9 時代竹花入 江戸時代





干割れの生じた箇所は黒漆で埋められています。やつれた肌味が好ましく買い求めましたが、茶道具によくある来歴や作者は判りません。あれば骨董的な価値も高まったと思うのですが、個人的には、この竹の枯れ具合で十分満足しています。

花は紅葉の葡萄です。栗八の屋上ではプランターに葡萄も植えています。幹は太くなれず、実る葡萄も数房で小さなものですが、甘くて美味しいので、時期になれば近所の烏と争奪戦になります。そろそろ収穫……と思った頃には、たいがい烏に先を越されています。この枝にも、葉の間に数粒の実が残っています。




デザイナー前夜 金井さんのこと その1


バンドをやめて家業(牛乳屋)に戻り、自己流の貼り付けアートや、骨董屋を訪ねる日々を送っていた私ですが、どうにも家業に身が入りません。晴れた日も雨の日も雪の日も続ける牛乳配達の単調な仕事に、辛抱ができなくなっていました。

祖父母に甘やかされて育った軟弱な精神の私は、家業から逃げ出したいばっかりに、「東京へ行ってデザイナーになる」と言い出します。何の根拠も下地もありません。貼り付けアートの先輩(戸田さん)が東京でデザイナーをやっているのだから、「私もそうなる……」と云った単純な動機です。

もちろん母は大反対で、聞く耳も持たない状態でしたが、この時も一番下の姉が助け舟を出してくれました。「このままではタカボウがダメになると思う。タカボウがしたいことさせてみて。家の仕事は私が継ぐから……」と母に進言してくれました。

こうして翌春、家業の牛乳配達から解放された私は、東京へ出て下宿し、少人数のデザイン学校へ入学しました。しかし本人はすでにアーティストのつもりでいますから、デザインを軽く見ています。講師にしてみれば迷惑な生徒、関わりたくない生徒であったことでしょう。ろくに学ぶことなく遊び呆けた2年が過ぎ、いよいよデザイナーとしての就職活動です。

世間は第1次オイルショックの真只中で、高度経済成長に急ブレーキのかかっていた時代です。しかも本人が世間も社会も甘く見ていますから始末が悪い。飛び込みで面接を受けても、ことごとく不採用です。仕事先も決まらぬまま、仕送り期間の終わる春は過ぎて行きました。無職無収入の自称アーティストが都会の片隅に取り残されました。



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