14 時代竹筒酒入「白酒黒酒」 





1本の竹の中節を細く削り落とし、折り曲げて把手とし、上下の節を並べて結び、筒容器としています。それぞれの上部には「白酒」「黒酒」の焼印が捺されています。白酒(しろき)、黒酒(くろき)を調べましたら、新嘗祭に献げる御神酒と知りました。この竹筒は何れかの時代の新嘗祭に用いられ(下賜された)御神酒を持ち帰った器と思われます。野紺菊ひと枝を挿してみました。菊の香は野菊でさえも優しく高貴です。




デザイナー時代 杉瀬さんのこと その2


ネジが外れ、自分でも制御不能だった私に、「高木君、もっと大きな場所へ行きなさい」と松田さんが言います。大きな仕事をして、大きな責任も負ってみないことには、世間を甘く見過ぎている私は堕落してしまうと云う訳です。すでに十分堕落し、一晩中遊び呆けている私ですので、反論はできません。「はい、そう云うもんですか」と応えると、「ついては、どこが良いか」と訊きます。

「どこが良いか」と云われても、私のような堕落デザイナーが、名の知れた大手デザイン会社に入れる訳がない……と感じたのですが、咄嗟に思ったのが、東急グループ系列のデザイン会社東急エージェンシーです。東急グループには五島美術館がありましたので、好きな古美術、骨董と近づける……と云う程度の思いつきです。

「では」と引き受けてくれた松田さんの斡旋で、すぐに東急エージェンシーのチーフディレクターとの面接が決まりました。松田さんのデザイン業界に於ける人脈の広さと、信頼度の高さは今考えても驚きです。チーフディレクターとの面接後、採用の可否を決める会社面接があり、私は無事に採用されました。面接官全員が反対する中、最初に会ってくれたディレクターだけが「私が責任をとるから」と言い張り、渋る皆を説得して採用を承知させたそうです。このことは入社後、面接に立ち会った役員の皮肉な一言で知りました。

採用を決めてくれたディレクターは杉瀬健氏。入社後は、当然ですが私の上司になりました。杉瀬さんに「五島美術館の仕事がしたい」と伝えると、「ここではそう云う細かな仕事はしていないが、チャンスはあるかも知れない」と、東急グループの仕事を任せてくれました。東急エージェンシーでの仕事は楽しく、夢中で様々な仕事をこなす日々でした。

忘れられない出来事があります。その日の仕事を終え、杉瀬さんと応接室でよもやま話をし、帰宅してから気づいたのですが、今日貰ったばかりの給料が袋ごとありません。どこかで落としたのでしょうが、さっぱり記憶にありません。杉瀬さんにも電話で確認したのですが、「知らない」と。万事休すです……。

翌日、会社の先輩が私の席にやってきました。「給料落としたんだって」と言って笑っています。「はい」と応えると、「杉瀬さんから、お前に仕事を回してやってくれと言われたよ」と、また笑っています。つまり、給料を無くした可哀想な男に、社内の仕事をアルバイトとして出してくれと云う、無茶と云うよりほとんど犯罪の様な依頼で、当事者の私も啞然としました。憔悴しきりの私の前に、先輩が「これ」と笑いながら差し出したのは、私の給料袋です。手品を見せられたようで呆気にとられている私に。「給料袋、尻ポケットに入れてたろう。応接室のソファーの間に食われてたよ。俺も経験があるんだ」とのこと。先輩から後光が差して見えました。

入社時、1週間で辞めると思われていた私ですが、7年間勤め、杉瀬さんに「もう辞めろ」と言われて退社しました。東急エージェンシーでの杉瀬さんは、6時を過ぎると引き出しからウイスキー瓶を取り出し、パイプをくゆらしながら、私を相手に一杯始まるのが常で、時には手が出て殴り合いにもなる、周囲も呆れる関係でしたが、私は良い上司に恵まれました。

杉瀬さんは東急エージェンシーを定年退社後、私を含めかつての仕事関係者とはほとんど誰とも会わずに余生を過ごされ、まるで消えるように亡くなりました。潔い生き方をされたと思います。



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