撮影|高木崇雄
このごろ、失われる、ということに接する機会が多く、いささか寂しさを覚えていました。

ひとつは、10月末。首里城焼失の報を聞き、茫然としました。2018年2月に「青花の会」の皆で豊永盛人くん(第2回参照)を訪ね、彼の案内で、彼が学生時代に修復再現のアルバイトをしたという首里城の石獅子を見たり、玉陵や中城城(なかぐすくじょう)、中城城に隣接し「裏ダンジョン」として残る廃墟・中城高原ホテル(これも今年、ついに解体が始まったようですが)、そして島内各地の石獅子など巡ったことを思い返します。

僕自身は、洋の東西を問わず城というものにあまり興味は無く、まして日本百名城、のような小学生男子的番付となれば、はっきり嫌いです。ただ、沖縄の城・グスクだけはどうも別で、出張の折、レンタカーを走らせていて「座喜味城」「具志川城」「今帰仁城」といった看板を見つけると、なんとなく立ち寄ってしまいます。それは石積みの繊細さ、丸みと鋭さを兼ね備えた端の処理などが、他の土地には無い柔らかさをもっているゆえです。巨石は用いられず、あまり大きくも硬くもない琉球石灰岩が、柔らかな曲線と直線の組み合わせに加工され、お互いぴったりと接し、積み重ねられて生まれる姿。土地の訛りとして立ち現れる固有のライン、これこそ工芸だな、と思うのです。現状がどうなっているのか、定かには聞き及びませんが、首里城内の苅銘御嶽といった、生きた信仰の場が旧に復し、再びその用を果たすことができればと、ただただ祈るばかりです。

もうひとつ。11月26日、ひさしぶりに千駄ヶ谷の国立能楽堂で能を観ました。浅見真州の『浮舟』。まずは前座的に用意された、若手主体の『融』を見ましたが、なんといいますか、蜀漢末期、といった様相漂う舞台に、寂寥感を抱きました。この数年、そして特に今年は、名手の早すぎる訃報を聞くことが多く、この先どうなっていくんだろうな、と思っていました。そして今回、少なくとも『融』のワキに関しては、あまりにも「私」が残りすぎており、他の演者とリズムが共有できていない、と言わざるを得なかった。能は決してシテ一人の大きな声で作り上げられるものではなく、シテ・ワキ・アイ・囃子・地謡といったそれぞれが、他者の声を聞きながら、その微細な震えに合わせ、そっと自分の声・音を重ねるという、多声的・ポリフォニックなもの、として存在するはずです。俺が俺が、では響きは共鳴せず、〈能の工芸性〉はあらわれないよね、と思わせる『融』でした。

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撮影|高木崇雄

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