自分でも不思議なのですが、どうも養豚場が気になります。通学で使っていた西鉄電車の窓から見えていた、西鉄とJRの線路が高架で交わるすぐそばにあった、そして今はマンションになってしまった、小さな豚舎。京都市左京区に住んでいた頃、下宿からそう遠くもないところにあった、豚の姿は見えないんだけれど、気候と風向きとよっては、なかなかに強烈な匂いが届く、そしてやはり今はない、養豚場。金井美恵子の作品に、『豚』というそのままなタイトルの短編があり、「ハムをハムたい」と書いていたのが忘れられないせいなのでしょうか。

そんなわけで、書店で『豚とおっちゃん』という写真集(山地としてる著/FOIL刊/2010年)を目にした際には、当然のように買い求め、今でも時折眺めています。1200頭の豚と、彼らを養う酒好きの「おっちゃん」と、奥さんと、ペットの犬・猿・鶏。写っているのは基本それだけ。幸せそうな姿が写っていますが、別に、おっちゃんの養豚のあり方が理想的、とか、豚への愛情が豊か、といった物語としての「優しさ」には、僕はあまり興味がありません。そもそもおっちゃんが集めた大量の豚グッズが写された一葉には、むしろ「業」をさえ感じます。もちろん、写真として構図がいいとか技術がすぐれている、といった評価基準で語るべき作品でもない。ただ、ひたすらにおっちゃんと豚の不即不離な生活が写されているだけなのですが、それだけのことが、なんとなくいい。香川という場所で、ただの人が、ただ働いていて、こういう人が生きていたことが、痕跡として残ったことって、悪くないな、と。

そしてまた、この写真集と同じような印象を与える本に、『ガタロ』という画集があります(絵・ガタロ/文・中間英敏/NHK出版刊/2014年)。かつて深作欣二の『仁義なき戦い 広島死闘編』において「原爆スラム」と表記され、登場した地域はその後再開発され、広島市営基町高層アパートとなっていますが、この場所で今も清掃員として働きつつ、仕事に欠かせない掃除道具を描き続けている「ガタロ」氏の作品集です。「ガタロ」という自称は、河童の別名、ひいては鉄屑拾いなどで生計を立てる人への呼称に由来し、この蔑称を逆手に取った、氏なりの自負がある呼び名のようです。

画集には、氏が描いた雑巾やモップ、知り合ったホームレスの友人といった絵がたんたんと載せられており、後半には、氏を特集番組として取り上げたNHKプロデューサーによる、解説を兼ねた文章がおさめられている。そのなかには偶然か、豚の姿も描かれていたりもします。とはいっても、ガタロさんが描く絵は稚拙だけれど「魂」がこもっている、とか、底辺から社会を観察する目の素晴らしさ、といった、わかりやすい物語への回収になってしまうと、何かがずれてしまう気がする。そもそも、描かれている雑巾は、道具としても、そして絵画としても特に美しくはありません。坂田さんの選ぶ雑巾について、以前書いたことがありましたが(13回)、美しい美しくない、という話をするならば、坂田さんの選ぶ雑巾の方が当然美しい。

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