8 ブリキ筒 昭和時代





花は枯れた紫蘭です。紫蘭は強い草で、毎年、植えた覚えのないプランターからも芽を出し花を咲かせます。盛りの花や葉は優雅な趣ですが、枯れた紫蘭の姿も力強く優雅で、種を落とした殻も、このままで冬を越します。この葉にもまだわずかに夏の色が残ります。

花器は「ブリキの筒」、青焼きと呼ばれた図面なんかを入れた薄く軽い鉄製の容器で、昭和世代ならご存知でしょう。これは、若い骨董商が市場に売りにきたものです。ブリキ筒が競り台にのり、会主が「3000円!」と発句(スタートの値の提示)したのですが、それに続く競り声がかかりません。つまり、会に参加している全員が、このブリキ筒を3000円で買う(仕入れる)意志がない、と云うことです。私も、昭和のブリキ筒ではさすがに売れないだろうと、半ば呆れた気持ちで眺めていました。しかし、誰からも競り声のかからぬ様子を見ていたら、つい「買うわ……」と言っていました。「買う」は、最初の発句(会主の示した値段)で買うと云う意思表示です。

こうしてブリキ筒は私の元にやってきました。持ち帰って少しだけ煤と錆汚れを落とし、試しに水を入れてみたら漏れません。床に据えるとスッキリと立ちます。枯れた紫蘭を挿してみたら絵になりました。どうやら良い仕入れだった様です。ブリキ筒を会に持ってきた若い骨董商は「逆光」さん。店のネーミングが今風で洒落ていますね。今風の店名と云えば「膏盲社」さん、「画餅洞」さん等、ひねりの利いた名もあります。「うまのほね」と云う屋号の後輩もいます。素直な眼と心の好青年ですので、何も馬の骨じゃなくとも……、親が泣くぞ……と私は思うのですが、そう思ってしまう時点で、新時代に取り残されているのかもしれません。屋号にまで強い個性を示せる彼らの登場は驚きであり、頼もしくもあります。





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