撮影|高木崇雄(下も)
かつて1966年から90年代の終わりまで、福岡に「NIC」という店がありました。地元鉄道会社の西鉄と、同じく地元百貨店である岩田屋、両者の出資によって作られた(社名はNishitetsu-Iwataya-Companyの略)、日本でも最初期の「インテリアデザイン」をうたった店です。「すまいを創るニック」をスローガンに、店頭では箸一膳から家屋一式に至るまで顧客の要望に幅広く応えつつ、社内デザイン室に当時帰国したばかりの若き葉祥栄を迎え入れ、浦辺鎮太郎の設計による⻄鉄グランドホテルを手始めに、白井晟一による佐世保・親和銀行本店、磯崎新による福岡相互銀行本店、黑川紀章による福岡銀行本店といった数々の建築において内装を担当。地方都市の一店舗でありながら、1971年には「清潔なデザインポリシーに裏づけられた企業活動」によって日本インテリアデザイナー協会賞を受賞。翌年に銀座松屋において「デザインフィールドにおける一つの企業―― NIC展」が開催される、という特異な存在感を示した店舗であり、空間でした。ロイヤル創業者・江頭匡一が直々に運営していた店内カフェの記憶とともに、閉店して20年ほどとなる今でも、福岡を知る、あるいは九州におけるデザイン史と関わった人にとっては忘れがたい場所です。

このごろ、このNICが入っていた福岡ビルが大規模開発のため今年の3月に閉館することとなったのをきっかけとして、元社員の方々にお目にかかり、話をうかがう仕事をしています。そして多くの関係者から話を聞くにつれ、地方におけるデザイン史というのは、工芸が地場産業へと地続きで再編されてゆく歴史でもあることにあらためて気付かされます。たとえば福岡の中心市街を南北に貫く、やはりNICが担当した天神地下街。1976年開業という古い地下街でありながら、古さをいまだに感じさせないのは、壁面から天井を覆う唐草模様の壁面装飾の品位ゆえかと思います。そしてこの鋳造を行なったのは「エフキャスト」という鋳造会社です。なぜ福岡に鋳造会社があるか。それは芦屋釜に代表される筑前鋳物の流れが脈々と存在するから、です。NICは1974年以降、顧問でありKDC(九州デザインコミッティ)代表でもあった柏崎栄助の発案でPAK(Products Association in Kyushu・全九州産業工芸連合)展をはじめますが、それは九州全体の工芸・地場産業を再編する大きな運動となりました。地域の鋳造所がPAK、そしてデザインという概念によって新たな役割を与えられ、その活動の場を広げてゆく。いきなり変化が起こるのではなく、そこには前史があり、意志を伴う接続がある。NICがもっとも大きく変えたのは、地域の歴史そのものだったのでしょう。

それゆえでしょうか、NICについて皆が一様に、青年のように熱く語ってくれるのは、「インテリア」「デザイン」という言葉の意味すら知らぬ人が多かった時代に、いかにNICが当時の商慣行、流通、暮らしを変えていったかについてです。曰く、当時百貨店の常識であった問屋を介した委託販売を行わなかった。骨董品も扱わない。絵画や陶芸の展覧会を行うにせよ、百貨店の美術画廊ではやらない、できないような人を取り上げる。店頭に立つすべての店員が名刺に「コンサルタント」と記し、提案を行う。少し早く、まだはじまっていないことを行い、見てもらう。わたしたちにとってデザインとは個々の商品ではなく、志だった、と。

そんな話をうかがっていると、自分が店を営むうえでもっとも影響を受けたのは、他ならぬNICだったのではないだろうか、子どもながらにNICにあこがれ、しばしば通っていたことが、小さいながら僕が今やっていることの源流となっているのかも、などと思ったりします。ただ、今の自分は「デザイン」という言葉をもはやいくつかの留保なしには使えません。現在、デザインという名を冠した多くが単なる意匠であり、流行にすぎないがゆえに。そう、デザイナーズマンション、などという言葉のいったいどこに「清潔なポリシー」があるでしょう。そして今、どのような言葉に「志」が残っているかについてつらつら考えます。熊倉功夫の言葉によれば、1920年代において、社会を改革する意志を託された語は「民」でした。柳田國男の民俗学、柳宗悦の民藝、渋沢敬三の民具、これらすべてが過去を分析することで未来を見ようとする、生み出そうとする、まさに「モダン」な試みであった。けれどもその意志は「民衆」が「大衆」にうつりゆく中でいつか失われた、と。そして1960年代以降においては、この意志を「デザイン」が担っていたように僕には思えます。前の回で記した剣持勇がそうであったように、当時の工業デザイナーにとって重要なのは、過去と未来をつなぐことでした。では「デザイン」が飽和し、今をやりすごすことに終始し、終焉を迎えつつあるこの時代の先において、「工芸」はその意志を担うことができるのでしょうか。かつて「デザイン的思考」というものがあったように、「工芸的思考」は存在しえるのでしょうか。僕としては、〈のこりもの〉としての工芸に多大な期待をかけても仕方がない、すでに工芸もジャーゴン化の波に足を掬われつつあるのだから、と思いつつも、〈歴史を分析する装置〉としての工芸にはいささかの期待と自負を抱くがゆえに、いまだ葛藤のなか、結論が出せていません。




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