森光宗男(左)と大坊勝次。「珈琲美美」で。撮影=菅野健児
かつて松濤美術館で行われた「骨董誕生」展において、坂田和實さんがならべたコーヒーのネル布は、福岡の珈琲店・珈琲美美(びみ)で作られ、ドリップのために用いられたものでした。珈琲美美は森光宗男さんが東京・吉祥寺の名店「もか」で修行ののち福岡ではじめた店で、修行中に出会った秦秀雄に店名を決めてもらったことをはじめとして、数多のエピソードをもつ、珈琲屋から敬愛される珈琲屋です。その森光さんが韓国での珈琲レクチャーの帰途、仁川空港で急逝されて、この12月7日でちょうど1年となります。

森光さんにはじめてお会いしたのは、僕が高校生、鈴木召平さん(当blog第1回参照)が主宰する詩の同人に、恩師に誘われて訪ねた頃。それまで珈琲を飲むとなんだか熱が出る体質だったのが、鈴木召平さんが珈琲美美の豆で淹れてくれると体になじみ、召平さんの所で話をしつつ、珈琲をいただくのがとても楽しみでした。そのころ森光さんは召平さんの家の敷地内に住まわれていたので、よくお目にかかっていましたが、時折、なぜか写真の話をし、凧揚げの際にお会いする程度でした。それから20年弱を経て、珈琲美美の移転にあわせてお誘いをいただき、隣で店ができるというのはとても不思議なことです。

さる11月6日には有志により、福岡市内で森光さんの追悼コンサートを開催しましたが、音楽に先立ち、親交のあった大坊珈琲店(2013年にビルの再開発で南青山の店は閉店)の大坊勝次さんが森光さんの思い出を語りました。その中で最も印象的だったのは、大坊さんの「僕は珈琲屋だけど、彼は珈琲だった」という言葉です。森光さんはゲーテの色彩論やバッハについて色々話すから、そこから珈琲につながる何か理屈が出るのかな、と思って黙って聞いていると、結局、結論には至らない、でも、その話している森光さん自身がそのまま珈琲そのものなんだ、西脇順三郎の詩に「覆された宝石のような朝」という表現があるけれど、まさに森光さんは西脇の表現そのまま、宝石の内側から対象に向かっていく人だったし、同じ珈琲にたずさわる身としてそんな森光さんが愛おしい、といったお話でした。

ああいいな、これが知己というものだな、と思いますし、また、仕事が仕事をしています、だな、とも思ったのです。珈琲が珈琲屋をしているのだから、そこに余計な自分、といったものは存在しない。秦秀雄によって与えられた「美」という名付けにより、「珈琲にとって美とは何か」を自らの命題とした際、きっと森光さんにとっての答えは、自らを珈琲で満たし、珈琲以外の自分を追い出すことだったのではないだろうか、と。

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撮影=高木崇雄

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