*この連載は seikanet(骨董通販サイト)の関連企画です


43 須恵蓋付小壺





6−7世紀(飛鳥−奈良時代)の須恵器でしょう。手におさまる素朴な小壺で、蓋も共の様です。花は枝から落ちた侘助です。侘助は咲くと1日か2日で花だけが落ちます。落ちた花は、まだ咲き始めの白さを保っており美しいものですが、中には枝から離れぬまま、茶色くしおれ、乾いてしまう花もあります。侘助は身ばなれの潔さにこそ美があるようです。冬の間、栗八の侘助は多くの花を咲かせ、多くの花を落とします。空気の澄んだ早朝に、積もるように落ちた花を見るのは清々しいものです。




光さんのこと その1


私が広告代理店の東急エージェンシーでデザイナー(AD)をしていた頃のことです。仙台に東急ホテルが建つことになり、その宣伝広告を任されました。当然ですが開業間近の1年間は仙台への出張が増えました。

泊まりでの出張は手持ち無沙汰の時間ができます。そんな折は、どの地方へ出かけても骨董屋回りを優先していましたので、仙台でもそれは変わりません。市内にある何軒かの店を訪ね、中でも親しく通ったのはMさんです。詫びた茶道具を始め、生活雑器から古窯まで幅広く扱うのですが、私が興味を持ち始めていた仏教美術や古画はありませんでした。それでも時おり、東京の市場で仕入れたと云う、花器になりそうな弥生壺や古窯壺等、面白い品を見せていただき、何点かを頒けてもらっていました。

「あの店(Mさん)は、値切ると不機嫌になってしまうから気をつけて」とのアドバイスを他店でもらっていたのですが、それまでも骨董屋で値切った経験はありませんでしたし、Mさんが提示してくれる品の値は私の買えそうな範囲ばかりでしたので(私の懐具合でも買えそうな品を選んで見せてくれていたのでしょう)、値引きをお願いする必要もありませんでした。支払いする時はいつも、「もう少し安くしてください」と頼んだらどんな反応をされるのだろうと、心の中では思っていました。

ご主人が留守で、目ぼしい品もなく、手持ち無沙汰の時は、Mさんの奥さんや娘さんが朗らかに対応してくださり、空き時間を過ごさせてもらうこともありました。仙台東急ホテルがオープンして、仙台への出張もなくなってしまった頃、Mさんの娘さんから電話がありました。今は結婚して仙台を離れていると言い、結婚相手が骨董屋で、このたび青山で店を開くことになったので知らせたとのお話です。訊けば店は根津美術舘の並びで、かつていけださんが不言堂独立後に商っていた、間口一間ほどで奥行きのない小さな店舗です。馴染みのある場所でしたので、電話をいただいてからそう遠くない日に青山まで出掛けて行きました。

お祝いに贈られた花が店先から店内まで、足元を埋める様に並んでいる中で、ご主人がぽつんと座っていました。飾られている品は古陶磁が中心で、それも柿右衛門や古九谷、中国や朝鮮の陶磁と、当時の私には全く分からぬ(興味のない)品がほとんどでしたが、道路に面したウィンドウに、朱が残り、線刻の入る見事な弥生大壺がありました。

普段なら、私には手の出せぬ高価な品と諦めるのですが、笑顔で気さくに話をしてくれる同年代のご主人に、「あの弥生はいくらですか?」と訊ねてみました。提示された金額は、やはりサラリーマンの懐具合ではおいそれと手の出せぬ値段でしたが、「月賦でも良いですか?」と厚かましくも訊ねてみました。「良いですよ」とあっさりとした返事がすぐに返ってきました。ついては、毎月の今頃、残金を払います、と伝え、お互いの名刺を交換しました。

永楽堂坂本光

その後、私が骨董商となってからも長い付き合いの続くことになる、光さんとの最初の出会いでした。



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