
75 丹波薬研
活けて(盛って)あるのはシダです。私は、シダは人類が登場するずっと以前、恐竜の時代から地球上にあったと勝手に思っています。きっと、子供の頃から親しんできたモスラ等の特撮番組や映画の影響でしょう。
シダには山道の風情があるので、メインの花材(山野草)と組み合わせて……と、山道から一株を頂戴してきてプランターに植えたものが増えました。実際に取り合わせて活けてみると、案外扱いが難しいことに気がつきました。見よう見まねの素人花では、なかなか太刀打ちできぬ花材の様です。今回もプランターから根ごと抜き、そのまま丹波の薬研に置いてあります。山野の風情というより、山道の一部みたいになってしまいましたが、これはこれで成功と思っています。
花器は丹波の薬研で、重くてゴツイものです。質実剛健は民藝のひとつの要素ですが、この薬研、満身創痍となってもまだ花器として現役ですし、きっと薬研としても使えます。壊れるまで使われ、壊れてもなお使われる。「ラクして生きようと思うなよ」と、満身創痍の薬研に諭されている様に思います。
伊勢屋さんのこと その2
翌日、約束の時間に西荻窪にある伊勢屋さんのお店を訪ねると、「話はお昼でも食べながら……」と、住宅地にある、住まいを改装して昼だけ食事を提供しているお店へ出かけました。私たちの他に客は居ません。「此処なら、ゆっくりできるでしょう」と事前に予約してくれていた店でした。
「癌とは思いませんでした。お元気そうだし」とお世辞ではなく伝えると、「もう、10キロ以上痩せちゃってね〜。なぜか顔だけ痩せないね」と和やかに笑っています。「今までは転移しても手術で取ってたんだけど、肺は厄介でねえ、手術ができないんだよ」と、ご自身の癌の経過を、美味しい家庭料理を食べながら淡々と話してくれ、抗がん剤についても教えてくれました。
抗がん剤は通常、点滴で行なわれ、週に1度で3週続け、1週休んでまた3週と、癌への効き目を血液検査の数値やCTで観察しながらしばらく繰り返すと言われ、ポケットから1 枚の紙を取り出しました。広げて、これは血液検査の結果で、抗がん剤の点滴を行なう前には必ず採血があり、血液の様々な数値が調べられる、と教えてくれました。「白血球の値が一定程度より下がると、抗がん剤はお休みになるんだよ」と。
話の中で、私の癌のことは何も訊かれません。電話で、肝臓に転移が見られて手術ではなく抗がん剤での治療が始まる、と伝えてありますので、ベテラン(?)の癌サバイバーである伊勢屋さんには、私の癌がどの状況にあるのかは、ある程度は理解していたのだと思います。
私が「副作用が心配で……」と尋ねると、自分の場合は、と前置きし、「1週目の抗がん剤の翌日から倦怠感と口内に荒れが出て食欲が落ちるけど、数日経つと慣れるよ」と笑って応えてくれます。それは、これから始まる抗がん剤治療への不安と心細さを抱える私の思いが分かっての、穏やかな笑顔だったのでしょう。
食後のコーヒーとデザートを済ませ、代金は伊勢屋さんが払い店を出ると、「駅の分かるところまで送るよ」と連れ立って、冬の昼下がり、静かな小路を二人で歩きました。数分歩き、大きな通りが見えると、「そこを左に曲がってまっすぐ行けば駅だから」と教えてくれ、「じゃ」とまた笑って手を差し出します。ちょっと戸惑ったのですが、握手だと気がつき、私は手を握りました。ふっくらと厚く、温かな手でした。
握った途端、涙がこぼれ、顔が上げられません。黙ったままお辞儀を繰り返すと、「大丈夫、大丈夫」と肩を叩かれ、「高木君なら大丈夫。お互い、がんばりましょう」と強く握り返され、手は離れました。
「じゃ」といつもと変わらぬ様子で、今来た小路を帰る伊勢屋さんの後姿を見送りながら、私はなぜか、これから私の身に起きる何事も受け入れられそうな、晴れ晴れとした気持ちになっていました。この日が、伊勢屋さんとお会いした最後となりました。
伊勢屋さんの死は2021年3月、私たちの会(集芳会)に掛かってきたお店の方からの電話で知りました。伊勢屋さんは、亡くなる前に、「店に残っている品は集芳会さんで売ってもらう様に」と伝えていたそうです。
*この連載は、高木孝さん監修、青花の会が運営する骨董通販サイト「seikanet」の関連企画です
https://store.kogei-seika.jp/