10 鎌倉彫小引出し 室町時代





鎌倉彫の一部を使って作られている小引き出しです。傷んだ笈(おい)の部材を用いて作られたものでしょうが、断片になっても中世鎌倉彫の力強さは健在で、優雅でもあります。引き出しを抜き、筆筒の様に縦置きにして、落としを収め、花器に見立ててみました。大きさ、味わい共に、秋の野花に相応しい風情と一人悦に入っています。




デザイナー前夜 金井さんのこと その2


今更実家に戻って、「やっぱり牛乳屋を……」とは言えません。職のない私は、持っていた骨董品を売ってその場を凌いでいました。見かねた戸田さんが、仕事を手伝えと誘ってくれました。その頃の戸田さんは、各所から仕事を頼まれる若手デザイナーとして活躍していました。

私の手伝う仕事の多くは、簡単な雑誌のレイアウトと、広告のアイデア(ラフスケッチ)で、食費にも困った時は、戸田さんの四畳半の下宿に布団を並べて泊まらせてもらい、戸田さんが仕事へ出かけた後は部屋の掃除、そして預かった食費で賄い料理を作り、帰ってくるまでの時間をとりとめもなく潰していました。戻ってくれば一緒に銭湯へ出かけ、晩ご飯を食べ、その後は様々なことを語りながら(まだ部屋にテレビはありませんでした)、戸田さんの気が向けばデザインのやり方を教えてもらっていました。

本やパンフレットの文字や写真は、指定原稿と云って、文字の大きさ(級数)や写真のトリミングをデザイナーが白紙にレイアウト(指示)して決めるのですが、与えられた原稿の字数を数え、ページ内に写真やイラストと共にキレイに収めること(デザインをすること)が、デザイナーの基本なのです。当時はまだパソコンなど無く、実際に文字や写真を入れて様子を見ることはできません。頭の中で組み立てながら(仕上がりの様子を想像しながら)ページのレイアウトを進めていきます。

何とか指定原稿の作り方を覚えた頃、「これ、やってみる?」と1冊のパンフレットを託されました。戸田さんが長く関わっていた劇団青年座の公演パンフレットです。「劇団には話してあるので自由にやって……」と戸田さんに励まされ、レイアウトに取りかかったのですが、デザインなんてと甘く見ていた私に、落とし穴はすぐそこに用意されていました。

著名な能楽師が客演するギリシャ悲劇。その公演パンフレットが私に与えられた仕事でした。仕事(デザインの指定)が全て済んだ私に青年座から招待券が届き、公演の初日に劇場へと出かけました。劇場のロビーで、唯一の顔見知りに呼び止められました。声をかけてきたのは私から指定原稿を受け取り、版下や印刷の手配をしてくれた印刷所の営業マンです。神妙な顔で、こちらへと呼ばれ、その脇には今日出演する能楽師が立っていました。挨拶かと思ったのですが、違いました。相手は激怒しています。「なぜ、私の原稿を勝手に削ったのか……」。怒りの内容はそれでした。削った覚えはなかったのですが、私の指定が拙く、結果として原稿の全てが入り切らず、パンフレットには削られた原稿(文章)が載ってしまっていたことを、私はその日初めて知りました。

印刷所の営業マンが、私や能楽師に断りなく原稿を削り、印刷へと回したとしか考えられないのですが、彼は何も言わず、私の脇で神妙な顔で控えています。元はと云えば、半端な指定をしてしまった私の責任に違いなく、私にできることはひたすら謝ることだけでした。能楽師の怒りのボルテージは収まらず、私を批難する声はロビー内に響き渡っていたでしょう。公演時間が近づき、彼はその場を去って行きました。意気消沈した私は公演を観ることなく劇場を後にしました。

パンフレットの一件からしばらく経った頃、戸田さんから、「青年座の金井さんが高木君を呼んでいる」と伝えられました。私は再度叱責されるのを覚悟で、青年座へと出かけて行きました。



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