撮影|高木崇雄(2点とも)
10月の終わりに、北海道のぐっと東、オホーツク総合振興局管内、網走・北見の西に位置する木工の町・置戸町を訪ねてきました。訪問の理由は、かつて多くの子供が憧れた、学研『科学と学習』の付録教材を提案したことでも知られる工業デザイナー・秋岡芳夫氏が集めた手仕事道具のコレクションがこの町に寄贈されているので、それを見るために、そして、氏の提言ではじまった、置戸町における木工の仕事「オケクラフト」の現在を確認したかったから。今年は秋岡氏の生誕100周年ということもあって、コレクションの収蔵庫としての役割も果たしている置戸町の山村文化資源保存伝習施設、通称「どま工房」ではちょうど展示企画が行われており、氏のことばを記したパネルと、ちびた鑿や鋸といった道具たちが実際に手に取れる状態で数多くならべられていました。

そのなかでひときわ目を引いたのが、「おにぎりと竹とんぼは買わずにつくれ」というパネルと、秋岡氏が作った竹とんぼ。以前から氏が竹とんぼを数多く自作していたことは知っていましたし、写真でもみたことはありましたが、実際手に取ってみるのははじめてです。推進のための回転惰力が強くなるように翼の端に鉛を埋め込み、しかも重くなりすぎないように翼は薄く、軸はまっすぐに作られた竹とんぼはさすが工業デザイナーの目と手で作られた、細部まで丁寧な仕上げ。そして氏は竹とんぼについて、買わないし、売らないことを公言していたとのこと。

買わない、売らないものをつくるとはつまり、市場で交換できないものを生み出すことに他ならない。なぜそのような、言葉通り「無益」なことをするか。それは、本年逝去した人類学者、デヴィッド・グレーバーの言葉を借りるならば、「日常生活の金融化」を拒否するため、といっても良いかもしれません。グレーバーは『負債論─貨幣と暴力の5000年』において、

〈じぶん自身を解放するためにわたしたちが最初になすべきこと、それは、ふたたびみずからを歴史的な行為者、世界の出来事の流れに変化をもたらすことのできる民衆と見なすことである。歴史の軍事化が剥奪しようとしているのは、まさにこれなのだから〉

と述べ、過去5世紀をかけて進展した経済秩序に対してはっきりと否ということ、決して世界に対して自分が債務を負っていると考えるべきではなく、世界こそが自分から生を借りているという事実を再度認識しなければならない、と主張しています。

なるほど、このような世界認識に基づいて周りを見渡せば、僕らは、なんでも手に入る超高度化消費社会に住んでいるわけではないことにすぐ気がつくはずです。この世にお金で買えないものなんて、そんなものあるの? と冷笑されるのが昨今の習いではありますが、冷静に考えると、お金で手に入るものは年々より少なく、より貧しくなっている。しかも、この貧しさは個人の貧しさというよりも、お金が自己増殖を目指す構造自体がもたらす世界の不安定化に基づいている。


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