20200128

2月14-16日は「青花の会|工芸祭2020」です(BOOTLEG gallery@神楽坂。14日は青花会員と御同伴者のみ)。監修の松本武明さん(うつわノート)と山内彩子さん(Gallery SU)がえらんだ12のギャラリーが、各自設定の主題にもとづき現代工芸を展示販売します。
https://www.kogei-seika.jp/seikafes/kogei2020.html

出展者を紹介しています。文章は推薦者(松本さん)、写真は出展者よりお借りしています。

■水犀
東京都台東区三筋1-6-2小林ビル3F
https://mizusai.jp/

主題|trigger
出品|川井ミカコ(1952年生れ/陶・ドローイング/奈良) 金憲鎬(1958年生れ/陶/愛知) 佐古馨(1958年生れ/木・鉄/奈良) 澤田麟太郎(1981年生れ/陶/岩手) 塩谷良太(1978年生れ/陶/茨城) 西別府久幸(1986年生れ/花/東京) 日置哲也(1976年生れ/陶/岐阜) 藤岡貢(1977年生れ/陶/滋賀) 藤信知子(1988年生れ/陶/大阪) 藤本玲奈(1983年生れ/ドローイング・陶/三重)

生意気なことを言いますが、新しいギャラリーが出来ると、およそそこがどういう系譜上にあるか、企画内容、展示品、取り扱い作家、空間デザインなどから読み取ることができるのですが、2019年にオープンした蔵前の「水犀」は、それが摑めず、忽然と現れた印象がありました。生活工芸的な流れとは明らかに距離があり、美術工芸、伝統工芸の保守的立ち位置でもない。強い個性、強い表現の作家を主に紹介しながら、洗練された空間と写真(ウェブサイト等)で時代にフィードバックする。この不思議感はどこから来ているのだろうという個人的興味がまずありました。

主宰は進藤尚子さん(1963年生れ)と光本貞子さん(1965年生れ)。二人とも以前は広告業界で写真や制作の仕事をしており、バブル絶頂期から崩壊後まで、時代の浮き沈みをマスメディア側の立場で経験してきました。そうした経歴からすれば、本来ならマスメディア的マーケティングに基づき、いまどきの工芸市場に参入してもおかしくないのに、なにゆえニッチな「ここ」に挑むのか? いや、もしかしたらいずれ「ここ」が生活工芸や伝統工芸を上回る潮流になるという読み、彼女たちの慧眼なのか。従来とは違う、工芸ギャラリーの新しい在り方が示されるはずです。

展示テーマの「trigger」について。工芸は実用品なので、機能や価格といった形而下的要因で評価される一方、時に得も言われぬ感情を生起させることがあります。水犀の掲げるテーマ「トリガー(引き金)」は、そうした形而上的、情緒的側面を問うもの。日頃紹介している個性の強い作品群も、形而下的な機能では捉え切れない感情、理念を追求する作り手たちによるものでしょう。そこには既成の枠組、好みを超えて人を惹きつける情動があり、社会の論理とは無縁の力強さに心打たれます。(松本)







20200127

「生活工芸の作家たち3:もよう」展、今週金曜(31日)からです(神楽坂一水寮。2月9日まで。31日は青花会員と御同伴者1名のみ)。サイトに作家3人(安藤雅信、辻和美、三谷龍二)の文様についての文を掲載しています。
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20200101.html

以下は辻さんの文。生活工芸派のなかでも辻和美作品はことに理性的(近代芸術的)で(メタ的というべきでしょうか)、毎年、考えるヒントをもらいます。

目に見えることと見えないこと/辻和美

大阪に行くと、時々立ち寄る場所に東洋陶磁美術館がある。特に韓国李朝時代が好きで、展示ケースのガラス越しにだが、見る、いや眺め回している。その中で時々、空間を一気に変えてしまうような力を持った白い無地の壺に出会うことがある。それは形の勝利とでも言おうか、制作者の心意気がそこに宿るというか、グッと心を摑まれその場から離れられなくなる一方、見る者を寄せつけない、圧倒する力を感じることがある。もちろんそこに儒教という宗教的理念の教えが見え隠れするのは否めない。華美を嫌った儒者たちは模様を器に施すことをことごとく禁じ、祭器と日常器に違いをつけることをも嫌ったという。

対して生活工芸に見る無地はその真逆で、生活者に寄り添う、邪魔にならない無地だ。音楽で言えば環境音楽のようで、衣類で言えば、白いシャツやグレーのセーターという感じであろうか。私たちが生きる今という時代は、優れた宗教家や政治家や教育者が、強いリーダーシップを持って引っ張って行ってくれない時代だ。制作者でもあり生活者でもある自分自身が、個人的経験値、つまり等身大のモノを作っていく時代だと思う。

私は生活工芸の無地には、あまり惹かれなかったタイプの方だ。ガラスで言えば透明作品が全盛の中、まるでガラスに服を着せるように柄や模様を作っていった。理由のひとつは、透明な無地を作るには私はあまりに、未熟な職人であったからだ。私にとっての無地は李朝の白磁壺なわけで、そこに至らないうちは別の表現でも良いと思った。また、私は生活工芸の特徴を無地とか色とか、素材などという、目で見えるところだけで判断することに賛同していない。むしろ、生活工芸は人々の日々の暮らしに溶け込み、人の記憶や感覚の中に入り込み、より人間らしい人間形成に関わっていくという(もちろん個人的信念だが)目に見えないことを信じてみようかと思っている。柄や模様を生活の中に取り入れていくことも重要な意味がある。器を家族4人で、模様を違えたり、自分の好きな模様を決める、選ぶなどという力、そんな日常のたわいないことが積み重なって人格が出来上がっていくのだから。









20200126

2月14-16日は「青花の会|工芸祭2020|『生活工芸』以後の工芸」です(BOOTLEG GALLERY@神楽坂。14日は青花会員と御同伴者のみ)。監修者の松本武明さん(うつわノート)と山内彩子さん(Gallery SU)がえらんだ12の現代工芸ギャラリーが、各自設定の主題にもとづき展示販売します。
https://www.kogei-seika.jp/seikafes/kogei2020.html

出展者を紹介しています。文章は推薦者(松本さん)によるもの、写真は出展者よりお借りしています。

■翫粋
京都市上京区堀川寺之内上ル下天神町653–1F
https://www.facebook.com/tou.gansui/

主題|十碗十盃
出品|谷本貴(1978年生れ/陶/三重) *室礼=川合優(1979年生れ/木工/岐阜)

「茶碗」は保守王道の茶陶の代表である訳で、至上のものとして崇められる一方、権威の象徴として忌避されることもあります。翫粋(がんすい)は京都の茶道会館近くに2015年オープン、浄土宗の僧侶である一法(はしのり)真人さん(1959年生れ)による、茶碗をメインに扱うギャラリーです。一作家の茶碗10碗のみを展示するという基本コンセプトを軸に、茶碗に拘り続けています。

一法さんは、関西では知る人ぞ知る茶碗の目利き。これまで古今を問わず1000碗以上購入し、毎日お茶を嗜んでいます。茶碗を見続け、遊びつくした人だからこその説法と提案で、多くの陶芸家を翻弄してきました。写真家でもあり、コム・デ・ギャルソンを着こなす僧侶が、この時代に「茶碗」の価値を問うギャラリーなのです。

茶碗は保守的ではなく、もっともアヴァンギャルドである、とは一法さんの言葉。300年後も残り得る存在感があるかどうかが基準、とのこと。「生活工芸? 豆皿に一体何を語らせんねん」。時代がぐるりとひと回りして、あらためて、「茶碗」は思想か、これを考えてみたいのです。

展示テーマは「十碗十盃」。頑なに茶碗。この期に及んで皿鉢湯呑、マグカップなどが総花的に並んだ日には、翫粋ではない訳で。日頃からひとりの作家の茶碗(十碗)とぐい呑(十盃)を展示している方針通り、今回もひとりの作家の作品のみ。作家が送ってくるものだけでは数合わせにしかならないと、展示する茶碗は何度も窯場に足を運び、いつも自ら選んでいます。今回も、「デパート展なら3回分」の窯焚きされた作の中から10碗のみに凝縮し、展示します。作家の谷本貴さんは、一法さんが今一番の茶碗づくりと豪語する、伊賀の作り手。一法さんの茶碗の話が聞けることも、今回の楽しみです。(松本)







20200125

美術史家の金沢百枝さんが連載している日経新聞夕刊の随筆欄で、青花について書いてくれました(1月25日付)。〈同志〉による、ありがたい文でした。ウェブでも(無料でも)読めるようです。

〈『工芸青花』のような本も、青花の会のようなこころみも、つねに「終り」とむきあっている。/だからこそ、と私は思う。本や工芸のようなものは、私たちよりもながくのこる。なにをのこすかは、私たちにかかっている〉
https://r.nikkei.com/article/DGKKZO54509040X10C20A1KNTP00?s=5

写真は金沢さんと取材したスイスの女子修道院(の塀のうえの猫)。ミュスタイアのザンクト・ヨハン修道院で、今月末刊の『工芸青花』13号で特集します。







20200125

1月31日(金)から「生活工芸の作家たち3:もよう」展です(神楽坂一水寮。2月9日まで。初日31日は青花会員と御同伴者1名のみ)。作家3人(安藤雅信、辻和美、三谷龍二)から作品がとどきました。「文様」との距離が三様で、みあきません。
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20200101.html

目を楽しませ、心を喜ばすもの/三谷龍二

僕らが子供の頃は、青いプラスチック製バケツの側面には、必ずといっていいくらい花柄の絵がついていた。バケツをデザインした人はきっと「辛い水仕事のなか、一瞬でも花束に囲まれたような気持ちになってもらいたい」と思ったのかもしれない。絵にはイメージを喚起する力がある。花柄の服や壁紙もそうだと思うが、辛い日常の「ここ」を忘れ、「ここではないどこか」へと連れていってくれる力があるのだと思う。

あの頃はバケツばかりではなく、至る所に絵柄がついていた。炊飯器や魔法瓶(保温ポット)、ご飯茶碗や皿にも。それでなくても物が多いなか、花柄も主張が強いものだから、とても煩く感じたものだった。「魔法瓶になんで花柄がついてる?」「これがなければどんなに気持ちがいいだろう」。僕は「絵柄付き」のものに、ほとんど腹を立てていた。

バブル期の頃は、さすがに花柄ポットはなくなっていた。でもそれに変わって、ゴージャスなブランド品が全盛だった。日本中が我を忘れ、バブル景気に酔っていたけれど、僕にはなんだか「狐にばかされて、木の葉をお金と錯覚している人々」のように見えた。

器も着物も調度品も、工芸は模様のあるものが主流で、作る人もそれを当たり前だと思ってきたように思う。きっと模様は人々の目を楽しませ、心に喜びを与えるからだろう。しかし環境によって物のあり方も変わる。ものが溢れ、装飾過多の時代になると、今度はものを机の上から一掃したい、と誰もが思うはずだ。

僕たちは明日への期待や、「ここではないどこか」といった、ありもしない幻想を追いかけることに飽き飽きしていた。そんな頃、「足下を掘れ、そこに泉あり」(ニーチェの言葉らしい)という言葉が、とても心に響いた。膨れ上がった幻想ではなく、等身大の自分を。そして足下の「いま、ここ」(生活)を掘り、耕すことを始めよう、と僕たちはそれぞれの場所で思ったのだろう。恐らく、それが生活工芸の時代だったのではないだろうか。

模様という「図」が器に描かれると、たちまち模様が前景化し、器胎は単なる「地」へと後退してしまう。模様が邪魔し、素地の豊かなテクスチャーの魅力を味わうことができなくなるのだ。「無文」にするのは、繊細で控えめな「地」と静かに向き合いたい、と思うからだった。

寒冷地に住んでいると、冬は長く、その分春がくるのがとても待ち遠しいものだ。そして春を告げる花は梅花だ。冬枯れた風景にほとほと飽きていた僕たちに、その可憐な白い花が、どんなにかこころに喜びを与え、目を楽しませてくれることか。「目を楽しませ、心を喜ばす」うつわの意味を知ったのは、そうした時だった。冬枯れの風景に咲く梅の花のようなもの。それは人が生きるために、なくてはならないものだと思う。

無地と模様、それぞれに魅力のある世界である。食卓の上でそれらを取り合わせる、その塩梅加減、バランスが要ということか。









20200124

2月14‐16日は「青花の会|工芸祭2020|「生活工芸」以後の工芸」です(BOOTLEG GALLERY@神楽坂。14日は青花会員と御同伴者のみ)。サイトに出展者(ギャラリー)紹介を追加しました(文章は監修者の松本武明さん、山内彩子さんによるものです)。
https://www.kogei-seika.jp/seikafes/kogei2020.html

これから出展者を紹介してゆきますが、最初なのですこし。以下は私のリードです。〈「これからの工芸」を考えることは、人間という「不易」と、この時代/社会という「流行」の両方を考えることになると思います。今回の工芸祭で、私が出展者のみなさんに期待しているのは、現代のすぐれた工芸家がつくりだすものに予兆的にあらわれているはずの「いま/これから」性を、作家自身よりも明敏に観取し、概念化し、解説してもらえたら、ということなのです〉

以下は現代美術家の村上隆さんの言葉です。〈 そうした流れ(注・バブル崩壊後の現代美術)とは一線を画し、大衆の金銭で支えられた生活工芸というジャンルに、美の実態が移り、時代のリアルな表現たりえていることから、これは芸術の新概念として考察に値する、と思いました。日本人がそこにちゃんと投資、というか作品を購入し、業界が盛上がっていたという事実もありました〉(「村上隆と古道具坂田」『工芸青花』12号)
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-seika012.html

村上さんの言及は10年ほどまえの状況についてですが、ここでいわれる〈時代のリアルな表現〉を一望したい、ということが、この「工芸祭」をはじめる最大の動機です。その〈リアル〉はおそらく既存の団体展や公募展にはすでになく(なぜならそれらは「桃居」の広瀬一郎さんの言葉を借りれば「流派/内輪的様式の反復の場」なので)、小売(すなわち村上さんのいう「金銭を介した美の取引」)の現場である工芸店やギャラリーにあるはず、という認識が、今回、工芸店や工芸ギャラリーに出展を依頼した理由です。

出展者の紹介は50音順+ABC順です。写真はそれぞれよりお借りしたものです。

■ギャラリーうつわノート
埼玉県川越市小仙波町1-7-6
http://utsuwa-note.com/

主題|飾りの行方
出品|黒木紗世(1989年生れ/漆/石川) 澤谷由子(1989年生れ/陶/石川) 新宮さやか(1979年生れ/陶/京都) 松田苑子(1986年生れ/ガラス/京都)

2011年、あの大震災のあった翌月にギャラリーはオープンしました。日本全体が日常のありがたさを痛感し、あらためて限りある資源を大切にしなければという機運が高まった頃です。「作家もののうつわ」という贅沢品を扱うには逆風の市場状況でしたが、うつわのような日常の道具から世の中を見つめ直すには、良いタイミングだったと思っています。

今の日本の状況は、オリンピックや万博といった高度経済成長期の達成を繰り返そうとしている訳ですが、過去30年の間に「生活工芸」が示してきた生活意識といえば、枯渇する資源や停滞する経済の中で持続型の社会を求める価値観の体現であり、次世代へ継承する在り方を示していたのだと思います。それは工芸文化を通して、日本が覚醒するチャンスだったのでしょう。しかし残念ながら、現状はそうした本質を忘れ、流行という経済的合理性の中だけで「うつわ」の価値が拡散しています。そうした流行をいったん脱ぎ捨て、既成の枠組の外に出て、あらためて「工芸」の価値を見出したいと思っています。

展示のテーマ「飾りの行方」について。工芸の歴史は装飾の歴史と言い換えられるほど、人は飾ることを求めてきました。それは権力の象徴であり、神仏への畏敬の表れでもあった訳ですが、その根源は、おそらく人の意識の深層に、装飾の欲望が埋め込まれているのだろうと思います。しかしここ十数年の「生活工芸」隆盛の間、そうした装飾、技巧の顕示欲がないがしろにされていたように感じていました。

一方、近年、美術工芸と呼ばれる領域では、明治工芸再発見の名のもとに超絶技巧ブームが訪れ、装飾をさらに緻密化する作品も生まれています。工芸祭は「『生活工芸』以後の工芸」がテーマですから、「生活工芸」を相対化するふたつの視点から展示を行ないます。ひとつは、飾りを排した「生活工芸」時代との対比。もうひとつは、生活工芸領域と美術工芸領域の接続。そのため、普段は美術工芸領域で活躍する4人の女性作家にお願いして、「飾り」の作品を出品してもらいます。

高度な技術による装飾工芸を見て頂くことと、美術工芸と生活工芸の接点づくりが目的です。この2領域を接続しようと思う理由は、(生活工芸的)安易な拡散は文化を劣化させるし、(美術工芸的)伝統の保守だけでは代謝が進まないからです。この2領域はいまだ交じり合っていません。両者の歩み寄りにこそ、次代の工芸を示す可能性があると信じています。(松本/1961年生れ)











20200122

高木崇雄さんのブログ「工芸入門」更新しました。今回の題は「公募展」。戦後のやきもの公募展の代表格だった「日陶展」の終りについて、です。終ったことをわすれてゆくのが雑貨的態度だとすれば、「終り」の意味を問いつづけるのが工芸的思考なのかもしれないと、工芸批評家の名にあたいする稀な書き手の文を読んで思いました。
https://www.kogei-seika.jp/blog/takaki/036.html

〈よく「お客さんに選んでもらうことこそが自分にとっての審査員です」などと無邪気に曰う作家や工芸店がいますが、単に仲間内の評価やポピュラリティに訴えるだけであれば、「お客さん」とは「資本主義」の柔らかな言い換えに過ぎず、あっという間に「正しいものが売れる」から「売れるものが正しい」へと、つまり〈資本による検閲〉へと転化してしまう〉





20200121

2月7日(金)夜、新潟県燕市のツバメコーヒーで、書籍『工芸批評』にかんするトークに参加します。木工家の富井貴志さん、F/styleのおふたりといっしょです。
http://tsubamecoffee.com/dekigoto/2020/01/21/249/

ツバメコーヒーは『工芸青花』を創刊号からずっとあつかってくれています。店主の田中辰幸さんの「生活工芸」論もたのしみです(2014年に『「生活工芸」の時代』という本をだしたときも、ここでトークをしてくれました)。

写真は富井さんの「彫模様」作品(『工芸青花』11号より)。〈富井さんのこの彫文様の仕事は、思うに、不可逆的な「現代」と「工芸」の関係の不自然さの自覚にもとづくもので、おそらくその両義性ゆえに孤立しがちだろうけれど、孤立させてはいけないと思いました。現代の工芸の可能性は、この「不自然さの自覚」から生れると私も考えているので〉(『工芸批評』より)
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-hihyou.html







20200120

神楽坂での次回展示は「生活工芸の作家たち3:もよう」展です(1月31日−2月9日@工芸青花。初日は青花会員と御同伴者1名のみ)。安藤雅信さん(陶)、辻和美さん(ガラス)、三谷龍二さん(木工)の新作展。サイトに3人の文章を追加しました。
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20200101.html

以下リードです。

かつて『芸術新潮』の編集部にいたとき、日本民藝館の特集をつくったことがあります(2005年。08年に書籍化)。古道具坂田の坂田和實さんが民藝館の蔵品から22点をえらび、その選択について尾久彰三さん(民藝館学芸員。当時)、山口信博さん(デザイナー)に坂田さんをまじえて鼎談をおこないました。以下、引用です。

山口 柳宗悦と坂田さんの好みの違いって、たとえばどんなところですか?
尾久 はっきり違うのは文様にたいする考えかたでしょうね。柳さんは文様が大好きでした。具象、抽象を問わず、潑溂たる文様こそ工芸の美を代表するものと考えていました。(略)坂田さんは逆でしょう。おそらく文様なんてないほうがいいと思っているはずです。

それをうけて坂田さんは〈文様については尾久さんのいうとおりですね。絵画は別として、器類は文様のないものを探そうとしました〉と語っています。

3回目の「生活工芸の作家たち」展です。これまで「ふつう」「ふぞろい」と、生活工芸派の器をあらわす(と私が考える)テーマでつづけてきましたが、今回は「もよう」。柳にいわれるまでもなく、東西とわず工芸に文様はつきものです。日本の食器の歴史をみても、神具や寺什をべつとすれば、多くは文様を志向しています。しかし生活工芸派は無文、無地を志向した。あえて、だったはずです。2000年代、彼らの影響でクラフトフェアなどにならぶ器が無地ものばかりになった光景は、当時は思いませんでしたが、じつは異様な光景だったのかもしれません。なぜ無文だったのか。あらためて考えたいと思いました。

写真は昨年の「ふぞろい」展から。今年の風景もたのしみです。





20200119

1月23日(木)夜は美術史家・金沢百枝さんの講座「ロマネスクへの旅|緑ゆたかなトスカナ、ウンブリア」です(自由学園明日館@目白)。ひさしぶりのロマネスク講座。写真はグロピナの聖堂の浮彫とトスカナの風景です。
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=306

年明けから、日経新聞夕刊プロムナード欄で、金沢さんの連載がはじまっています(毎週土曜)。ロマネスクのこともときどきでてきます。昨日は理系時代の話でした。〈森の木々は空にむかって枝をのばし、きれいに空間、つまり光をわけあっている〉







20200118

昨日から福岡で「工芸批評」展、はじまりました(@工藝風向。26日まで)。
https://foucault.tumblr.com/

昨夜は出展者(井出幸亮、鞍田崇、菅野康晴、高木崇雄、広瀬一郎、三谷龍二)によるトークでした。いらしてくださったみなさん、ありがとうございました。風向の高木さんの司会がよくて、たのしく話せました。同展は昨年の松屋銀座展と同様、同名の本(以下)の内容を立体化したものですが、銀座できわだっていたものと、福岡のそれがまるでちがうので、あらたな視点を得られた気がします。
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-hihyou.html





20200115

古道具坂田の坂田和實さんの本『ひとりよがりのものさし』、重版しました。これで9刷、計11000部です。2003年刊、初版3000部、文字どおりこつこつとつみあげた数です。あらためて坂田さんと、読者や書店の方々に感謝したいと思います。

年明けに編集部をかたづけていて、なつかしい写真をみつけました。2003年の古道具坂田、坂田さんと北野武さんの対談時のものです。

たけし「これだって、そこら辺のごみ箱の前に置いたら、蹴っとばされたりして終わりだろうな」(略)坂田「前に、ソフトボールを買ったんですね。ばんばん使われていて、それがすごくきれいなんですよ。子供の時によく使っていた普通のソフトボールですけどね」(『新潮45』2003年12月号)

青花では坂田さんにかんする本や記事掲載号を販売しています。ぜひ御覧ください。

『タパ―坂田和實が見つけた94枚』
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=290
『工芸青花』5号
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-seika005.html
『工芸青花』9号
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-seika009.html
『工芸青花』10号
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-seika010.html
『工芸青花』12号
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-seika012.html
『工芸批評』
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-hihyou.html





20200114

表参道スパイラルで「matohu 日本の眼」展(22日まで)。「かさね」「かろみ」「おぼろ」「づくし」「いき」「なごり」といった言葉ごとに、服だけでなくしつらいもみせています。写真は「ふきよせ」のポジャギ。
https://www.spiral.co.jp/topics/spiral-garden/matohu

matohu のデザイナーは堀畑裕之さんと関口真希子さんですが、明日15日夜、神楽坂で堀畑さんの講座「工芸と私|言葉と服」をおこないます。よろしければぜひ。
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=310





20200113

今週金曜(17日)から福岡の「工藝風向」でひらかれる「工芸批評」展に参加します(26日まで)。昨年10月、松屋銀座で開催された同展の巡回展。17日夜には出展者(井出幸亮、鞍田崇、菅野康晴、高木崇雄、広瀬一郎、三谷龍二)による座談会もおこないます(会場はとなりの「珈琲美美」、コーヒーつきです)。
https://www.instagram.com/p/B67hzpbl-Di/

以下は同展監修の三谷さん、「工藝風向」代表の高木さんの文(ともに『工芸青花』12号より。写真も)。自他(作家と批評家)の認識の差に着目したい。

〈生活工芸は、伝統工芸のように高度な技術を競い合うのでもなく、美術工芸のように個性や自己表現偏重でもない。それらを生活者の実感を基点に相対化し、もっと身近なところ(元々の場所)に工芸を取り戻そうとするものだと思う〉〈このような「生活者の直感力」は、例えば小林秀雄が知識人の判断よりもずっと信頼を置いていたもので……〉(三谷龍二「日本生活器物展を終えて」)

〈簡単に言えば、他(注・赤木明登以外)の生活工芸派作家の仕事は、ふつうと言いながら、どこまでも「作品」でありつづけている。先に挙げた安藤さんのデルフト写しであれば、もちろん完全なコピーというわけではないけれど、白い釉薬のマチエールやリムのサイズ感といった構成要素を意図的に再現しようとしている。それは建築において、フィリップ・ジョンソンがAT&Tビルにギリシア建築由来の三角破風を導入したのと同じ、ポストモダン的「引用」です。つまり、使いやすさ、ということを口にはするけれど、モダンデザインにおける「機能美」や民藝の「用即美」が内包する機能主義とはまったく違い、 彼らは、自分たちの「ふつう」にふさわしいマチエールを導入する、という操作を常に行なっている〉(高木崇雄「ふつう、の分かれ道」)
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-seika012.html

書籍『工芸批評』も販売中です。
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-hihyou.html





20200110

催事のお知らせです。

■講座|工芸と私39|赤木明登+高木崇雄|「生活工芸」以後
□2月15日(土)13時@工芸青花(神楽坂)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=317
*「青花の会|工芸祭」関連企画です

■講座|工芸と私40|沢山遼+保坂健二朗|美術批評家とキュレーターがみた現代の工芸
□2月16日(日)13時@工芸青花(神楽坂)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=318
*「青花の会|工芸祭」関連企画です

■講座|金沢百枝+小澤実|ロマネスクとはなにか|美術史家と歴史家の対話
□2月20日(木)18時半@自由学園明日館ホール(目白)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=316

以下も引続き開催、募集しています。

■講座|工芸と私38|堀畑裕之|言葉と服
□1月15日(水)19時@工芸青花(神楽坂)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=310

■講座|河島思朗|ギリシア・ローマ神話44|ヘラクレス|12の難行その6|神話の世界観
□1月16日(木)18時半@自由学園明日館(目白)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=308

■講座|金沢百枝|ロマネスクへの旅|緑ゆたかなトスカナ、ウンブリア
□1月23日(木)18時半@自由学園明日館ホール(目白)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=306

■展覧会|生活工芸の作家たち3:もよう
□1月31日−2月9日@工芸青花(神楽坂)
*1月31日は青花会員と御同伴者1名のみ
□出品|安藤雅信/辻和美/三谷龍二
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20200101.html

■青花の会|工芸祭2020|「生活工芸」以後の工芸
□2月14日−16日@BOOTLEG GALLERY(神楽坂/江戸川橋)
*14日は青花会員と御同伴者のみ
https://www.kogei-seika.jp/seikafes/kogei2020.html

写真は金沢百枝さん、小澤実さんとつくった『芸術新潮』2008年12月号特集より、ノルウェイ中世の木造教会と扉の鉄細工。





20200105

■講座|河島思朗|ギリシア・ローマ神話44|ヘラクレス|神話の世界観
□1月16日(木)18時半@自由学園明日館(目白)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=308

〈この講座では、古代の文学作品や図像を通じて、ギリシア・ローマの神話を知り、その意味を考えていきます。また神話は文化の根底を支えるものでした。そのため、神話を取り巻く古代ギリシア・ローマの文化や社会にも触れることになります〉(河島思朗)

以下は宮台真司さんの「あいトリ/表現の不自由展」にかんする談話から。ギリシア神話をいま学ぶ意義としても読めました。〈ギリシャは紀元前12世紀から400年間の「暗黒時代(初期鉄器時代)」を経験します。殺人・強姦・強盗・放火のオンパレード。それを忘れないように記録したのがギリシア神話で、理不尽で不条理な残酷劇に満ちています。(略)神に捧げ物をしたり、神の言葉に背く罪を徹底して回避したりしても、良いことは起こりません。世界(あらゆる全体)がそのように出来ているからです。(略)だから、世界の理不尽や不条理にも拘わらず前進する存在を愛でました。いわば、損得勘定の自発性ならぬ、内から湧く力の内発性を、褒め称えたのです〉
https://www.huffingtonpost.jp/entry/shinji-miyadai-interview_jp_5e06a0c4c5b6b5a713ae3f5b?utm_hp_ref=jp-arts-culture

写真は『工芸青花』12号より。望月通陽さんの型染絵を貼付しています。
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-seika012.html





20200104

■講座|工芸と私38|堀畑裕之|言葉と服
□1月15日(水)19時@工芸青花(神楽坂)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=310

作り手、売り手、使い手の方々と、「工芸」のことを考えるシリーズです。今回は服のブランド「matohu」のデザイナーである堀畑裕之さんのお話をうかがいます。〈私たちが服のデザインを始める時に最初にリサーチするのは、ファッション雑誌の切り抜きでも、流行の音楽やアートや建築でもなく、たった一つの小さな「言葉」である。これが創作を規定する〉。2019年に上梓された堀畑さんの本『言葉の服』より。印象的なくだりでした。大学院で哲学を学び、ドイツに留学。帰国後、文化服装学院に学び、コム・デ・ギャルソン勤務を経て独立。哲学からファッションへ。言葉と服。西洋と日本。堀畑さんの仕事の現代的意義を知りたいと思いました。

写真は高台寺蒔絵を主題にしたmatohuの長着。〈「高台寺蒔絵」の美しさを服に表現する。それはたんに蒔絵の図柄をプリントすることではないはずだ。そこで実際に秋の武蔵野を歩くことから始めた。(略)心にとまった草を摘んで帰り、できるだけ野にあるままで使うことにする。ツタの葉の虫喰いや葉脈の線まで粒子状に写し替え、紗版に移す。金粉は色味や細かさを何種類もブレンドし、漆黒を思わせるシルクウールの生地に一点一点丁寧に手摺りする〉(堀畑裕之/『工芸青花』12号より)





20200103

『工芸青花』12号「三人とアイヌ」特集から、山岸憲史(1926−89)作のニポポ(アイヌの人形)。
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-seika012.html

〈ホモ・サピエンスは多様な文化を派生させることで、地球環境の変化に適応してきた。いっとき繁栄を誇った文化が衰亡しても、ことなる地域に根ざす文化が生きのびて興隆し、しかしさらなる環境変化には対応できず、他の文化集団にとってかわられる。数世紀にわたり持続してきたアイヌ文化は、こうした「文化進化論」の文脈でとらえれば、自然によって選択された文化であるといえるだろう。しかし近代文化はどうか。持続不可能であることは瞭然で、ならば将来には絶滅を免れぬ運命にあると考えるよりほかない。問題は、この画一化した文化が世界じゅうを覆いつくし、その絶滅が地球文化ぜんたいの終焉に結びつきかねないことだ。生物多様性だけでなく、文化の多様性が保護されねばならない理由は、そこにある〉(前橋重二「神の魚」『工芸青花』12号)





20200102

今年もよろしくお願いします。昨年の仕事のなかで、よかったなと思うことのひとつは、現代美術家の村上隆さんによる「古道具坂田」論を掲載できたことでした(『工芸青花』12号)。

〈今回の「バブルラップ」展で、僕は古道具坂田を「芸術とはなにか」という問いの答えであり、戦後日本文化の代表者でもあると評価しました〉〈坂田さんはほとんど奇跡的に、概念的にも表現の自立を果すことができています。(略)「貧の美」という概念を提示し、平民に評価され、そして頻繁に美術館の展示にも招聘されています。それは眼利きとかセンスの問題ではありません。揺るぎない信念により達成したことで、それをあの小さな、薄暗い店で、ひとりでこつこつとなしとげたことが感動的なのです〉(村上隆「バブルラップ展で伝えたかったこと」)
https://www.kogei-seika.jp/book/kogei-seika012.html

ふたりともだれかが敷いたレールのうえを走るのではなく、(歴史に敬意を払いつつ)みずからレールを敷く人です。大きい/小さい、遠い/近い、速い/遅い、有名/無名にかかわらず、今年も、みずからレールを敷く人の仕事を紹介できたらと思います。写真は『スター・ウォーズ』から、ではなく、古道具坂田の軒先の雨よけ。




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