

「利休居士と朝顔」の知られた逸話があります。秀吉に、庭の見事な朝顔を一度見たいと所望された利休が、庭に咲く朝顔を全て摘み落とし、茶席にのみ一輪活けたと云う、奇を衒ったお話です。朝顔は一輪(ひとつ)で充分に美しい、と茶人に伝えるための、行き過ぎた作り話と思われますが、朝顔に限らず、どの花も一輪で充分に美しいことを、北野大茶会を催すほどの茶数寄者であった秀吉が知らぬはずがありません。茶事や人間への深い洞察力があったからこそ、(茶席を通じて戦国武将や豪商との交渉事を図ってくれた)利休を、あそこまで重用したのでしょう。利休が朝顔の一件を本当にやってしまっていたのなら、その時点で太閤の茶頭は罷免(クビ)だったと、私は思います。




小野先生のこと その1


「ジョン・レノンに似たマスターのいる喫茶店ができた」。友人からそんな話を聞いたのは、高校を卒業して間もない頃です。私は家業の牛乳屋を手伝いながら、見よう見まねでギターを弾き、刺激の少な過ぎる田舎町で音楽(ロック)に明け暮れる毎日を過ごしていました。

「では行ってみよう」と、どうせ暇な友人と二人、件の喫茶店を訪ねてみました。カウンターの中には、確かにジョン・レノンと同じ丸眼鏡をかけた人物がいました、ジョンより若く見え、店にはビートルズが流れていました。

田舎町の、ビートルズの流れる喫茶店で暇な時間を潰す習慣が、この日から始まりました。丸眼鏡のマスターは新津の女性と結婚し、奥さんの実家を改装して喫茶店を始めたとのことでした。神奈川の出身で、本業は絵描きであると……。

中学、高校と絵の成績の良かった私は、「どんな絵を……」と訊くのですが、返ってくる話がさっぱりわかりません。どうやら、洋画や日本画とは違う絵の世界があるらしいのです。絵と云えば学校で教わったルノアールやピカソしか知りませんので、シュールレアリズムやダダイズム、ポップアート等、マスターから聞かされる話は刺激的でした。アメリカ国旗やスープの空き缶が絵になり、漫画の1場面を拡大したり、便器にサインさえすれば「アート」なのだと……。

それなら俺にもできそうだと、田舎のコピーバンドでうだつの上がらぬ青年は、次は世界が注目するpopアーティストを目指します。「ロバート・ラウシェンバーグは街で拾った色々なモノを貼り付けて作品にしている。拾ってきたモノを貼り付けてアートになるなら、俺にもできる……」。早速ゴミ拾いが始まりました。空き缶や木屑等のモノを打ち付けたり、貼ったり、ほぼ日曜大工なのですが、これが楽しい……。やがて奇妙なアートが出現します。ラウシェンバーグとは比べものにならぬ陳腐さなのですが、「これがアートだ」と云う訳です。

ある日、マスターから「東京でデザイナーをしている友人が来る。作品を見せてみないか……」と提案されました。東京者をビックリさせたいと、当日は大きな貼り付けアートを運び込んで待っていました。やって来たのは、普通のお兄さんです。少々ガッカリしている私に、作品を見ていた彼は「手直ししてあげるよ」と言って、絵の具(ペンキ)を持ってくる様にと言います。訝しく思いながらも持参すると、刷毛にたっぷり白ペンキをつけ、作品全体にバサバサと塗り始めました。瞬く間に私の作品は白化粧した凸凹アートへと変容しました。最後に彼は、私の作品を靴で思い切り蹴り上げ、こちらを振り向き、「良くなった」と満足そうに笑い、啞然とする私に刷毛を返しました。

作品を真っ白にし、足蹴にしたのは戸田正寿氏。後に著名なアートディレクターとして活躍し、私をデザインの世界へと導いてくれた人物です。この日が、若き戸田さんとの出会いでした。



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