*この連載は seikanet(骨董通販サイト)の関連企画です


38 須恵砧形水瓶





平安時代の細身の須恵壺で、素朴な水瓶と云った独特のカタチをしています。砧形水瓶と仮に呼んでいますが、正式な名称は知りません。花映り、花のおさまり共に良く、花器として重宝するので、古くから花数寄者には人気があります。しかし、市場に出回る数は少なく、また焼きの甘い場合も多く、直接水の入る器となると選択肢はますます狭まります。更に云えば、状態の良さや肌味(景色)など、蒐集家の求める「これ」の基準は際限なく高いので、それに見合う品、「これなら」を仕入れて提供するのはなかなか難しいものです。掲出の水瓶は、私にとっては「これなら」の一点で、購入を望むお客さまも居るでしょうが、この連載が終了するまでは売らずに仕舞っておきます。申し訳ありません。

花はエノコログサ(狗尾草)、猫じゃらしの正式名称です。長い一本は、穂先が色づき、小さなタネが落ち始めています。来年の春にはまた、屋上でたくさんのかわいい猫じゃらしが芽生えてくれることでしょう。




市川崑監督のこと


日本映画学校(現・日本映画大学)の企画主催で、毎年、新宿で開かれていた「日本映画の発見」。第5回は市川崑監督でした。前回の吉村公三郎監督と比べると、ずっとメジャーで、当時もヒット作を作り続けている監督でしたので、意外でしたが、吉村公三郎監督にお会いした折に、斬新な画面構成やカメラアングル、編集の巧みさ(コンテ力)等のお話の中で、一番多く登場したのが市川崑監督作品でした。日本映画を代表するヒットメーカーであり、日本映画の新しい可能性を切り拓いてきたフロンティアでもあった訳です。そのことは、映画製作者間では周知の事柄であったのかも知れません。

市川崑監督(以下監督)とは、渋谷に近い瀟洒な自宅兼事務所でお会いしました。通された部屋は、10人以上は座れる大きなテーブルと椅子の並ぶ、飾りのない大きな空間で、心地よい緊張感が漂っていました。監督を待つ間、見るとはなしに部屋を眺めていると、テーブルの上にポツンとひとつ小さな包があります。何だろうと近づいてみると、包みの熨斗には「吉永小百合」と墨書きされています。今しがた小百合さんから贈り物が届いて、それをテーブルの上に置き忘れた、と云う印象です。

これが、私たち(訪問客)を喜ばせる監督の巧みな演出であることは、昨年吉村公三郎監督より様々に市川崑演出の技をうかがっていますので、お見通しですが、飾りのない部屋の大テーブルにひとつだけ置かれた吉永小百合さんの小さな包みは、私たちの心を和ませ、心ときめかせてくれるインパクトがありました。

5分ほど経った頃でしょうか、監督が入って来ました。ひと通りの挨拶と紹介が済むと、早速監督の前(広いテーブル)に、いつものポスター案(これ一本)を広げました。笑顔はなく、「良いでしょう。では、よろしく」のひと言で、監督は部屋を出ていきました。この間数分、昨年の吉村公三郎監督と違い、まことにサッパリとしたもので、打ち合わせの最短記録かも知れません。過去のポスターを見ているし、「まあ、こんなものでしょう。おおよそ見当はつきます」とでも言いたげな監督の態度でした。監督にも「おっ」と喜んでもらいたかったのですが、その目論見は外れてしまいました。

映画祭が無事に終わり、私は行きませんでしたが、関係者による慰労パーティーの席で、打ち合わせに同行した日本映画学校のスタッフが、「パンフレットの色が良かったとデザイナーに伝えてくれ」と監督から言われて驚いたと、後日教えてくれました。お会いした日に監督が着ていた開襟シャツの色をそのまま表紙に選んだだけなのですが、懐かしい思い出です。尚、パンフレットの表紙デザイン(文字組み)は、『奈良六大寺大観』(岩波書店刊)を意識したパクリです。





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