5 ローマングラス小瓶 3-4世紀





やわらかな肌のローマングラスは野花との相性が良く、装飾の少ないシンプルな瓶は比較的安価に出会える時もあり、余裕があれば買っています。掲出の小瓶は小さく、薄く、軽いもので、元々疵はなかったのですが、私の扱いが粗くて割れてしまいました。ガッカリして、捨てようかとも思ったのですが、遅れて芽吹いた小さな猫じゃらしを挿してみました。わずかですが水も入りました。たとえ壊れたものでも、活かす工夫ができなければ骨董屋として失格ですね。




ジュンのこと その3


ジュンは執行猶予のない懲役刑、主犯格のBはそれより長い懲役と聞きました。私は毎日の牛乳配達と、自己流の絵を描く日々を過ごしていました。

数年後、市内でジュンとすれ違いました。驚いて「ジュン」と声をかけると、立ち止まって振り向き、「声をかけられなかった」と言って、淋しげに笑いました。私はニコニコです。ジュンにまた出会えた幸運な一日でした。

二人の付き合いが再開しました。ジュンは駅前の喫茶店に勤め先を得て、休みの日は、私の絵に使う材料拾いや、阿賀野川の釣りに付き合います。事件の話はまったくしません。気を使ってしないと云うより、そのことが頭をよぎらないのです。私は絵に夢中で、ジュンには彼女ができ、同棲を始めていました。

ジュンと再会して半年後、私は嫌々続けていた牛乳屋の手伝いをやめ、デザイナーになるために東京へ出ることになりました。上京の日、列車待ちの時間を、ジュンの働く喫茶店で過ごしました。時間がきて駅に向かう私に、「あとで食べろ」とサンドイッチの包みを渡してくれました。「あー、じゃまた」。これが、ジュンと交わした最後の言葉になりました。

「来ましたが、帰ります 純二」──画廊の芳名帳にジュンのメモが残っています。東京に出てきて、デザイン事務所でアシスタントの仕事を得、コツコツと描いていた絵の初個展でしたが、アシスタントの身では毎日画廊には居られず、ジュンには会えませんでした。

ある日、電話だ、と仕事場で伝えられました。私に電話のくることなどなく、訝しく思いながら受けとると、「ジュンが交通事故で死んだ」という電話でした。「そう」と電話を切ったのですが、もう何も考えられません。「友達が死んだので帰って良いですか」と伝え、新津への列車に乗ったのですが、事故現場と聞いた山間の駅で降りました。

辺りはまだ雪が残り、暮れかかった駅前には花屋もありません。見つけたスーパーマーケットで花の種をいっぱい買い、警察署で教えてもらった事故現場へと向かいました。ほの暗い山道でしたが、ガラス片などが散乱する事故現場はすぐにわかりました。私は種袋を破き、花の種を辺り一面に全部撒いて事故現場をあとにし、ジュンの通夜へと向かいました。

「最近はBの仲間につきまとわれていて、あの日も運転手をさせられ、車でどこかへ出かけて行った……」。それを聞いたのは通夜の後、友人たちの集まった場でのことです。出所したBやその仲間が、頻繁にジュンの所へ来ていたと……。私はまったく知りませんでした。ジュンにとっては悪夢の再来だったことでしょう。

事故の現場は雪の山道、長い下り坂です。他の事故検証のために停まっていたパトカーに猛スピード(ノーブレーキ)で衝突し、運転手(ジュン)は即死し、同乗者は幸い怪我で済んでいる、というのが、立ち寄った警察署で教えてもらった事故のあらましです。「パトカーが見えないはずがない……」。警官が独り言の様に呟いていました。

事故ではなかったのかも知れません。ジュンは悪夢を断ち切るために彼らを道連れにしようとして失敗したのかも知れません。そう思うと悔しくて仕方なかったのですが、今は、失敗して良かったと思っています。ジュンも「そうだな……」と照れ笑いしている様な気がします。



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