数年前、「アジア美術におけるローカルカラーとモダニズム」を主題とする研究会のお誘いで、上海、そして杭州を訪ねたことがあります。上海ではちょうど開催中のビエンナーレ会場と周辺会場での若手展覧会を主に、出品している若手作家数名と会って話し、杭州では西湖のほとりにある中国美術学院を訪ね、教授を務めるビデオアーティストのスタジオで彼の作品を見ながら皆で討論、といった日々を過ごしました。学院では美術学校特有の、熱がありつつ雑然とした空気のなかで制作と学内展示会の準備に学生たちはあけくれていて、作品自体は洋の東西を問わず先行作品の影響が強すぎるぐらいに強いけれど、彼らの口ぶりからすると、むしろ意識的にキャッチアップすることを奨励されているようでもあり、いずれこういう場から次の世代を代表するようなアーティストが数多輩出されるのだろうし、それを制度として行なっている組織の強さを感じます。

とはいえ、この訪問中に出会ったもののうち、なによりも印象に残っているのは、人民公園で親同士で見合い相手を探す人々と、プロパガンダポスターです。前者は日曜ごとに行われているようで、すでに成人しているであろう自分のこどもの経歴を紙に纏め、ずらっとならべて互いに情報交換をするおとうさん、おかあさんたちで公園がごったがえしています。もうすぐ留学から帰ってきます、帰ってきたらすぐ結婚可能! みたいに書かれた、海外に住むこども情報を集めたコーナーがあったり、絶対これ本人じゃないだろうというファッション雑誌からモデルの写真を切り抜いて適当に貼った経歴書を並べていたり、見ながら歩いていると、君ら日本から来たんだ、うちの子は英語も達者だし頭いいから日本語もすぐ覚えるさ、どうだい? もらわない? などと小津映画に出てくる佐分利信のようなおせっかいなおじさんが話しかけてきたり、どこをとっても面白い。当のこどもの気持ちはいざ知らず、そうやってこどもの幸せを探すのが親心なのかもしれませんが。

後者は、「Shanghai Propaganda Poster Art Center 上海宣伝画芸術中心」で見たもので、ここは1940年代から1990年代まで、幅広く共産党がプロパガンダに用いたポスター6000点余りをマンションの地下に展示しているという個人ミュージアムです。オーナー本人も文革の際には親も自分も大変だった、と話すわりにはあっけらかんとしていて、誰も集めてる人がいなかったので集め出したら面白くなってきて、止まらなくて、昔は怒られることもあったけど、今は政府公認になった、と笑いながら話してくれます。また、古いポスターを蒐集してはデジタルカメラで複写し、オリジナルと一緒に並べて売店で販売していたりもします。そんなポスターをたくさん見るにつれ、これは民画だなと思います。いわば、攻撃的な大津絵です。一見ユーモアと静かさをたたえる大津絵に欲望が込められてないかといえば、そうではないでしょう。仏教的なイデオロギーや道徳といった制度の欲望、そして描く人の持つ日々の暮らしをなんとか立てたいという欲望、さらには買う側の、ありがたくて安くて飾れるもの、あるいはお土産にちょうどいいものが欲しい、などといった欲望、皆の欲望の中にこそ大津絵は成立しています。表現よりも欲望を優先する、それが大津絵の工藝性を担保しているのでしょうが、同じようにこれらのプロパガンダポスターもまた、政府の押し付け、だけで成立するものでもないのだと思います。そこには必ず、大衆からの欲望が反映されているのです。

なかでも僕が最も気に入ったのは、「猪多肥多粮产高」と記されたポスターで、豚がたくさん増えるように穀物を増産しよう! といった趣旨(たぶん)の標語が記されたものです。漢時代に副葬品としてお墓に一緒に入れられた明器にも、生まれたばかりの子豚が母豚から乳を飲む姿をかたどった陶俑がよく見られるように、多産の象徴である豚は長きにわたってこの地で愛好された動物であり、世俗的な欲望をもっとも反映した存在です。傍で子豚を取り上げる女の子の姿もまた、中国における美人画の系譜も引くという、まさに文句なしの人民の欲望と共産党政府の意向によって出来上がった様式的絵画、ではあるのですが、よくよく考えてみる必要があります。このポスターが描かれたのは1959年、つまり毛沢東主導の「大躍進」の最中ですが、この時期はその後、劉少奇によって「三分天災、七分人禍」と総括された時代でもあります。数千万と言われる餓死者を出したその最中に、何千年と受け継がれる「伝統的な美意識」を反映した、ほのぼのと見えるポスターが成立するという地獄。つまり、工藝も美術同様に容易にイデオロギーを託されうるし、反動的なイデオロギーを託されうるが故にこそ、ピュアな表現に見えうることもある、ということを忘れてはならない。そんなことを考えていると、杭州駅で僕らを迎えてくれたアシスタントと車で長い鉄橋を渡っている際に、ずいぶん立派な橋だね、と軽く話しかけたところ、この橋は古いけど前の政府(国民党政府)が作った橋だからまあ丈夫、と淡々と応えたことを思い出します。彼の言葉には皮肉を言っている感じはまったくなく、政府と自分との距離があるのは当然、といった語り口でした。晴れようが雨だろうが天は天、移りかわることもあるからこそ、天に任せず、天に阿らない。誰かに欲望を仮託することのない「民」がここに一人いる、この時、僕はそう感じたのです。


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