32 古いブックカバー





SNSに無地の皿や木箱等、色彩や装飾のないシンプルな骨董(雑器)を多く載せているショップを見つけました。欠けのある皿や簡素な木箱の値段はそれなりにしており、「売れるのだろうか……」と興味本位で品をクリックしていました。その中にこのブックカバーがありました。確か「ドイツ 18世紀 革製ブックカバー」と表記されていたと思います。何で古いブックカバー(カバーだけで本はありません)を買う気になったのか説明は難しいのですが、云ってみれば「勢い」です。

花(葉)は、ようやく伸び始めた矢羽根薄(ヤバネススキ)。花器と花材の取り合わせは、いつも「勢い」で済ませています。




小林正樹監督のこと その8


「(田中絹代)記念館を建てる場所が見つかりました」と小林正樹監督(以下監督)から連絡があったのは、遺品の整理が済んで間もない頃でした。急な展開で、訝しさは残ったのですが、監督のためにも建設地の決定は喜ぶべきことでした。

「ついては……」と、私と設計士は監督に指示された日に予定地へと向かいました。そこは関東の広大なゴルフ場でした。下関の時と同じく、監督とプロデューサー、マネージャーの3人が先に着いていて、私たちを待っていました。紹介されたゴルフ場のオーナー(会長)は、監督とは同年代と思われ、古くからの馴染みであり、監督の映画製作にも資金的に協力してくれるスポンサーでもありました。ゴルフ場はクラブハウスや宿泊施設、レストランなどが広大な敷地内に点在しており、大きな古民家も移築されていました。古民家にも案内され、「まだ中は使っていないので、ここで良ければ……」とオーナーは言いましたが、古民家をアレンジした記念館では監督が納得しないでしょうし、私もそうでした。

「場所はいくらでもあるので……」と、オーナーは敷地内を案内してくれました。監督は足が悪く、ステッキをつきながらゆっくりと同行します。「ここはどうですか」と設計士が敷地の一角で立ち止まりました。ゴルフ場入口の大きな門を抜けて、クラブハウスに続く長いエントランスの途中、少しひらけた平坦な木立の中です。記念館に大きな敷地は必要ないでしょう。木陰のロケーションは良く、監督も乗り気です。「ここで良ければ、そうしましょう」と、オーナーからは悠長な返事が返ってきました。

監督と親しいとは云え、絹代さんとは何の縁もないゴルフ場の中に記念館を建てる。ゴルフ客以外の一般来館者への対応や、館の維持管理、受付業務はどうするのか……。疑問は次々に浮かんできます。私には、ここ(ゴルフ場)に田中絹代記念館を建てる意義が何も見つけられません。たまたま親しくしていたゴルフ場のオーナーに下関での記念館頓挫の話をし、「それなら……」と申し出てくれたオーナーの好意に監督が乗っただけの話なのではないでしょうか。資金面での不安は無さそうですが、果たして建設を進めて良いものかどうか……。記念館と云う施設の役割を思うと、私の中では割り切れぬ気持ちが残っていました。でも、オーナーと会話しながら、杖をつき、ゆっくりと前を行く老いた監督の背を見ると、とにかく絹代さんの遺品から監督を解放させたい、私自身も肩の荷を下ろしたい……と云う思いが先に立ち、何も言えずにクラブハウスへの道を歩いていました。

「今日はぜひ泊まっていってください」と、社交的なオーナーに誘われ、私と設計士はコテージに泊めてもらうことになりました。クラブハウス(レストラン)での夕食会では、オーナーと監督一行、さらにオーナーのご子息が同席されました。ご子息はゴルフ場や関連施設の社長をしていると紹介されました。短い挨拶が済み、食事を進める間もオーナーと監督は機嫌よく話をするのですが、ご子息は硬い表情を崩さず、終始無言でした。記念館の話題が出ても、他人事の様に聞き流している様子が気になりました。

「やはり」と云うべきでしょう。この記念館建設の話も、取締役会での反対にあい中止が決まったと連絡がありました。中止になって「ほっとした」と云うのが私の素直な思いでした。絹代さんの遺品は、再び落ち着く場所を失いました。



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