81 片桐石州作尺八竹花入(森川如春庵旧蔵)・完





益田鈍翁とも親交のあった名古屋の茶人森川如春庵旧蔵の竹花入です。作者は江戸初期の茶人片桐石州、石州流茶道の祖であり、徳川家綱の茶道師範であったそうです。森川如春庵はこの竹花入を、高橋箒庵、田中親美らに「寸松庵色紙」を披露する際の濃茶席に用いたと伝えています。益田鈍翁箱書。

花は無くとも、伝来(物語)が花を見せてくれる気がします。最終回に相応しい、(私には過ぎた)花器を載せることが出来て幸運でした。


村山さんのこと その4


新潟を離れ、東京のデザイン会社に職を得てからは、村山さんを訪ねる機会もめっきりと減ってしまいましたが、夏冬の帰省の際には立ち寄っていました。冬は雪が多ければ行かない(行けない)年もあったのですが、久しぶりの訪問でも、村山さんはいつも歓迎してくれました。お婆さんが淹れてくれたお茶を飲み、菓子器に盛られた菓子をつまみながら、店のあちこちを物色し、気に入った(気になった)ものをテーブルに取り置き、顔馴染みとなったお客さんがやってくれば短い挨拶を交わし、数千円から数万円の買い物をして帰ってきました。

デザイナーとして収入が安定し始めると、私の蒐集品は仏教美術や考古、古画が中心となっていましたが、帰省すれば村山さんを訪ねていました。お爺さんお婆さんと骨董のことや、東京での仕事のことなど、ぽつりぽつりと話します。村山さんは相変わらず「ほう、ほう」と相槌を打ちながら話を聞いてくれ、お婆さんは笑顔で何度もお茶を淹れてくれます。山の様に積まれていたそば猪口やくらわんかの皿はいつのまにか棚から姿を消し、雑然と置かれていた広間の品にも空きが目立つ様になっていました。頻繁に出入りしていたお客さんに会うこともなく、私ももう店の中を〝うれしい発見″を求めて探し回ることもなくなり、手ぶらで帰ってくる事が多くなっていました。村山さんを最初に訪ねてから二十余年が経っていました。

やがて私は骨董屋になり、新潟県内の様々な店に出入りする様になりましたが、村山さんへは、時間があれば少し顔を出す程度になっていました。ある日、仕入れに訪ねた店で「村山さんと知り合いだろう」と訊かれました。「そうだ」と応えると、「入院した」と言うのです。驚いて「どうして」と聞き返すと、詳しいことは知らないが、「もう、歳だろう」と……。

見舞いに行くと決め、村山さんに見せようと手元にあった根来や仏画を風呂敷に包み、久しぶりに柏崎へと向かいました。入院先の病院は知りませんでしたが、退院している可能性もあり、病院も近所の人に尋ねれば分かるだろうと出かけて行きました。

柏崎に着いたのは夕方で、前の様に大通りに車を停めて小路を歩いて行くと、店に明かりが灯り、何やら騒々しく感じます。「こんばんは」とガラス戸を開けて中へ入ると、多くの人が一斉にこちらを振り向きました。私が驚いて立ちすくんでいると、奥からお婆さんが顔を出しました。「あらあら、何で分かったかね」と訊きます。呆気にとられている私に、「じいちゃんが呼んだんだわ」と誰かがぽつりと言いました。風呂敷包みを下げたまま、私はその場に佇むしかありませんでした。

村山さんが亡くなってしばらく経った頃、お婆さんから電話がありました。店はお婆さんが開けていましたが、閉めることにしたので、一度来て欲しいとのことです。約束の日に訪ねると、お爺さんの形見分けに、店にあるものを何でも良いから持って行ってくれないかと言うのです。私は迷うことなくテーブルにあった菓子器[下]を取り、「これを」と差し出すと、呆れ顔で、そんなものでなくもっと何か持って行ってくれないかと促すのですが、「これが欲しいから」と応え、笑顔を交わして店をあとにしました。それが、お婆さんと会った最後になりました。

柏崎の方へ出かけた折には、ついでにと村山さんへ行くのですが、いつも入口は閉まっており、呼んでも返事はありません。訪ねることもなくなった頃、お婆さんが亡くなったと人伝てに聞きました。

昭和、平成、令和と年号が変わり、私が村山さんを最初に訪ねてからもう50年の歳月が経ちました。今も私にとってイチバンの骨董屋は村山さんです。




3年間に亘り書き綴ってきました「花と器と」は今回が最終です。連載は(肝臓に転移のある)膵臓癌の治療中に始まりました。私の場合、抗癌剤の投与で頭髪と体毛は全て抜け、身体にもむくみは出ましたが、食欲は落ちず好きなものが食べられ、体力を維持することができました。抗癌剤も効果があり、癌の影はCTでも見落とすほどに小さくなりましたが、主治医によるとそれでも寛解(治った)とは呼べないのだそうで、今も2ヶ月に1度、病院へ通っています。抗癌剤の治療はなく、検査のための通院です。「(ここまで治った)理由が判らない」と主治医に言われたことがあります。この連載を病院の待ち時間に書き綴ったこともあります。連載を続けることや季節の花を眺めながら過ごす時間、花器を探す日々も、回復に大きな力となってくれたのだろうと私自身は思っています。

偶然ですが、3年前の旧盆に連絡が始まり、旧盆に終章となりました。連載は終わりますが、屋上の野花は酷暑の中でも保護猫たちの寝床にされながら、今日も元気にしています。長い連載にお付き合いいただき、ありがとうごさいました。





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*この連載は、高木孝さん監修、青花の会が運営する骨董通販サイト「seikanet」の関連企画です
https://store.kogei-seika.jp/

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